第25話 盛高の勝利

 次の日の深夜、モンクとフロイドは、メガソフトのビルに忍び込んだ。

 偽のIDカードを使って入口のチェックを難なく通り抜けると、二人は保管庫のある階に向かった。

 警備管理室から、警備員が定時巡回に出て行った。プログラマーがひとりでコンピューターに向かい、髪に手を入れてボリボリと掻いていた。

 予定通りだ。

 モンクは身を低くして部屋に忍び込み、催眠ガスのスプレーを男に向け、軽く咳払いをし、男が振り返ると同時にスプレーを吹き付けた。

 男は口をパクパクさせた後、おとなしく椅子に沈み込んだ。

 どうもこういうのは好きになれない…、とモンクは思った。ハッカーはやはりハッキングの方が向いている。

 あと数日待てばこんなことをしなくて済んだのだが、父親の命日にフロイドがこだわるからしかたがなかった。

 モンクは警備コンピュータのキーボードに触れてみた。やはりロックされていて何の反応もない。ロックを解くキーワードは、今出て行った警備員だけが知っているのだろう。だが、そんなもの必要ない。

 モンクは、ナイロンバッグのジッパーを開け、中から自動車のバッテリーを取り出した。

 フロイドはすでに電磁銃を準備していた。銃から伸びた電線をバッテリーに繋ごうと、モンクは腰をかがめた。

 その時、壁の下方に、緑のランプを点けた妙な箱が取り付けてあるのに気が付いた。それはひとつではなく、部屋中に一定間隔に配置されていた。フロイドも気づいた。

「アンチディバイスか?」

 モンクは囁いた。

「かもね」

「どうする?」

 フロイドは、目を細めただけで何も言わなかった。

「システムと連携していたらやっかいだぞ」とモンク。

 銃が効かないだけならまだいい。しかし、警報まで鳴り出してはコトだ。

 フロイドの緑の目がギラリと光った。

「どうする?」

 モンクは腕時計を指す。警備員が戻って来る頃だ。

「いちかばちかだ」

 フロイドは電磁波銃をコンピュータに向け、スイッチを入れた。

 警報は鳴らなかった。だが、警備システムも、正常通り動きつづけた。


 翌朝、柿坂が管理室に着くと、メガソフトの技術者があわただしく出入りしていた。 

 彼らはタバコ大の装置を机に並べ、何やら調べていた。緑のランプは、全て点滅を繰り返していた。

 夜勤明けでぼさぼさの髪をしたプログラマーが、興奮した声で言った。柿坂が雇った鮫島巌だった。

「盛高社長は天才ですよ」

「何かあったのか?」

「ええ、フロイドが」

「現れたのか?」

「らしいんですが…」

「らしいとはどういうことだ」

「僕はスプレーで眠らされちゃって。でも、この装置のおかげで何ごともなかったんです。さすが盛高社長」

「どうしてすぐ俺に連絡しない?」

「盛高社長が、その必要はない、と」

「そんなことを言ったのか?」

 そこへ盛高が入って来た。

「どうだ、予想通りだろう」

「じゃあやっぱり…」

「電磁波銃だよ。装置にちゃんと記録が残っている」

「で、足枷は無事だったんですね」

「決まってるだろう」

 柿坂はほっとすると同時に、がっかりもした。盛高の予想が当たったということは、盛高に警備の指揮権を譲らなければいけない。

「君に、次の手を見せてやろう」盛高は言った。

 次? この上、まだ次の手が必要だと言うのか?

「フロイドはあきらめないと思っているんですか? 今から別の手を考えるにしても、予告の二十六日までたったの二日しかありませんよ」

「だから君はダメなんだ。常に先回りして手を打たないから、ろくな警備ができない」

「ろくな警備!?」柿坂は目をむいた。

「私がいなければ、今ごろ、足枷はどうなっていたかね?」

 柿坂は言い返せない。

「今ごろフロイドは、別の手を考えているだろう。おそらく警備システムを、新たな弱点を見つけるために、徹底的に調べ直しているはずだ」

「それなら…」柿坂は、今まで何度か言い出そうとしたことを言った。「足枷を別の場所に移しましょう。銀行の金庫か何かに。それが一番安全です」

「そんな必要はない!」盛高は突然大声を出した。「逃げる気はない」

 逃げる?

 なぜ逃げることになるのか……不思議に思った柿坂は、盛高の興奮した様子を見て納得した。

 ——意地になっている…

 フロイドと勝負でもしている気なのだ。

 盛高は意味ありげに笑い、

「私の部屋に来てみなさい」

 盛高について廊下へ出ると、社長室の前に人だかりができていた。

「何ごとですか?」

「勉強させようと思って社員を呼んである」

 社長室に入った盛高は、保管庫を指した。

 扉の脇の操作パネルから、見慣れた入力用の数字のキーボードがとりはずされていた。残っているのは、装置がオンになっていることを示す赤のランプと、装置の状態を示すいくつかの緑のランプだけだった。

「パスワードを入れるテンキーは取った」と盛高。

「待ってください! 勝手にそういうことをされては…」

 警備システム全体に、どんな不具合が起ってくるかわからない。

「昨日言ったことをもう忘れたのか? 指揮権を譲るとか譲らないとか言っていた気がするが…」

「それは言いましたが」

「君に、何か策はあるのかね」

「い、いえ…」

「そんなことで足枷を守り切れるのかね?」

 柿坂は黙るしかなかった。

 盛高は、デスクの上にある自分専用のコンピュータを指した。

「今後は、このコンピュータからしかパスワードを受け付けないようにセットし直した。今までは、操作パネルについたキーボードでパスワードを入れれば扉が開いてしまったが、これからは違う。このコンピュータを起動させて、ここからパスワードを入れないといけない。ふふ、フロイドは、今度は、このたった一台のコンピューターを起動させないといけなくなったわけだ」

「しかし、起動させるくらい誰でも…」と柿坂。

「だから音声認識と、指紋照合装置を組み込んである」

 入口に集まった社員から「ほう」という声が漏れた。音声認識も指紋照合も、これまで研究はされていたが、実装された例はまだない。(※注)

「どういうことかわかるかね?」

「いいえ」

「だろうな…。このコンピュータは、声と指紋で、私と他人を区別するのだ」

 盛高はコンピュータのスイッチを入れ、マウスに手を置いた。モニターが明るくなると同時に、透明なマウスがチカチカと赤い光を発した。続いてスピーカーから合成音の声がした。

「こんにちは、お名前をどうぞ」

「日本メガソフトの盛高だ」

 コンピューターはシステムソフトを読み込み始め、数秒するとパスワードを要求する欄が現われた。

 盛高が社員たちに背を向けてパスワードを入れると、保管庫の扉が開いた。

「今度は君がやってみたまえ」

 盛高はコンピュータのスイッチを切り、柿坂をキーボードの前に呼んだ。

 柿坂は同じようにスイッチを入れ、マウスに手を置いた。画面が明るくなり、透明マウスがチカチカと光った後、突然画面が暗くなり、コンピュータは止まってしまった。

「指紋ではじかれた」

 盛高はそう言い、もういちどスイッチを入れ、今度は自分の手をマウスに置いた。

「こんにちは、お名前をどうぞ」

 と合成音が流れた。

 盛高は柿坂に向けて顎をしゃくった。

 柿坂は盛高の声を真似て言った。

「日本メガソフト、盛高だ」

 画面がまた暗くなり、コンピュータは止まってしまった。

「わかったかね? 私がスイッチを入れた時だけ反応し、他人だと動き始めない。動き始めないのでは、パスワードを入れることはできない。保管庫は、声と指紋とパスワード、三重の守りで固められていることになるわけだ。例えフロイドがパスワードを手に入れて、ここまで来たとしても、それを打ち込むコンピュータが動き出してくれないのでは、どうしようもあるまい」盛高は自慢げに言った。

 柿坂はなぜか苛立った。盛高に主導権を握られてしまったせいだけではない。長年の警備の勘が、何かの危険を告げていたからだ。

 柿坂は、廊下に集まる社員をチラと見ながら言った。

「しかし、警備の内容をこんなふうに公表してしまうのはいいこととは…」

 誰がフロイドに通じているかわからない。

 柿坂は、その中に可奈子の姿を見つけた。後で呼び止めて、あやまっておかなければ。

 「そんなことはわかっている」盛高は声を大きくした。「だが、たとえフロイドだろうが何だろうが、初めて見る世界最新の技術にどうやって立ち向かうね? これは私からの、フロイドへの挑戦だ。メガソフト社の技術力は、つまらん泥棒などにびくともしないことを証明してやるのだ」

 社員たちは吸い込まれるように社長を見つめ、うなずいた。中には、拍手する者もあった。可奈子も盛高を見つめていた。

 盛高は、芝居がかった身ぶりで柿坂を指した。

「もう君の出番じゃない」                    


※指紋認証システムについては、世界をリードしていたNECが1995年に「世界電気通信展示会(World Telecom 95)」でプロトタイプを発表。それが実用に耐える製品になり、世に送り出されたのは1999年のこと。

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