第30話 敗戦処理

 警備管理室に戻った柿坂は、部下の警備員たちに、今晩中このまま警備を続けるよう指示した。保管庫にはまだ他の美術品が残っている。

 柿坂はデスクに両手をついて大きなため息をついた。体が重い。疲れがドッと出ていた。

 ——これで終わった。盗まれた手口をいくら言い当てたところで、どうにもならない。

 後悔の念が湧いた。こんなことなら、盛高のいいなりになって、あんな指紋照合やら何やらを取り付けさせなければよかった。断固として断っていれば、こんなことには…、いや、いまさら言ってもしょうがない。全ては終わったのだ。俺は仕事を全うできなかった。

 柿坂は椅子に尻を落とし、頭を抱えた。

 本社にはどう報告しよう? そして、その先、俺はどうなるのか。コンピュータに弱いという俺の悪評はますます高まり、会社にいづらくなることは目に見えている。…ちがう、コンピュータに弱かったせいではない。まるで小学生の工作のように単純な手に、してやられたのだ。フロイドめ、何て奴だ。指紋や音声認識なんかを取り付けたばっかりに、あんな小細工にしてやられたのだ。昨日取り付けたばかりのものを…。

 柿坂は反射的に体を起こした。

 昨日取り付けられたのを、なぜ知っている? …それに、社長がテンキーを使ってパスワードを入れていたことも、フロイドは知っていた。フロイドは近くにいたのだ。それも、盛高に相当近い場所に。それに、社長の弟がデクスターであることも知っていた。それを知っているのは、柿坂と、柿坂の報告を聞いた野際、あとは…可奈子? 

 柿坂は顔を上げて可奈子を探した。今日の夜番で居るはずだったが、見つからなかった。

 当直の警備員に向かって言った。

「今日の夜番のプログラマーは誰だ?」

「小田さんですが」

「どこに行った?」

「そういえば…、トイレへ行ったきり、まだ帰って来てませんが」

「本当か?いつからだ?」

「ええと、そういえばもうだいぶ経ちますよ。盛高社長がファイルを探しにここにいらした時からです。小田さんがトイレに行っていたので、私がチーフのデスクを教えたんです」

 柿坂は弾かれたように立ち上がった。

「フロイドだ!」

 すぐにデスクの引き出しを開けた柿坂は、プリントアウトしたフロイドの資料を出し、大慌てでめくった。可奈子の声が頭に浮かんだ。『何でもコンピュータの方が早いと思ったら、大間違いですよ』。

 目指す場所はすぐに見つかった。ドイツ警察からの報告書で、文書の一か所だけに『彼女』という言葉があった。他の資料では、全て『犯人』か『この人物』という言い方がされていたが、この一か所だけが『彼女』となっていたのだった。翻訳者のミスだろう、と柿坂はずっと思っていた。まさか、フロイドが女性だなどとは、考えてもみなかった。

 柿坂は、背後のキャビネットを開け、狂ったように中を探した。可奈子の履歴書がどこかにまだあるはずだ。

 ——しかし…本当の住所を書くほど間抜けじゃない。電話番号もでたらめに決まっている。電話番号…。

 番号をメモしてあるのを思い出した。

 だが、ポケットの手帳を探す途中、柿坂は手を止めた。

 ——番号がわかってどうなる?

 フロイドは出ないだろうし、出たとしても居場所を教えるはずはない。

 車両追跡のGPS装置が携帯にも付いていればいいのだが、そんな都合のいい携帯は世の中のどこにもない。

 くそっ!

 柿坂は、自分の拳で反対の手のひらを何度も打ちつけた。

 ——待てよ、前も同じようなことが…。あれは、晴彦が帰らなかった時…、携帯のあり場所の地図…ファックスで……

 電話に飛びつくと、番号案内で加奈子の携帯会社の番号を調べた。携帯会社に電話すると、夜中の三時を過ぎていたにもかかわらず人が応対した。だが、あらかじめサービス登録をしておかないと地図は送れない、と断られた。犯人捜査のためだ、と言ってもだめだった。

 ——くそっ、これが警察なら話は違うのに。

 そう思った柿坂は、以前柴崎警部が電話局から重要参考人の住所を聞き出したことを思い出した。

 受話器を上げると、柴崎の自宅の番号をダイアルした。

「頼むから起きてくれよ…」

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