闇色のヒール

「こんにちは。すみませんね、こんな遠いところをわざわざ来て頂いてしまって……」

「ああ、いえいえ。こちらこそお招きいただきまして……」

 目の前の少年は十二、三歳ほどにみえるが、その見た目からは想像できないほどに大人びていて、なんというか、しっかりとしている。

 思わずこちらも、これはこれはご丁寧に……ではなくて!!


 おかしいぞ?俺は怪人の親玉に会いに来たんじゃなかったっけ?

 沢渡さんがMACTまで俺を迎えに来た後。

 そのまま一時間くらい歩いたり電車に乗ったりして、俺たちはこのビジネスホテルまでやって来た。

 この部屋に通される前までは緊張しっぱなしで、いきなり襲われやしないかとか、口論から発展して殺し合いにならないかとか、あれこれ考えていたのだが。

 それがどうだ。

 実際に会ってみれば、目の前には自分よりもずっと年下に見える子供が一人。

 しかもやけに行儀がいい。


「というわけで、ゼロイチと申します。よろしくお願いしますね」

「ああどうも、平岩蒼汰です。よろしく」

 にこやかに自己紹介などされてしまってはかなわない。

 同時に、その内容からああやはりこの少年が最初のヒールなんだな、と改めて確認させられる。

 小柄な少年は口元に薄く笑みを浮かべ、パッチリと開かれた目を柔らかく細めた。

 くせ毛気味の白い髪に灰色のスウェット上下という格好をしており、思わず目が釘付けになる。


 柔らかそうなソファに深く腰を沈めた少年は威厳や緊張感のようなものを放っているが、敵意や悪意は感じない。

 ここに呼び出されたのは本当に、純粋な興味からなのだろうと思えてしまう不思議な感覚。

 その不思議な確信のようなものの正体を探るために少年のことをジロジロと見ていると、ふとその違和感の正体に気づいた。


「体が、動かないのか?」

「ああ、気づかれましたか。いや、まったく動けないというわけではないんですよ。その気になれば歩くこともできますが、すぐに疲れてしまって。こんなだから全く歩かなくなって、ますます体力も落ちるのですが……」

「それは、改造手術のせいか?」

 思わず口をついて出た言葉に、少年の口がピタリと止まる。

 あどけなく甲高い声が、大人のような口調で、大人のような言葉を発することが耐え難かった。

 MACTは、こんな子供に何を背負わせているんだ?

 驚いたように、元々丸い目をより丸くして言葉を止めたゼロイチに、俺はさらに続けた。


「ヒールになったことで、後遺症とか……もしかして、怪我とかか?」

「ぶはっ!!」

 そこまで言ったところで、ゼロイチが吹き出した。

 苦しそうに肩を上下させ、笑い声を上げる少年。

 ……え?


「いえいえ、そんなことは。むしろ逆なんですよ」

「逆?」

「ええ、元々僕はほとんど動けませんでしたから」

 え?


 意外な言葉に思わず呆然としてしまう。

 しかも話の内容に反して先程の笑いを小さく継続させたままにこやかに話すので、どうにも調子が狂ってしまう。


「少し難しい病気でしてね。ベッドの上で寝てばかりいたんですよ。そんな折に脇坂氏と出会い…」

「実験台にされたのか」

「いえ、こちらから懇願しました」

「は?」

 いよいよもって訳が分からなくなってきた。

 ふらふらと倒れてしまいそうになるのを堪えてちらりと沢渡さんの方を見ると、先程よりも一層険しい顔をしている。

 一方のゼロイチは、話しながら段々と朗らかになっていく。気がする。


「最初はほとんど歩けなかったんですが、少しなら自分で移動できるようになりました。とても疲れますけどね」

 段々と笑顔が怖くなってきた。


「だが、その代償は大きかった」

「まあ、そうですね」

 沢渡さんがぽつりと呟いた。

 ゼロイチの方も相変わらず笑顔を浮かべてはいるが、少し表情が曇ったように感じる。


「代償……っていうのは?」

「説明しても分かりにくいでしょうからね。少し見ていてください」

 俺の問いに答えたゼロイチは、笑顔のまま右手の、細い親指を口にくわえる。

 何をしているのかと顔をしかめていると、目の前の少年はそのまま自分の指に歯を当て、思い切り噛みちぎった!!


「え!?おいおいおい、え、ちょっと!何してんだよ!!」

「ぶあ、かっ、くぅ!!い、いいんです、止めないで……」

 手を離れた指が口からこぼれ落ち、血が滴り落ちる。

 見ているだけで痛々しい光景だが、血を垂れ流している口の端は僅かにつり上がっており、顔をしかめながらも目元の微笑みは耐えていない。


 指を失った右手からもダラダラと血が流れ続けていたが、次の瞬間。


 元々指があった部分からモヤモヤとした影のようなものが噴き出し、細長く伸び始めた。

 しばらくウヨウヨと動いていたそれは、適当な大きさでその動きを止める。


「これは……指?」

 最終的に影は、元々ついていたものから二回り程大きな親指の形になった。

 そのモヤがかかったような黒は、なんとも言えない不気味さを孕んでいて……


「これが、その代償です」

 指を噛みちぎり、指を一本影にしながらも、最初のヒールは穏やかな微笑を浮かべ続けていた。

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