第5話

確か、25歳の時だった。

修二が悩み相談をしてきたんだ。

俺も悩んでいた時期だったから、お互いに話し合おうってことになった。

仕事が決まらない俺と、やりたい事が見つからない修二。


二人で、ずっと話していた。

修二の家に行って、晩御飯を食べて、公園に寄って、ずっと話した。


「一樹はさ、やりたい事ある?」


修二が聞いた。


「特に、ないかも」


俺が答えた。


「そっか」


修二はそう言って、空を眺めたんだ。

その日は、月が綺麗だった。


「俺さ、やりたい事が見つからなくて、結構今、人生迷子かも」


空を見上げたまま修二がそう言った。


「そっか」


なんて答えていいのか解らなかった。

でも、今日は誤魔化したり、隠したり、嘘を吐いたらいけない気がした。


「俺はやりたい事とか、考えたことないかも」


正直な気持ちを返した。

目を閉じて、考えてみた。

やりたい事。楽しいと思ったこと。

だけど、何も思い付かなかった。


「そっか」


短い返事が聞こえた。

それから、修二はゆっくりと話始めた。


「一樹に会えたこととか、友達になれたこととか、俺の中では結構特別なんだよね」


静かに話す修二の声が、普段よりも落ち着いていた。


「ずっと、この街が嫌いだった。退屈で、何もなくて、つまらない」


過去形で言うのに、進行形にも聞こえた。


「大人になったら、離れていくものだと思ってた」


修二の言葉に、寂しくなった。


「けど、この街には一樹がいて、それだけで離れようと思わなかった」


今度は少し、苦しくなった。


「別に、押し付けようって訳じゃないけどさ。それだけ、俺には何もないってことだよ」


苦しさから解放されたくて、茶化すように返事をしてしまう。


「本当に人生迷子だな」


そう言って茶化すと、修二が笑った。


「迷子だな。自分で選択肢を狭めて、勝手に落ち込んでる」


本当に、悩んでいるんだな。

そう、感じた。


「仕事が決まったんだけどさ、多分次も長く続かないだろうなって思うよ」


修二がそう言って笑う。

けれど、俺は苦しくて笑えなかった。

どんどん先へ進む修二が、羨ましかった。

同じ場所で話しているのに、修二はずっと先の場所で悩んでいる気がして、悔しかった。


「簡単に辞めるなよな」


その言葉は、修二を先に進ませたくなくて吐いた言葉だった。


「……解った」


何を、解ったのだろうか。

修二は、それ以上は何も言わなかった。


「今度は一樹の番だ」


そう言われて、俺も話始めた。


「やりたい事とか、そんなんはないんだけどさ」


何を悩んでいたのかを忘れそうになっていた。

それでも、言葉を必死に探した。


「先が見えないのは、怖い」


酷く抽象的な言葉になった。


「仕事を探してみても、興味を持てる仕事がなくて」


これ以上続けたらダメだと、頭の中で警報がなった。

それで言葉を止めたのに、修二が黙って聞いているから、話してしまった。


「俺は、この街が嫌いだ。けれど、この街以外で生きてはいけないと思う」


話したことのない、本音。


「興味を持つのが怖い。もし、何かに興味を持って、夢中になったらと思うと、怖い」


きっと、理解されないだろう。


「ずっと、そうだった。友達は皆離れていった。興味を持ったものは、全部否定された。取り上げられた」


ずっと、ずっとそうだった。

もう、止まらなかった。言葉が溢れて、止められなかった。


「自分の都合で振り回して、否定して、忘れて。皆自分勝手だ。だから、もう、興味なんて持たなくなった。そうしないと、苦しいだけだったから」


誰に対する言葉だったんだろうか。

今まで関わってきた人達が思い浮かんだ。

皆、自分勝手だ。


「だから、大嫌いなこの街にいる。この街なら、好きなことを見つける心配はないから」


退屈で、何もなくて、つまらない街だから。

ここに居る限りは、安全だ。


「俺のことも、興味ない?」


修二が聞いた。

修二のことは、どうなんだろうか。

考えてみて、解った。


「修二のことも、興味はないよ。興味はないけど、心許せる唯一の友達だ」


多分、そういうことだろう。

修二がどこで何をやっていても興味はない。

けれど、笑っているなら嬉しいと思う。


「酷いな」


そう言って修二が笑った。


「でも、そっか。一樹はそんなことを考えていたのか」


何かに納得したように修二が呟いた。

しばらく沈黙が続いた。

何かを考えてるみたいだったから、俺も何も言わなかった。


「一樹はこの街の何が嫌い?」


沈黙の後で修二が聞いてきた。

少し考えて、俺も答える。


「色々あるのに、何もないところ。退屈だ」


必要なものは揃うのに、何もない街だから。


「同意見。空っぽなんだよな」


修二が言った。


「閉鎖的で、プライドだけ高いところ。気持ちが悪い」


この街を誇る人が多くて、理解が出来ない。


「確かに閉鎖的だ。他を受け入れない」


修二が言った。


「無秩序で、歩きづらい」


皆が好き勝手に行動するから、疲れる。


「一樹はよく人にぶつかりそうになるもんな」


修二が笑った。


「こんな退屈な街なのに、笑っている人が多いところも嫌いだな」


何が楽しいのか理解できない。


「そういう修二はどうなんだよ?」


俺ばかり答えたから、修二にも聞いてみた。 


「俺は、全てを諦めたようなこの街が嫌いだよ」


修二が答えた。


「変化を嫌う街だから」


そう返したら、修二は頷いて同意を示した。


「変わることを望んでいるのに、変わることを諦めたような街だから」


修二が静かに話すから、今度は黙って聞いた。


「理性が強すぎて、孤立している街。窮屈で、退屈な街」


その言葉に、黙って頷いた。


「一樹もそう思うか」


頷いたのを見て、修二がそう言った。

そこからは、この街の嫌いなところを言い合った。

この街に固執している人が多いところ。

どこか暗いこの街で、疲れきったこの街。

住んでいるだけで疲れていくところ。

全部、大嫌いだな。


「唯一の救いは、修二に会えたことだけだな」


冗談目かしてそう言ったら、修二は一瞬驚いたような顔をして、すぐに笑った。


「それは光栄だな。でも、うん。そうだな」


何かに納得したように頷いて、修二は笑った。


「なんか、悩みが解決できそうな気がしてきた」


答えは教えてもらえなかった。

夜中まで話して、翌日解散した。


そのすぐ後、修二は仕事を始めた。

その一年後、俺もようやく就職が決まった。


あの時の事を思い出して、何となく解った気がした。

持っていた本のタイトルを見る。

『こころ』というタイトル。

「あ、そっか」

不意に確信した。多分、正解だ。

もう、その本を開くことは無かった。

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