最終話 柿坂 vs. フロイド

 モンクは身の回りのものを旅行カバンに詰め終わったところだった。

 バスルームから、ジーパンとシャツに着替えたフロイドが出てきた。カラーコンタクトをはずした瞳は緑色をしていた。

 机の上には、宝石をちりばめた「足枷」が置かれている。

「本当に遺族に渡すのか? あの社長ならきっといくらでも出すぞ」とモンク。

「あんな所にあるべきじゃない」

「ま、俺はどっちでもいいさ。…ところで、今度プログラマに化ける時はもうちょっと勉強したらどうだ。俺が助けなきゃ、どうなっていたか…」

「もうわかったよ。それより、データを消し終わったら直ぐ逃げよう」


 メガソフト社の前に止ったパトカーの中で、柿坂はファックス用紙に印刷された地図を見た。

「まさか、ここから数十メートルの所とは」

 柴崎警部が赤鉛筆の印を指した。

「住居用の建物はそれしかない」

 柴崎はパトカーを発進させた。サイレンは鳴らさない。

 後ろからついて来るもう一台のパトカーには、柴崎の部下が二人乗っていた。

「まだ逃げるなよ」


 フロイドが足枷をバッグに詰めた時、机の上で携帯が鳴った。

 二人は身を固くした。

「誰だ?」とモンク。

 フロイドは携帯の表示窓を見た。

「柿坂チーフ?!」

「教えたのか?」

「まさか」

「じゃあ、バレたか」

「急ごう!」

 フロイドはスニーカーを履き始めた。

「…待てよ」モンクは呟いた。「どうして電話なんかして来たんだ? この部屋が分っていれば、いきなり踏み込んでくるはずだよな。ひょっとして敵さんは、まだこの部屋がわかってないんじゃないか? それで俺たちをいぶり出すために、電話をかけてきたんじゃないか? おい、出て行くのはヤバイ。出口で待ち伏せしている」

 だが、フロイドは扉に手をかけた。

「だからって、ここに閉じこもっているわけにはいかないよ。マンションの部屋をしらみつぶしにされたらおしまいだ」

 モンクは不安げにうなずく。

「結局、今出ていくしかないのか」

「大丈夫、素直には出ていかないよ」


 柿坂と柴崎警部は、そのマンションの玄関ロビーに居た。

 携帯を手にした柿坂は言った。

「切られました。居るみたいです」

「じゃあ、そろそろ出て来るな」と柴崎。「柿さんはここを頼む。俺は裏の非常階段へ回る。部下を一人駐車場へやっておいた。もう一人は、パトカーに待機させてある。何かあったらこれで連絡してくれ」

 柴崎は柿坂に小型トランシーバーを渡すと、ロビーを抜けてマンションの裏口へ走っていった。

 ひとりになった柿坂は、静まり返ったロビーで耳をすませた。エレベーターの脇には階段がある。そこから、今にも、フロイドが降りてくる足音が聞こえてきそうだった。

 エレベーターの階数表示が動いた。三階で長い間止まっていたが、やがて下に降りてきた。

 ——フロイドがのこのことエレベーターで降りてくるか?

 柿坂は階段を見た。

 エレベーターが一階に着き、扉が開いた。

 中はからっぽだった。

 柿坂は反射的に階段へ向かった。が、そこにも誰もいない。

 エレベーターに取って返し、階段の方にも注意を向けながら、空の箱の中をのぞき込んだ。上下左右を見ると、天井にある点検用出入り口の蓋が少しずれていた。フロイドはこの上にいる。

 その時、階段の方から、はっきりと人の声が聞こえて来た。

 やはりあっちか!

 反射的に走り出そうとした柿坂は、次の瞬間踏みとどまった。

 いや、フロイドはここにいる。

 エレベーターの扉が自動的に閉まった。

 柿坂はその場を動かなかった。

 階段の方から聞こえてくる声は、よく聞くとラジオか何かのようだ。

 ——罠だ。タイマーでもセットしたのだろう。

 エレベーターの扉が再び開いた。

 緑の目をした可奈子と、ひょろながい若者が、走り出そうと身構えていた。二人は正面にいた柿坂の姿に気づいて棒立ちになった。

「チーフ」可奈子は言った。

「足枷を返せ」と柿坂。

 可奈子は柿坂の脇から正面出口の方を睨んで、身をかがめた。

「やめとけ。俺がアメフト選手だったのを忘れたか」

「いちかばちか、やってみるよ」

「外には警察がいるぞ」

「くそっ!」

「二人ともそこを動くなよ」

 柿坂はトランシーバーを口に当てた。

「足枷を盗んだのは盛高の方だ」と可奈子は言った。「盛高がハッキングしたのを、知らないとは言わせないよ」

 柿坂はトランシーバーをゆっくりと口から離し、

「じゃあ、あのファックスは本当なのか?盛高がオークションで不正を働いたというのは?」

 可奈子はうなずく。

「遺族にとって、あの足枷は、お金に代えられない意味があるんだ。それを盛高は騙し取った。そんな奴の味方をするつもりか?」

 柿坂は答えず、再びトランシーバーを口に当てた。

「盛高の犬!」可奈子は叫んだ。

 柿坂は、加奈子の緑の目をじっと見つめると、トランシーバーに向って喋り出した。

「柴崎警部、フロイドを…、取り逃がしました。駐車場の方に逃げたようです。全員、そちらへ急行させてください」

 トランシーバーから「わかった」という返事があった。

 一瞬ポカンとした可奈子は、すぐに我に返って柿坂の横をすり抜けた。

「パトカーに気をつけろ」柿坂は言った。

 振り返った加奈子は、柿坂にウインクし、ひょろ長い若者と一緒に正面玄関から走り出て行った。

 駐車場の方から柴崎の叫び声が聞こえた。

「そっちにもいないか!」

 柿坂は心の中で柴崎に謝った。

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