弱・雄・憂・鬱

 MACTのドアをくぐった時から、俺の心は憂鬱だった。


 夏真っ盛りの外気の中を汗をかきながら歩いてきた所を、いきなり冷房の効いた建物の中に入ったので、寒くて思わず身震いしてしまう。

 先日のたかなうどんにおける一件以来、俺の何とも言えない憂鬱はもう二日間続いている。


「どうしたんですか、先輩」

「なんだ、矢面か」

 どうしたもんか。というか、アレはどういう反応なんだろう。


「なんだって……ちょっと?先輩?」

 いやはや、察するとかは苦手なんだけどなあ。


「先ぱーーーーーい!!!」

 しょうがない、今日あたりもう一回行って……


「いい加減にしろ!」

「ぐえっ!」

 いきなり後頭部に走った衝撃に呻き、思考が中断される。


 振り返ると矢面がこぶしを振り下ろした後のようなポーズでこちらをにらんでいた。

 今日は何も被っていないのに鬼のお面のような顔をしている。


「殺される……?」

「何言ってるんですか!今日の先輩なんか変ですよ?」

 今日に限った事でもないが。


 一応心配してくれているのだろうか。

 それともただ単純に相手にされなくて怒っているのか。

 後者説濃厚。


「いやまあちょっとな……」

 と、言いかけたところでけたたましくサイレンが鳴り響いた。

 ヒールが出現した合図だ。


 話を遮られる形になったが、あまり深掘りされたいことでもなかったのでむしろ好都合だ。


「行くぞ!矢面!」

 俺は今通ってきたばかりのドアに向かってダッシュする。

「はい!」

 流石ベテラン。切り替えは早いようだ。


 まだ何か言いたげな様子ではあったが、すぐに表情を切り替えお面をかぶった。

 今日は木彫りの、どこかの民族的なお面だった。



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 先日のたかなうどんでの一件。


「改造人間……ヒーロイドになったんだ」

 そう打ち明けた時、色々な思考が頭をよぎった。


 もう人間じゃないなんて言ったら引かれるだろうか。

 ヒーロイドは人を守っているし、世間に受け入れられてはいるが、それでもどこか遠い存在であることは事実だ。


 改造人間、というのはまだまだよくわからないものなのだ。

 だからこそ矢面のように正体を隠して戦っている者もいる。

 ……いや、あれはちょっと違うか。


 ともかく、知り合いに気軽に言いたいことではない。

 それに、身近な人間にこのことを話すのも初めてだ。

 正直どんなリアクションをされるのか想像もつかない。


 ぼんやりとした不安に苛まれながらも、恐る恐る店長の顔色を窺う。

 勇気を出して向かい合った店長の顔は……無だった。

 これは……何故の無?

 どういう感情なんだ?


 なんとなく確かめるのも怖くなった俺は、店長が口を開くのも待たずに席を立ち、金を置いてそのまま店を後にした。



 ああクソ、居た堪れないからって逃げるんじゃなかった。

 しかし後悔先に立たず。

 それに、あの時の沈黙には耐え難いものがあった。


 店長の反応を見るのは怖い。

 しかし何も確かめないというのもモヤモヤする。

 そんなこんなで、俺の心には黒い靄がずっとかかっている。



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 今回も矢面が俺を置いて走っていき、俺は自分のペースで全力疾走して矢面の後を追う。

 なんだよ自分のペースで全力疾走って。

 しかし、全力疾走のペースに大きな差が開いているのだからそういう風にしか表現出来ない。


 変身前ならいざ知らず、変身してしまえば矢面は俺の五倍は早い。

 二人以上での行動が義務付けられているとはいえ、俺なんか待ってないほうが早く現場に駆けつけることが出来る。

 集団行動と迅速な対応のどちらの方が優先度が高いかを考えた結果だ。

 集団行動を切り捨てる理由が俺の能力にあるというのが些か情けないが、仕方がない。

 フィジカルの差がありすぎる。


 それにそもそもこれは俺のせいではない。

 適合者でもないのに改造されてしまったんだから。

 この前もだったが、真夏の猛暑の中をひたすら走っているのに僅かしか汗をかいていない。これも改造の影響だろうか。


 走り続けても以前より疲れない。もしかしたらスタミナだけは1.2倍以上に上がっているのかもしれない。

 言われた目標地点に一秒でも早くたどり着くために走っていると、一足先に現場に到着した矢面から電話が掛かってくる。

 どうやらヒールが矢面と接触した途端逃走し始めたらしい。

 敵前逃亡とは怪人の風上にも置けんと言いたいところだが、特撮作品ではよくある事だ。


 ヒールを追いかけている矢面の状況説明を聴きながら一旦立ち止まった俺は、ヒールの逃走経路を予測して先回りすることにする。

 足を止めるとぶわっと一気に汗が吹き出したが、それも大した量ではない。

 額の汗を腕で拭いながら脳をフル回転させる。


 俺の脚力やヒールのスピード、ここまで逃走している方角を元に、脳内地図でシミュレーションをする。

 大体の見当をつけた俺は、方向転換してダッシュした。


 走る。走る。

 一刻も早くヒールと対峙するために。

 一人でも多くの人を助けるために。


 矢面の実況を聞きながら微妙に方向を修正していく。

 ずっと顔のそばで構えているため、携帯電話の画面に汗がべったりとついてしまっているが、後で拭けばいいと放置。


 頭を使いながら運動をするのは想像以上に骨が折れる。

 息が切れ、汗が流れ、暑さも相まって吐き気を催す。

 まだヒールと戦ってもいないのにこんな状態では先が思いやられるが、今できることを全力でやるしかない。


 ずっと心にこびりついている鬱屈とした気持ちを、どこかへと追いやるために。

 少しずつ軌道修正しながら走っていると、だんだん見慣れた景色になってきた。

 視界の先には、赤地に黒の筆文字で「たかなうどん」と書かれた看板。

 どうやら気が付かないうちに、店の近くまで来ていたらしい。


 看板を見て先日の一件を思い出すが、今はヒーロイドだ。気持ちを切り替えていこう。

 人生諦めも大切だもんな。


 恐らく逃げてきたヒールはこの辺りに来るだろうが……。

 しばらくその場で待機していると、辺りに響く轟音を立てながら、建物の上から飛び降りてくる影が見えた。


 ビンゴ!

 膝を折ってその場に着地している影は人型だが、体のあちこちから伸びているトゲが、その持ち主が人間でないことを物語っている。


 彼我の距離十メートル。

 相手はまだこちらに気づいていないようだ。

 体をヒールの方に向けると、思い切り脚に力を込めてまた走る。

 今日はもう嫌という程走ったが、最後の十メートルだと思えば走る気にもなるというものだ。


 脚に思いきり力を込め、踏み出す。跳ぶ。

 バキイッ!

 ヒールの横っ面に俺の渾身の跳び蹴りが炸裂した。


 ぶつかった衝撃に姿勢を崩すヒールと、それ以上に吹っ飛ぶ俺。

 そりゃそうだ。情けないことに作用反作用でもヒールに負けてしまう。

 ヒールから三メートルほど離れた地点に頭から着地した俺を見て、ヒールが声をかけた。


「……なんだお前は?」

 勝手に自爆した俺を呆れた目で見てくるヒールは、攻撃を受けた怒りよりも訳のわからない行動への戸惑いのほうが大きいらしい。

 うん、俺が逆の立場でもそうなると思う。


「その光……そうか。お前もヒーロイドか……。いや、しかし……」

 確か喋るヒールは強くて頭がいいんだったか。

 なるほど、状況判断が早い。

 後半の歯切れが悪いのはヒーロイドなのに力が凡人並みだからだろう。

 うん、そろそろ慣れてきたけどやっぱり悲しい。

 だが俺が弱いのは揺るがぬ事実。


 早く来てくれ矢面!何してるんだ、ヒールを追いかけていたんじゃなかったのか。

 他力本願もいいとこだが自分の実力は自分が一番よくわかってる。

 喋るようなヒールに俺が勝てるわけがないんだ。


 立ち上がった俺と向かい合って固まっているヒールは、何やら思案しているらしい。

 そのままずっと固まっていてくれたらどれだけ楽だろうか。


「うわ、なんだこいつ!?」

 俺とヒールが運命を感じるほど見つめ合っていると、ヒールの後ろから声が聞こえてきた。

 怪人のトゲトゲな巨体越しに声のしたほうを見ると、そこには見慣れた人影が……。


「店長!?」

「平岩!?」

 なんということか。

 今現在最大の悩みの種であるたかなうどんの店長と運命的な再会を果たしてしまった。


 目を見開く店長。光る俺。

 妙に気まずい沈黙が続くが、ヒールが動き出したのが見えたので途中で打ち切る。

 あくまでも今はヒーロイド。

 公私混同はいけない。

 それにヒールの近くにいるのは危険だ。今はヒーロイドとしてあの人を守らないと。


「店長!逃げて!」

 一声叫んでから、渋々と腕を前に突き出す。

 店長が戸惑いながらも走り去っていくのが見える。


 こちらを警戒しているのか、ヒールは店長のほうへは見向きもせずこちらをにらんでいる。

 マッチョウサギは人を見るや否や襲いかかっていたが、このトゲトゲは見境無く人を襲ったりはしないらしい。


 知性があるということは強敵だということでもあるのだが、そのおかげで店長も逃げることが出来た。

 ありがたいような恨めしいような、複雑な気持ちだ。


 今日は剣も銃も修理中だからな。店長をかばいながら戦うのは無理だ。

 あっても無理な気もするが……。

 さて、ここからが一苦労だ。

 身一つで矢面の到着まで時間を稼がなければならない。

 何してるんだよあいつ。早く来てくれないかな。

 じゃないと到着前に俺が死ぬぞ。

 さっきまでは電話をつないでいたが、ヒールと向き合ってしまってはそちらに気を取られるわけにもいかない。


 どうしたものかと悩んでいると、ヒールが唐突に声を発した。

 ヒールの顔には口らしきものが見当たらないので、どこから声を出しているのかわからないのが不気味だ。


「そうか、お前があの弱いヒーロイドか」

 あの?ちょっと待て、なんで最近ヒーロイドになったばっかの俺のこと知ってんだ?

 まさか、ヒール同士で情報交換するネットワークでもあるのか?

 ……いや、無いと思いたいが。


 でもこいつら普段どこに住んでるんだって話だしな。

 よく知らないがヒールの隠し里的なものがあるのかも。


 そんなことを考えていたらヒールが動き出したのが見える。

 まともに正面から戦える訳も無し、いつもの目つぶしができる暇も無いのでここは前回不発だった新兵器を再デビューさせてやろうと思う。


 ヒールに向けて右手を突き出すと、腕の先からワイヤーが飛び出す。

 勢いよく伸びていったワイヤーはヒールの足元に届くと、そのままクルクルとヒールの右足に巻き付いた。


 確かな手応えを感じながらワイヤーの射出を止め、後ろに引っ張る。

 それを受けて足を取られたヒールはそのばにすっ転ぶ……はずだったのだが。

 俺がいくら頑張ってワイヤーを引っ張っても、ヒールはピクリとも動かない。

 うーむ、これが実力の差か。いやはや……。


 不意打ちならばいざ知らず、正面きって使う武器ではないことを悟る。

 ヒールは徐ろに脚に絡まったワイヤーを掴むと、いとも容易く引きちぎった。

 え?ワイヤーってそんな麺類みたいに簡単にプチっと切れたっけ?


 先程までかいていたのとは違うタイプの汗が、ツー……と背中をつたう。

 そのまま手に持ったワイヤーの片側をヒールが引っ張ると、当然俺の体はヒールの方に勢いよく引き寄せられる。


「うわわっ!?」

 不意を突かれて焦る俺の顔面を、大きな手が出迎えてくれる。


 掌の中で鼻をつぶされたと思ったら、そのまま地面に投げつけられる。

 全身がアスファルトにたたきつけられ、治ったばかりのいろんなところがズキズキと痛む。


 また医務室のベッドのお世話になるかも。

 早いとこピンチを切り抜けないと。

 地面にうつぶせで倒れている俺にヒールがこぶしを振り下ろしてくる。

 その気配を察知し、横に半回転して回避すると、次はあおむけになった顔面を横から殴られた。


 まずい、口の中が血の味だ。

 てか顔ばっか狙いすぎだろ。特別大事にしている顔面でもないがボッコボコにされると後々困る。


 早く来てくれ矢面!

 という俺の祈りが通じたのか否か、ヒールの背後に人影が現れ、棒状のもので棘が並ぶ背中を殴りつけた。

 金属同士が激しくぶつかり合う音が響いたかと思うと、ヒールがとっさに振り返る。


 しめた、矢面が来たか!と思い、少し顔を持ち上げてその人物を視認した俺は、思わず叫んだ。


「て、店長!?」

 ヒールの背後に立っていたのは、鉄パイプの様なものを持ったたかなうどんの店長だった。

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