生還・司令と納豆

 目を覚ますと、ふかふかとした感触の上に寝転んでいた。

 窓から射す光が眩しく、改造人間として目を覚ました時の事をなんとなく思い出す。


 そうか、あれから大体一週間くらいだな。

 周りを見ればここ数日ですっかり見慣れてしまった無機質な白い壁と大きな機械。背中にすっかり馴染んでしまったベッドの感覚は、優しく俺を包み込んでくれる。

 体を起こそうとするが、まだ少し痛い。不可能ではないがとんでもなく億劫な、そんな感覚。


 もう少し寝ていようと思ったところで騒々しくドアが開く。ちらりと視線を向けると、飛び込んで来たのは黒髪の女の子だった。


「どうした、説教なら昨日聞いたぞ」

「先輩...やばいです」

「何が?」

「とにかくやばいんです先輩!」


 黒髪の女の子こと矢面は、ただでさえ大きな目を見開き女の子らしい高い声でキャンキャン喚いている。

 しかし言葉が纏まっておらず、何が言いたいのか全く分からない。こいつこんなに馬鹿だったかな、と思ったがすぐにそうではないことに気が付いた。

 これは恐らく動揺して上手く言葉が出てこないやつだ。多分そうだ。俺もそういう時あるし。


「とりあえず落ち着いて話してくれ。何が何だか全く分からん」

「あ、そうですね、ごめんなさい……」


 矢面は素直に謝ると深呼吸し、両手でそっと狐の面を……いや待て。


「その狐面は必要なのか?」

「必要です」

「絶対?」

「絶対」

 絶対らしい。

 なら仕方ない。ツッコまずに話を聞いてやることにする。


 今気付いたが、矢面はパーカーにスカートのラフな格好をしている。きっと日曜だからだろう。昨日まで制服しか見たことがなかった訳だし、2回目の今でもまだ新鮮に感じる。

 そんなふうに脱線した思考が矢面の次の言葉によって引き戻される。


「あの、一昨日先輩がヒールを倒したじゃないですか……」

 ここで軽めに前回までのあらすじを挟んでおくと、一昨日俺は単独でマッチョウサギのヒールと戦い、ヒーロー的にどうなのかというような手段を使って見事これを撃退した。


「大活躍だったな」

「ええ、大活躍ですよ、ですけどね……」


 ここで軽めに前回から今回までの間にあった事のあらすじを挟んでおくと、ヒールを倒した俺はそのまま気を失い、目が覚めるとここ、MACTの医務室に寝かされていた。既に治療がなされ、傍には制服で椅子に座ったまま寝ている矢面がいた。


 その時は何も感じず、窓の外も暗かったのでそのまま寝入ってしまったのだが、翌朝目を覚ますと同時に矢面の説教が始まった。それで俺が倒れた後に駆けつけた沢渡さんが俺を回収してくれたこと、脇坂が後始末に奔走してくれたこと、矢面が学校が終わると同時に駆け付け一晩中ついていてくれた事、そして俺が助けたあの女性が無事だったことを知った。助かって良かったと再び寝入ってしまおうとした所でもう一度叩き起され説教され続けたが、最後には


「もう心配かけさせないでくださいよ……」

 と、うっすら目に涙を湛えながら言われたので、しばらく無茶はしないようにしようと心に決めた。まあ、あんな目にあったんだからしばらく命の危機はごめんだ。


 その後医者がやって来て俺の診察をして行った。改造人間の診察なんか出来るのかと思ったが、もしかしたらその道の専門医なのかもしれない。

 昨日は痛みで体を動かす事も出来なかったのでずっとこの医務室で過ごし、泊まっていたのだが。


「その、私も初めてのケースなのでびっくりしてるんですけど……」

 目を覚ますと同時に矢面が部屋に飛び込んできて今に至る。

「コマンダーから先輩に呼び出しがかかってます……」

「……え?」


 まず一つ思ったこと。コマンダーって誰だ。



 ---------------



 チャッチャッチャッ。


「どうも、私がコマンダーですよろしくどうぞ」


 チャッチャッチャッ。

 俺の前で椅子に座っている痩せ型の男は、クマのある目を手元に向けながら早めの口調で挨拶した。


「平岩です」

「はい、知っています」


 チャッチャッチャッ。

 相変わらず手元ばかり見ているコマンダーが被せ気味に言ってくる。これではもうこちらからは何も言えない。

 というか、さっきから気になってまともに頭が働かない。


「平岩さんは私のことを知らないと思うので追加で自己紹介しておきますが、要するに私はヒーロイドの司令官です。出動やその他の仕事での指揮を執ったり人員配置なんかをします」


 チャッチャッチャッ。

 ダメだ、気になって言ってることが頭に入ってこない。

 俺はとうとう堪えきれずに口を開いた。


「一つ質問をして良いですか」

「なんでしょう?」

「なんでさっきから納豆をかき混ぜているんですか」


 右手に箸、左手に納豆の入った陶器の

 器を持った色白の男が、手の動きをピタリと止める。

 さっきからチャッチャッチャッと鳴っていた音が止まり、ようやくコマンダーが俺の方を向いた。

 もしかして、ツッコミ待ちだったのか?



 矢面から呼び出しの件を聞いた後、体が痛くてまともに歩くことも出来ないので、矢面に肩を貸してもらいながらコマンダーのいる部屋に向かった。

 背の低い矢面の肩を借りると、中腰みたいになりながら歩かねばならず一人で歩くよりも疲れるような気がした。まあ一人では立ち上がることも出来ないのだが。主に気持ちの面でだけど。


 部屋に入る前に扉の前で矢面が

「ちょっと変わった人ですけど悪い人ではないですから……」

 と意味深なことを言っていたが、実際に対峙してみるとすぐに分かった。


 ああ、この人は異常だ。

 怪我人をいきなり呼び付けておいて、あろう事か納豆をかき混ぜている。


「何故かと言われれば少し困るのですが」

 なんでだよ。

「時間が勿体ないからですかね」

「そうですか」


 ちょっとよくわからない。

 こんな人が司令官で大丈夫なのか。いや、こんなでも仕事はできる人なのかもしれない。表面だけでで人を判断してはいけないな。


「人と話す時に使うのは口で納豆を混ぜるのに使うのは手ですから。同時にできることは別々にやるより一緒にやってしまった方が効率が良いでしょう」


 なるほど、少しわかった。この人は物事を効率良く進めたいんだろう。聞き取りやすい程度に早口気味なのも、説明を一回で終わらせ、且つ説明時間を短縮したいという意思の表れなんだろう。


「それで今日お呼びしたのは何故かと言うとですね」

 ああ、そういえばこの人に呼び出されて来てたんだっけ。納豆のインパクトが強くてすっかり忘れていた。


「まあ端的に言えばお説教です」

 あー、なるほど。分かった。理解した。

 矢面パターンだな。


 まあ自業自得なんだけれど。しかし納豆をかき混ぜている人に説教されるのもなぁ。


「何が言いたいのか分かったし以後気をつけるので終了で良いですか」

「あまりよろしくないです」

 ダメか。お堅いな。自分は納豆混ぜながら喋ってるクセに。これで終わらせた方が効率が良いだろうに。


「こちらとしては独断で勝手なことをされるのも困りますし、あんな危ない戦い方をして死んで欲しくはないんです」

 コマンダーの暗い瞳がギラリと光る。

 まあ概ね予想通りの内容だ。


「はい、身に染みて分かりました。今後勝手な出動も危ない戦い方も...え?」

 その瞬間よぎったのは、相手の言葉に対する強烈な違和感。


「危ない戦い方……って言いましたか?」

「言いましたね」

「どこから見てたんですか」


 これは以前脇坂にもぶつけた疑問だが、あの時は結局解決することはなかった。

 あの時、あの場には俺とヒール、それから助けたあの女性しかいなかったはずだ。にも関わらず、今目の前の男はまるで見てきたようにあんな危ない戦い方と、そう言った。

 俺の戦い方を見ていたとは思えないが.……


「ああ、知らなかったんですか。脇坂さんはほんとに色々説明してくれてないんですね」

 それは俺も少し感じていた。色々と知らないことが多すぎる。


「あなた達ヒーロイドが変身した時、ここに自動で位置情報が送られてきてドローンが飛んでいくんです。そのドローンからあなた達の様子を見ているんです」

 なるほど、それでか。


「ドローンってあのプロペラで飛んでるやつですか」

「いえ、もう少し可愛らしい見た目をしています」

「……」

 可愛いドローンってどんなのだろう。


「……なんの為にそんなことを?」

「戦いの記録とヒーロイドの能力の不適切な使用を防ぐためですね。なんせヒーロイドの力は強大ですから、絶対に悪用させる訳にはいかないんですよ」

 まあ確かに、それは正しいか。

 大きな力には大きな責任が伴う、みたいなのを聞いたことがある。


「ちなみに自転車に乗った少年を助けた件は評価していますよ」

 これには少し顔をしかめてしまった。そうか、あの時も変身してたからな。いやはや……


「恐縮です」

「ですがヒールとの戦い方はバツです。自分の命を粗末にするのは頂けません。暫くは出動を控えてください」

「むしろそれはお願いします」


 死ぬような思いをしてきた所なのだ。暫くはヒールと向かい合って戦いたいなんて思わない。

 せめてもう少し対抗手段を開発してからだ。

 それに物理的にも無理だ。怪我が酷くて歩くのにすら人の手を借りてるんだぞ。


「そうですか、でしたら話は以上です」

 コマンダーはまた手元に視線を戻し納豆をかき混ぜ始める。

「以上ですか……」

 思わず繰り返す。意外とあっさり終わったな。


「はい、平岩くんが意外と話のわかる人で助かりました。もう少し頑固で独善的なのかと思っていましたがこれなら大丈夫そうですし」

 まあ頑固ではあるが、今回は丁度そういう気分だったと言うかなんと言うか...それにしても酷い言われようだな。


 なんにせよ早く解放してくれるなら嬉しい限りだ。

 ドアに向かう途中で振り返り、声をかける。


「ほんとに納豆が好きなんですね」

「はい、この世で一番好きなものは納豆です。ちなみに一番嫌いなものは納豆のパックに入っているカラシの小袋です」

 コマンダーは既にこちらに背中を向け、デスクトップを見ながら答える。

 変な人だが意外と嫌いじゃない。


「もう一つ聞きたいんですけど」

「なんでしょう?」

「俺が死にかけてた時、どうしてもっと早く救援を寄越してくれなかったんですか?」

 ヒールと対峙していた時から抱いていた疑問。他のヒーロイドが来るのがあまりにも遅いのではないか、という俺の質問に。


「……事態はこれまでに無く面倒なことになっています。脇坂さんに詳しく説明してもらうのが良いと思いますよ」

 コマンダーは少し黙ってからそう答えた。

「私はもう五回も同じことを色んな人に説明しているので」

 この人らしい余計な一言を付け足して。

 少し疑問は残るものの、礼を言って部屋を出ようとした所で、足がもつれてすっ転んだ。


「大丈夫ですか?」

「あんまり大丈夫じゃなさそうです」

 まだ怪我が治りきってはいなかったからだろう。頭がフラつく。

「外にいる矢面さんを呼びますのでちょっと頑張ってみてください」

 あんたは立たせてくれないのかと言いたくなるが、面倒になってやめた。

 頑張ることが出来ない訳では無いが酷く億劫だったので、そのまま矢面が立ち上がらせてくれるのを待つことにした。

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