第26話 フロイドの策略
自分のデクスに戻る途中、柿坂は体から力が抜けていくのを感じた。癪にさわるが、盛高にはかなわない。盛高は警備システムの穴を塞ぎ、ワクチンでウィルスを駆除し、その次のフロイドの手——電磁波銃を読み切っただけでなく、次の手まで考えてある。声と指紋認証という最新の守りを、フロイドが破れるはずがない。
もちろん、足枷が無事ならばそれが一番だ。しかし、頭でそう分かっていても、柿坂の空虚感は消えていかない。
この仕事は俺にとって子供のようなものだ。この仕事のために、あれだけ走り回り、心配し、怒り、懇願した。それなのに、今、あっけなく柿坂の手から連れ去られてしまった。『もう君の出番じゃない』と盛高は言った。確かにそうかもしれない。コンピュータのプロ同士の戦いに、柿坂の出番はない。
落胆する柿坂の目に、可奈子の姿が映った。
あやまっておかなければ。
柿坂は力をふり絞って席を立った。
可奈子は柿坂に気付くと、急に席を立って部屋を出て行った。
柿坂は後を追った。廊下で追いついて声をかけたが、可奈子は止まらない。仕方なく、彼女の前に回り込んだ。
「何かご用でしょうか」
可奈子は事務的に言った。
「昨夜のことで…」
「それなら気にしないでください。もう忘れてますから」
「そ、そうか、うん、それならいいんだが…」
いいはずはない。
柿坂は言葉を続けた。
「…いや、それでもちゃんと謝っておきたいんだ」
「全然平気ですから」
可奈子は歩き出した。
柿坂は彼女の腕をつかんだ。
「待ってくれ」
メガソフトの社員が、怪訝そうな顔で通り過ぎた。
柿坂は声を落とした。
「あの時は本当に悪かった。してはいけないことを…」
「謝るのも仕事のうち、ですか?」
「そんな…。本心から言っているんだ」
通りがかりの社員がまた柿坂の方を見て行った。
可奈子はそれを気にしていた。
「…でも私は今仕事中ですし」
「じゃあ…、昼でも時間を取ってもらえないか?」
可奈子は数秒考えて言った。
「それが……今日のお昼は盛高社長に誘われているんです」
昼休みに、柿坂がひとりで食事に出かけようと通用口を出ると、ビル正面に社長専用車がとまっているのが見えた。玄関から盛高が現れた。後についているのは可奈子だった。
深々とお辞儀をする運転手を無視して、盛高は精一杯威張ってリムジンに乗り込んだ。
可奈子の表情はよく見えなかった。喜んでいるようでもあり、仕方無くついて行く、というふうにも見えた。
柿坂は、嫉妬とあきらめの入り混じった気持ちになった。世の中、こういうふうに出来ているのだ。俺は盛高のように頭が良くないから、何をやってもだめなのか。可奈子が盛高にひかれたとしても当然だ。俺なんかより、盛高の方がはるかに先見の明があり、力もあるのだ。
柿坂は食事をする気もなくなっていた。
モンクは、Eメールをチェックするためにコンピュータを始動させた。
フロイドは、大事な用件を送ったと言っていた。まさか、この仕事はあきらめる、などと書いてあるのではないか?
思い返してみれば、電磁波銃が失敗したあとのフロイドはかわいそうなくらい落ち着きを無くしていた。予告した二十六日が迫っているのに、新しい手が思い浮かばなかったせいだ。「何も父親の命日なんかにこだわる必要ないじゃないか」とモンクが言うと、フロイドは首を振った。フロイドはどうしてもこの仕事を成功させてから、親父さんの墓参りに行くつもりなのだ。だが、どうやって盗む?
コンピュータが動き始めた。
Eメールを読んだモンクは当惑した。
『次のものを買って来てほしい。ハサミ、カッターナイフ、鉛筆、灰色のカッティングシート(裏の剥離紙をはがすと全面に糊がついている大きなシール、一メートルくらい)新しいビデオテープ。ビデオテープはベータマックスの高画質EDベータテープを頼む。 フロイド』
モンクに理解できたのはビデオテープだけだった。それ以外は、とうてい盗みに使うものとは思えなかった。
「学芸会でも始める気か?」
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