おれの構え

「先輩!!先輩じゃないですか!」


 目の前の女子高生はさっきから甲高い声で喚いている。

 肩にかかる綺麗な黒髪が、体の動きに合わせて揺れる。

 驚いた様に元々大きな目を見開いて真ん丸にしている。その中にキラキラと光る、真っ黒な瞳に映る俺は


「えーっと、どちら様でしょうか?」

 情けない顔でシラを切っていた。


「ちょ、先輩!?それはひどくないですか!?ねえ!?」

「いや、そういわれても、ほら、初対面じゃないですかー。」

「初対面じゃないですよ!?可愛い後輩じゃないですか!!ていうか、さっき久しぶりって言ってましたし!!」


 クソ、やはり誤魔化しきれないか。いやはや、うっかり久しぶりなんて言うんじゃなかった。

 こうなっては仕方がない。事ここに至っては俺に出来ることはただ一つだ。


「じゃあ、脇坂さん。明日にでも印鑑とか色々持ってきますんで、よろしくお願いしまぁぁぁぁぁす!」


 言い終える前に叫びながら出口に向かって走り出す。


「ちょ、先輩!?」

「平岩くん!?いいの!?え!?」


 二人が何か喚いているが知る由もない。無機質な廊下の出口を目指して走っていく。

 三十六計逃げるに如かずだ。




 ---------------




 二階建て木造アパートの最上階、要するに二階の、一番手前。

 見慣れた扉の前に立ち、ふと鍵が無いことに気が付く。


 ああ、そうか。MACTで服を着替えたからな。

 確か鍵はズボンのポケットに入れていたはずだ。

 俺が元々履いていたズボンはどうしたのかと思うが、うっすらとしか覚えていない死に際の事を思い出してゾッとする。


 あのズボンは血でベトベトだろうし、もう履けないかもしれないな。

 仕方ない、大家さんに頼む事にしよう。

 とりあえず電話を、と思ったところで、はたと手が止まる。


 携帯が、無い。


 そうか、まだMACTに置きっぱなしだ。返してもらった覚えがない。

 待てよ、そういえば脇坂はカバンを漁ったとか言ってたな。学生証で名前を見たとか……

 確か学生証は財布の中に入れていたはずだ。


 ……ん?てことは、もしかして俺……

「無一文?」


 ……いやはや。これは不味い。


 そうだ、確か大家さんの家は近くにあったはずだ。多分スペアキーくらいあるはずだし、貸してもらいに行こう。

 入居時に教えてもらった大家さんの家の位置を思い出しつつ、ゆっくりと足を向ける。


 それにしても今日は色々と大変な一日だった。

 怪人に出くわしたと思ったら死んだし。

 改造人間として生き返ったと思ったら常人の1.2倍の力しかないのにヒーローとして戦えとか言われて。怪人の登場に勇んで駆け付けてみればボロ負けして結局助けられる、と。


 そして、まあ、懐かしい顔も……

 と、そんな事を考えていると、前方の坂道から叫び声が聞こえた。

 またヒールが出たかと思って前を見るも、そんな物は影も形も見当たらない。


 ただ、子供が乗った自転車が坂を猛スピードで降りてくる。ブレーキが壊れているのだろうか。男の子が必死な顔でハンドルを握っている。

 それを見た瞬間俺は、咄嗟に腕を頭の上で交差させ、叫んでいた。


「変身!」


 身体中が光に包まれると同時に、凄まじい勢いでこちらに突っ込んでくる自転車に向かって走っていくが、正面からまともに受け止めたのでは衝撃が大きすぎるし、子供はそのまま前に吹っ飛んでしまう。慣性ってやつだ。

 それを防ぐには。


 自転車との距離が狭まってきたところで減速、ハンドルを正面から掴む。

 表情まで確認する余裕は無いが、とりあえずまだ子供は吹っ飛んでない。ならオーケーだ。


 ハンドルをしっかりと捕まえた瞬間、俺は自転車のスピードに合わせて後ろ向きにダッシュする。

 改造人間の体が普通の人間よりかなり頑丈なのは、昼間のヒールとの戦いでわかった。能力が1.2倍でも、そこだけはずば抜けているようだ。

 後ろ向きに走りながら少しずつスピードを緩めていく。これなら子供は吹っ飛ばない。


 そうして坂道が終わるころには、自転車も完全に止まっていた。

 息を切らしながら思う。

 ヒールと戦うよりも、俺にはこういう使い方の方が向いてるのかもしれない。




 ---------------



「ほんともう笑い事じゃないから!!なんで変身解除の仕方教えといてくれなかったんんだよ!!」

「いや、ごめんごめん。色々あって忘れてたんだよ」

「忘れてたですまないから!大家さん光ってる俺の事見てめちゃくちゃびっくりしてたからね!?危うく老人の心臓止めるとこだったから!」


 翌日、日が傾きかけてきた頃。MACTの一室にて。

 最早敬語もクソも無く、俺は脇坂に向かって怒鳴っていた。


 昨日、自転車を止めた後、大家さんの家に向かおうとしたところで、俺は重大な事実に気付いた。

 変身の解除方法が分からないのだ。


 もう一度変身ポーズをしてもダメ、体にスイッチが付いているでもない。

 色々試して見てもダメだったので、すれ違う人の視線を受けながら大家さんの家に向かったのだ。


 当然、大家さんも驚いていた。驚きすぎて話を半分も聞いていなかったんじゃないだろうか。3回くらい同じ説明をしたし、鍵を受け取るだけで30分ほどかかってしまった。


「でも時間が経ったら解除されただろう?」

「まあ、そうですけど」


 そう、確かに家に帰る頃には何故か光はすっかり消えていた。


「我々は『オーバーヒート』と呼んでいるんだけどね。エネルギー切れとか、体への負担とかで安全装置が働いて自動で変身が解除されるんだよ。変身中はそれだけでエネルギー使ってるから時間経過でも変身が解ける。一回オーバーヒートになっちゃうとしばらく変身は出来ないから注意してね」


 なるほど、そういう事だったのか。


「もう変身解除方法教えてからそんな長く変身しないよ」

「うーん、それにしても……激しい戦闘をしてないとはいえ一時間も変身がもつなんて……やはり1.2倍だから……」


 脇坂が何やらブツブツ言っている。

 さっき怒りながらもしっかり書類手続きの類は終わらせたので、そろそろ帰ろうかと思って立ち上がる。


「あ、ちょっと待って、まだこれが……」


 まだ何かあるのか。あまりここに長居はしたくないんだが。

 そもそも今日は朝早くに来て書類手続きだけ済ませるつもりだった。それが昨日は予想外に疲れが溜まっていたようで、起きた時にはもう日が傾いていた。夕方になるのはできるだけ避けたかったのだけれど。

 何やら書類を取りに行ったらしい脇坂の背中を見つめながら、渋々椅子に座り直す。

 と、次の瞬間。


「おはようございます!」


 息を切らしながら、扉をとんでもない勢いで開けて飛び込んで来たのは、昨日の……


「せぇんぱぁい...逃がしませんよぉ...」


 そこに立っていたのは、甲高い声をした般若。

 比喩ではなく、般若。

 もう少しきちんと言うと、般若の面を被った小柄な、恐らく女の子。それが全身から光を放っている。


 あ、死ぬ。昨日の今日でまた死ぬ。

 天に召される、あるいは地獄に落ちることを覚悟した俺の前に般若が立ち、俺の腕をガッチリと握る。


「さ、先輩♡ゆっくりお話しましょ?」

 そう言ってゆっくりと般若面を外すと、そこにあったのはやっぱり昨日も見た顔。

 いやはや……だから朝の内に終わらせときたかったんだ。



 ---------------



「なるほど、だから先輩がここにいたんですね」


 俺がここまでのいきさつを話すと、どうやら彼女は納得してくれたらしく、大仰に頷いて見せた。

 この子の名前は矢面成海。俺が部活をしていた頃の後輩なのだが……


「で、先輩。事情はわかりましたけど。なんで先輩が脇坂さんを助けるんです。学校にも来ずに平日の昼間から何してたんですか?」


 まあ、こう来るか。

 俺は一ヶ月ほど前から学校を休学している。

 それで昨日も昼間から外を出歩いていたのだが。

 まさかこんな形で後輩に会うことになるとはなぁ。

 しかしこいつはなんでここにいるんだろう。


「あれ?平岩くん学校行ってないの?どうしたの?何かあるとか?」


 空気の読めない脇坂が会話に入ってくる。


「まあ、色々と」


 話すことではないけれど。今は、まだ。


「何かあったのかって心配してたんですよ?元気なのは良い事ですけど、私の心配を返して欲しいです」

「いらないからいくらでも返すよ」

「ちょ、昨日から酷くないですか!?」


 そんな事を言い合っていると、なんの前触れも無くサイレンのような音が部屋中に響いた。


「ヒールが出たみたいだね。矢面くん、悪いけど行ってくれ」

「わかりました」


 立ち上がり、駆け出す矢面。


「平岩くんは矢面くんについてって、アシストに回ってくれ。」

「え、ああ、はい?」


 え?行くの?昨日の今日で?

 気の抜けた返事をしつつ、渋々ながら矢面の後を追う。


「どこに行くんだ?」

「?怪人の居る所ですよ?三丁目みたいですね」


 腕時計のような機械を見ながらそんなことを言う。

 ん?まさかそれって……


「ほら、走りますよ!」


 そう言って何故かお面を被る矢面。さっきの般若とは違い、お祭りの屋台で見るようなキャラクターもののセルロイドのお面を付けると、走りながら腕を頭の上で交差させ、叫ぶ。


「変身!」


 腕を振り下ろすと共に強い光に包まれる矢面。

 お前もか!

 驚いた顔で見つめる俺に、お面越しのくぐもった声で


「こっちでは私が先輩ですからね?」


 と告げた矢面は、改造人間のとんでもない脚力で俺を置いてどこかへと走り去って行った。

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