第24話 どん底のプライド

 柿坂は、自宅に帰るタクシーの中で、可奈子の唇の柔らかい感触を思い出していた。

 ——なぜあんなことをしてしまったんだろう?

 あの時、可奈子の反応は何もなかった。抵抗もしなかったが、かといって柿坂に体をあずけてもこなかった。柿坂が手を離すと、何ごともなかったかのように「おやすみなさい」と言って、自分のタクシーに乗り込んだ。

 ——俺のことをどう思っただろう? 軽蔑したか? …きっとそうだ。人を殺してもいいと思っているようなクズ人間で、しかも、無理やりキスまでするような男なのだ。軽蔑しないはずがない。

 翌朝、出勤した柿坂が警備管理室に行くと、部屋の入口から「ぐずぐずするな」という盛高の罵声が聞こえてきた。

 中に入ると、部屋のあちこちにメガソフトの技術者がしゃがみ込み、何やら煙草の箱ほどの大きさの装置を取り付けていた。

 可奈子の姿はなかった。

 ——そうか、友達と映画に行くと言っていたっけ。

 柿坂は盛高の元へ行き、

「何ですかこれは?」

「説明してもわからんよ」

 盛高はそっぽを向いたまま言った。

「失礼ですが社長、私は現場のチーフですよ。一応、何でも知っておく義務がある」

「ほう、ずいぶん偉くなったな。ワクチンを手に入れたんで、昇進でもしたか」

「足枷を守るのが、私の仕事です」

「かと言って無知が治ったわけではあるまい」

「説明してくださらないのなら、私の権限で、その箱を取り外させますよ」

「お前にそんな権限などない」

 盛高は挑むように柿坂を見た。

 柿坂は、近くに置いてあった道具箱からドライバーを取り、取り付け終わったばかりの装置を外し始めた。

「馬鹿め、まるで子供だな。…わかった、説明してやろう」

 柿坂はドライバーを放り出して立ち上がった。

「電磁波銃だ」

「デンジハジュー?」

 盛高は、それ見たことかという顔をした。「強力な電磁波で、コンピュータを麻痺させる銃だ。コンピュータの内部回路だけを狂わせてシャットダウンさせる、最新兵器だ」

「そんなものをフロイドが手に入れたんですか?」

「いいや、誰でも簡単に作れる。コイルと、トランジスタと、アンテナ、バッテリーパックさえあればな」

「じゃあ、あの装置は?」

「電磁波銃を無効にする装置だ」

「フロイドの情報が何か入ったんですね」

 盛高は大袈裟にため息をつき、首を振った。

「知識さえあれば誰でも予想できることだ」

 柿坂は奥歯を噛み締めた。フロイドの先手を打ちたいのは柿坂も同じだが、盛高にはたやすく気がつくことでも、柿坂には思いもつかない。

「しかし、私の許可なく勝手にやられては…。それに、本社ともすりあわせておかないと」

 柿坂は意地になっている自分に気がついた。盛高に現場の主導権を渡すわけにはいかない。コンピュータでは盛高が上かもしれないが、柿坂は現場警備のプロだ。

「何が私の許可なく…だ、ワクチンを手に入れたとたん安心し切ってボーッとしているような奴に現場を任せられるか。フロイドが言った二十六日まであと三日だ。この大事な時に、間抜けに任せてはおけない。今、君の上司に交渉して、私が現場の指揮を取れるようにしているところだ」

 ——何だって?

 まさか柿坂の頭越しに、そんな話がされていようとは思わなかった。しかし野際は何と返事をするだろうか? 盛高に媚びている野際なら「うん」と言いかねない。そうなれば、柿坂はこれから、盛高の命令に従わなければならなくなる。

 ——そんなことならいっそ……

「わかりました。社長の言うとおり、もしフロイドが、本当にその電磁波銃というやつで攻撃してきたら、それ以後の指揮権は、社長にお譲りしましょう」

「当然だよ」

 盛高はニヤリと笑うと、短い足を精一杯に広げて部屋を出ていった。作業を終えた技術者も後に続いた。

 部屋の隅々で緑のランプを光らせている装置を柿坂は見た。

 ——盛高などに、フロイドの手が読めるわけはない。


「まさかワクチンを手に入れるとはな」

 モンクは言った。

「大丈夫、新しい手を考えてある」

 とフロイド。

 モンクはマンションの部屋の隅を指した。

「あれがそうか?」

 そこには、自動車のイグニッションコイルと電線、何個かのバッテリーパック、テレビのパラボラアンテナ、その他ダイオードや抵抗などの部品がまとめて置いてあった。フロイドから指示を受けて、今日、モンクが買い集めてきたものだった。

 モンクは眉をひそめた。

 フロイドは、一体何を作るつもりなのか?

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