第4話

“傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づく程の価値のないものだから止せという警告を与えたのである。”

『こころ』の一節だ。

読んでいたら不意に、あの時の事を思い出した。

昔、一度だけ修二に拒絶されたことがあったな。

いつ頃の事だったか。

あぁ、確か、お互いが社会人になったばかりの頃だったはずだ。

修二は大学を卒業して、新卒で働き始めた。

俺は、就職活動を必死にやって、ようやく決まった会社で働き始めたんだ。


メールが届いた。

修二からだった。

内容は、お互いの就職祝いに飲みに行こうという誘いだった。

もちろん、了承した。

お互い働き始めたら、今よりも会いづらくなる気がしていたから、なるべく会う機会は大事にしたかった。

待ち合わせは、土曜日の夜だった。

居酒屋が多い駅の電光掲示板前での待ち合わせ。

人が多い駅だから、すぐに見つからないかもしれないと不安に思っていたらメールが届いた。


“電光掲示板前は待ち合わせ人が多いから、解りやすく仁王立ちして待ってるよ”


駅の階段を上がって、待ち合わせ場所を見るとすぐに解った。

腰に手を当てて、堂々と佇む男。柳瀬修二。

一瞬、他人の振りをして帰るべきか悩んだけれど、修二も直ぐにこちらを見つけたみたいで、姿勢を崩して手を上げた。

仕方がないので近付くと「会うのは久しぶりだな」と明るく言ってくるのだ。


「久しぶり。仁王立ちは止めろよな。普通に場所を取るし迷惑だろ」


直ぐにでもそこを離れたかったので、歩きながら注意をすると「目立ってたから解りやすかっただろ」と得意気に言ってくる修二。


「目立ちすぎ。夏のオリオン座くらい目立ってた」


軽くボケてみた。


「オリオン座は目立つな。最所に覚える星座の代表だ」


突っ込みが無かった。


「オリオン座は冬の星座だし、夏に見られるのは夜明け前だから、見えづらいって突っ込みはないのかよ」


仕方ないので催促をする。


「相変わらずわかりづらいボケだな。そこまで星座に詳しくないから」


冷静に返ってくる。

そのやり取りが楽しくて、居心地が良くて、修二と話すのは好きだった。


「オリオン座なら、有名だろ」


そう言って笑いながら目的の居酒屋まで歩いていくと、居酒屋で身分証明書を求められた。


「一樹は童顔だから、仕方ないな」


修二はそう言って笑った。修二だって、童顔のくせに。

店に入って適当に注文をして、乾杯をした。


「就職活動お疲れ様ー」


グラスを合わせて、俺も「お疲れ」と労うと、後は適当に喋って、飲んで、食べて、終わりだ。


「一樹はどんな会社?」


修二がお通しを食べながら聞いてきた。


「OA機器の販売代理店。営業職だよ」


会社情報を思い出しながら答えると、修二が驚いた顔でこっちを見てきた。


「一樹が? 営業職? マジで?」


失礼なやつだ。


「なんだよ、俺が営業職は変か?」


親しくならなければコミュ障は発揮しないから、出来るだろうと思っていたけど、修二のこの反応で不安になってきた。


「だって、一樹、コミュ障じゃん。出来るの?」


確かに、修二みたいなやつの方が営業は向いているのかも知れない。


「俺のコミュ障は友達限定だ。何か問題でも?」


ここはしっかり反論をするべきだと思って言ったら、諭された。


「何か問題でも? って言葉は問題が無いときに使う言葉だ。今の場合は問題はある。解りやすいボケは珍しいな」


ボケ扱いされた。

意味がわからないという顔をしていたのだろうか。修二が怪訝な顔で見てきた。


「友達限定のコミュ障って、普通に問題だからな? 誤解を招くし、会社でぼっちになるぞ」


今度は心配された。


「別にいいよ。修二が解ってくれてるから。それより、お前はどんな仕事すんの?」


適当に流して話を逸らそう。

そう思って、修二の仕事の事を聞いてみた。


「嬉しいけど、心配だなぁ。……俺も営業だよ」


大袈裟に溜め息を吐いた後、修二は仕事を教えてくれた。

具体的な仕事は、研修で教えてもらえるからまだ詳しくは知らないらしい。

その日は適当に話して、解散した。


そのすぐ後から仕事が始まった。

一週間程研修を受けて、外に出された。

初めて名刺を持ったときは、何だか感動したのを覚えている。


外回りの営業はキツかった。

とにかく色んな会社に訪問して、門前払いを食らって、時には怒鳴り付けられて。

話を聞いてもらえることの方が少なくて、落ち込んだ。

たまに話を聞いてもらえると嬉しくて、その日は他がダメでも気にならなかった。


そんな日々が続いて、二週間が経った日のことだった。

初めて、契約が取れた。

嬉しくて、帰ってから直ぐに修二にメールをした。


“初めて契約が取れた”


その一言だけを送ったんだ。

返事は直ぐに返ってきた。


“おー、良かったじゃん”


嬉しくて調子に乗ったのが、悪かったのかもしれない。


“修二は仕事どう?”

“俺はまだ研修期間”


新卒は、俺みたいな中途より大事に育てられているんだな、なんて暢気に思っていたんだ。

それから暫く、修二から連絡は来なくなった。

元々、頻繁に連絡をとっていた訳じゃないから気にしていなかった。

仕事も忙しくしていたし、相変わらず営業はキツかったから、気にする余裕もなかった。


そんなある日のことだった。


「この支店の撤退が決まりました」


上司に告げられた言葉。

突然の解雇。いや、自己都合退職するように言われたから、解雇とも違うか。

朝一で言われて、午前中に書類を提出したから、午後には家に帰れた。

帰ってから、悔しくて、苦しくて、涙が出てきた。


「なんで、残りたいって言ったのに」


残る選択肢も用意されていたけれど、却下された。

俺を育てる余裕はないし、営業には向いていないから辞めた方が良いって。

少ししたら、落ち着いてきたから携帯を手にとって修二にメールをした。

“支店撤退で、全員解雇になった。明日からまた就活”

しばらくは、アルバイトでも良いかもしれない。

そう思っていたら、返信が来た。


“残念だったな”


一言だけのメール。

返すことも出来なくて、携帯を放り投げた。


次の日、アルバイトの求人を探して、直ぐに面接に行った。

アルバイトは簡単に採用された。

就活も、これくらい楽なら良いのに。

あれから、修二と連絡は取っていない。

アルバイトを始めたことはメールで報告したけれど、返信は無かった。

忙しいのだろうと、気にもしていなかった。


半年が経った。

俺は相変わらずアルバイトを続けていた。

就活はしていない。

修二にも、あれ以来メールをしていなかった。


一年が経った。

相変わらずのアルバイト生活。

生活は苦しかったけれど、前の時よりは楽だった。

そんな時、修二からメールが届いた。


“次の土曜日、会える?”


それだけだった。

次の土曜日はシフトに入っていたけれど、夕方までだった。日曜日は休みだ。


“夕方までバイト。夜なら会える”


そう返すと、返信は直ぐに来た。


“なら、夜。家は変わってないから、バイト終わったら来て”


時間の指定もなく、終わり次第の約束。


“わかった。19時には行ける”


バイトが終わる時間と、修二の家までの距離を考えて余裕を見た時間を伝える。

いつも、そんな感じだった。


土曜日。

バイトが終わって、汗をかいたから、家でシャワーだけ浴びて、また出掛けた。

修二の家に行くのは久しぶりだった。

けれど、慣れた道のように感じていた。

最寄りの駅に到着すると、一応メールを送る。


“もうすぐ着く”


それだけ送って、コンビニで飲み物を二人分買って、手土産にする。

到着すると、玄関先で修二が待っていた。


「久しぶり。腹減ったから飯行こう」


そう言われて、飲み物だけ家に置かせてもらって二人で出掛けた。前に行ったラーメン屋だ。

何となく、喧嘩をしたときの事を思い出して気まずくなった。


あの時と同じように、無言で食べて、店を出た。

帰り道も静かだった。

元々人通りが少ない場所だったから、二人の足音だけが響いていた。

あの時の公園が近づいてきた。

あの時と同じように、修二が立ち止まって公園を指差す。


「ちょっと、寄ろう」


言葉もまるであの時と同じだった。

公園のベンチに座る。

また、上を見た。今日は星があまり見えなかった。

少しして、ようやく修二が話を始めた。


「ごめん。ずっと避けてた」


最初は謝罪から始まった。


「一樹のこと、嫌いとかじゃなくて、多分嫉妬してた」


言いづらそうに、それでも伝えようとしてくれている修二が、何だか珍しかった。


「同じ営業で、俺は研修ばかりで、一樹は外回りも始めてて。俺がやっと外に出られたときには、一樹が契約を取ったって言っててさ」


いつの事か、すぐに解った。


「焦って、俺もやってやるって思ったのに、上手くいかなくてさ。そしたら、一樹が会社辞めたって」


その時の事を思い出すと、今でも苦しくなる。


「その時、俺さ。ホッとしたんだ」


修二が俯いたまま話を続けた。


「友達が無職になって、ホッとするとか最低だろ。でも、思いつく言葉は最低なことばかり」


あの時、修二が送ってくれたメールを思い出す。

確かに、修二にしては素っ気なかったかもしれない。


「同じ営業の立場で、負けてる気がして悔しくて、一樹のことを見下してた自分に気付いて。一樹と会ったらきっと、見下すから。だから、避けてた。会いたくなかった。一樹を見下す俺の存在を認めたくなかった」


苦しそうに話す修二を見ていた。

何故だろう。修二がとても苦しそうなのに、俺は何も感じなかった。

修二が何を言っているのか理解ができなかった。


「このまま、疎遠になっても良いかなって思った。実際連絡を取らなくなって、会わなくなって、今までと何も変わらなかったしさ」


そうだろうな。

今までも、思いついたときに連絡を取って会ってたいただけだから。


「でも、最近さ。暇だなって感じたときに一樹に連絡しようとしている自分がいて。それで、やっぱり疎遠になるのは無理だなって」


ようやく修二が笑った。


「だから、ちゃんと謝ろうと思ってさ。ごめん。勝手に嫉妬して、勝手に嫌になってごめん」


また、修二が謝った。

その顔を見て、修二が吹っ切れたことを感じた。だから、聞くことにしたんだ。


「ごめん、今の話さ。なにか問題あった?」


そう聞くと、修二が真顔になった。


「いや、だって。全部修二の気持ちの問題だし。俺に被害無かったし。むしろ、気付かなくてごめん」


そう言うと、今度は驚いた顔をされた。


「気にしてないの? 俺、勝手に一樹を嫌いになったって言ったんだけど」


何を言っているんだろうか。


「嫌いとかじゃなくてって言ってたくせに」


笑って言うと、修二が焦り始めた。


「いや、言ったけど。そうじゃなくて!」


焦っている修二が面白くて、また笑えてきた。


「人が真剣に悩んで謝ったのに笑うとか、結構酷いよな」


今度は不貞腐れた。

表情豊かな奴だ。


「拒絶されてたみたいだけど、ちゃんと連絡くれたし、それでいいじゃん」


思ったことを口に出したら、修二が呆れたように笑い始めた。


「お前さ、結構大人なのな。俺の方がガキみてぇ」


本当に、修二という男は面白い。変なところを気にするのだ。


「見下したって、別にいいんじゃないか? 実際、修二の方が俺よりずっと優れた人間だと思うし。それに、俺はそんなこと気にしない」


修二が落ち込んだ理由も解らないし、拒絶しようとする理由も解らない。

解らないのは、きっと俺の方の問題なんだ。


「怒らないのか?」


修二が聞いた。


「怒らない。理由がない」


正直に答えた。


「ホントに、お前はそういう奴だよな」


また、呆れられた。

でも、俺はこういう人間だから仕方ない。


「あー、なんか喉乾いた」


そう言った修二が立ち上がり、公園の入口にあった自動販売機で飲み物を買ってきた。


「ほれ、お前の分」


渡されたのは、お茶だった。


「自分だけジュースとか、ずりぃよ」


「だって一樹、溢しそうだし」


言い返せなかった。確かに飲み物をよく溢すのは否めない。


「23年間毎日やってるけど、未だに飲むのは下手くそなんだよ」


いつになったら上達するんだろう。

そう真剣に考えていたら、笑われた。


「おまっ! 人が飲んでるときに笑わすな!」


どうやらジュースを溢したらしい。ざまぁみろ。


「お前だって溢すじゃん」


「お前のせいだろ!」


そう言って怒るくせに、顔が笑ってる。

一頻り笑った後、またお喋りをする。


「俺、未だに一樹のことよく解んないかも」


修二が言う。


「結構解りやすいと思うけど?」


これは完全に嘘だ。自分でも自分のことが未だに解らない。


「絶対嘘だ。ボケ方とか、怒るポイントとか、達観してるくせにガキっぽいところとか、よく解らん」


本当に修二は俺をよく見ている。


「ボケは解りやすいだろ。怒るポイントは……気持ちを強制されたら怒るかも。それ以外はあまり気にならない」


自分で答えながら、やっと気づいた。

仕事を辞めるとき、続けたい気持ちを強制的に排除されたから悔しくて仕方なかったんだ。


「そっか。思ってたよりも、ずっと一樹は大人なのかもな」


そう言って修二が上を見上げた。つられて俺も見上げると、少し星が見えるようになった。


「そういや、気持ちは落ち着いたのか?」


いつの間にか笑い合っていたから、無理をしてないかだけは確認したかった。


「いや、実は結構前から落ち着いてた。謝ろうと思ったら、なかなか気恥ずかしかっただけ」


新事実発覚だ。苦しそうに見えたのは何だったのか。

驚いて修二の方を見ると、彼は笑っていた。


「実はさ、俺も仕事辞めて転職活動中なんだよね」


笑いながら言うけれど、それは結構重要なことではないのだろうか。

そう思っていると、彼は笑ったまま「営業は、合わないみたいだ」と言う。

理由は聞かなかった。彼なりの理由があったのだろう。


この日、初めて修二に拒絶された事実を知って、初めてお互いのことを理解するための会話をした気がした。


あの時の事を思い出すと、少し苦しくなる。

修二が言っている言葉が理解できなかったこと。

修二が謝ってきたけれど、本当は自分が謝るべきじゃないかと思ったこと。

苦しそうに話す修二が、本当は俺の方から離れて欲しがっていたように思えたこと。

色んな事が重なった時期だからか、苦しい思い出だ。

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