第20話 デクスターの交換条件
「その美しきサラリーマン根性が、どこまで本物か、試してみよう」デクスターは言った。
「と言いますと?」と柿坂。
「命と引き換えでどうだ?」
「命? ご冗談を」
デクスターは、柿坂の両脇に立っている二体の人形を指した。
「こいつらに仲間を作ってやりたいと思っていたところだ。先日やってきたサラリーマンを、鑞で処理したんだよ」
まさか。
「よく見てみろ。顔のあたりなど、まだみずみずしいぞ」
近寄って見ると、顔の部分に、皮膚が干からびたような細かい皺がたくさんあった。
柿坂は、デクスターが裏の世界の人間だということを思い出し、背筋が寒くなった。
出口扉には、さっき鍵がかかったはずだった。
脇の下から冷たい汗が流れた。
デクスターは押し殺した笑いを漏らした。
「冗談に決まってるだろう」
——どこまで信じられる?
デクスターは続けた。
「…だが、命はもらう。自分の命が惜しいなら、代わりに誰かのを差し出してもらおう」
柿坂は訝しげにデクスターを見た。誰かを殺せと言うことか?
「そんなに難しい顔をしなくてもいい。楽しいゲームをするだけだからな。実は、今まで相手がいなくてね。一回だけ相手をしてもらえれば、ワクチンはおみやげに差し上げよう」
「ゲーム?」
「その通り。植物人間という言葉は知っているだろう? 生命維持装置でかろうじて生き長らえている人間だよ」
柿坂は黙ってうなずいた。
「日本に何人くらいいるかご存じかね?」
柿坂は無言で首を横に振る。
「…だいたい五千人くらいだ。そのうち千人の命が、今、私の手の内にある。どういうことか説明してやろう。私がこれまでにハッキングした大病院のコンピュータには、千台の生命維持装置が繋がっているということだ。当然、千人の人間が繋がれている」
デクスターは、テーブルの上のコンピュータを柿坂の方へ向けた。「その装置は、ここから、いつでも好きな時に、好きなように操作できる。もちろん止めることもできる。…さて、ここからがゲームだ。原理はルーレットと同じで簡単だ。キーボードを一回叩くと、千人の患者の名前が連続して画面に映る。名前を読もうとしても早いから無駄だぞ。もう一度キーを叩くと止まる。その時出た名前が死ぬべき人間というわけだ。後はコンピュータが自動的に装置を止めてくれる。君がやることはキーボードを二度叩くだけだ。どうだ、コンピュータというのは便利だろ?」
柿坂はデクスターを睨んだ。
「…そうそう、忘れるところだった。この千人の中にはジョーカーが一枚入っている。わかるね、君の親父さんだ』
柿坂の心臓が大きく打った。なぜ知っている?
「もし君の親父さんの名前が出たら、…最も千分の一の確率だからまさかとは思うがね、万一そうなったら不運だと思うことだな。親父さんは死ぬが、ワクチンは渡せない。ふふ、そんな顔をするな。人生に不運はつきものだ」
柿坂は胸がむかついた。たちの悪い冗談だ。そうだ、冗談に決まっている。本当は病院のコンピュータなどに繋がってはいないのだ。
そう自分に言い聞かせた柿坂は、無理矢理笑いを絞り出した。
デクスターはそれに対抗するように、かみそりのような笑いを返し、キーボードを柿坂の方へ押しやった。
「さあどうぞ」
柿坂はキーボードを見つめた。もしデクスターの言うことが本当なら、柿坂は人の命を奪うことになる。いや、本当のわけはない。
柿坂は、盛高そっくりのデクスターを見つめ、表情から何かを読み取ろうとした。
——ハッタリに決まっている。俺がコンピュータに疎いことをどこかで調べ上げ、でまかせを言っているのだ。その手には乗るか。何としてもワクチンを持って帰ってやる。
柿坂は恐る恐る手を伸ばし、キーを押した。画面に名前が連続して映った。
デクスターは満足げに笑った。
「やはり仕事が大事か。…さあ、もう一回だ」
柿坂は手をゆっくり降ろした。キーの表面が指に触れた。
——どうする? もし本当なら、指をあと数ミリ動かすだけで、何キロか離れたどこかの病院で、誰かが死ぬ。
しかし柿坂には、実感がまるでわかない。本当にそんなことで人が死ものか? この場で指を数ミリ動かすのと、どこか遠くで誰かが死ぬのと、何の関係があるというのか。……これはデクスターのはったりだ。
柿坂は息を止め、キーを押した。
文字の点滅が遅くなり、いらいらするほど長い時間が経ち、最後に止まった時には、父の名前が表示されていた。
「…嘘だ」
モニターをのぞきこんだデクスターは、おどけて目をぐるぐると回した。
「おやおや」
「何か仕掛けをしたろ!」
「さあね」
「病院に繋がっているなんて、嘘だろう。俺をからかって楽しむための、でっちあげだろう」
「さあどうだか。もうちょっと待って様子を見てみようじゃないか」
デクスターは意味ありげに言った。
「くそっ。最初からワクチンなんか渡す気はなかったんだな」
柿坂のポケットで携帯電話が鳴った。取り出して表示を見ると、父親の入院先の番号が表示されていた。携帯に電話が入るのは、緊急事態以外にないはずだ。
電話を耳に当てると看護婦の声。「お父様の状態が急変して…。すぐにいらしてください」
膝の力が抜け、柿坂はその場にへたり込んだ。
デクスターがやさしい声を出した。
「早く行ってあげなさい」
「人でなしめ!」
柿坂はよろよろと扉へ向かう。扉を引いたが鍵がかかっていた。
「開けろ!」
デクスター楽しそうに柿坂を眺めた。
「あわてない、あわてない。おみやげを忘れてるよ」そう言って、一枚のCD/ROMを投げてよこした。「頑張ったごほうびだ」
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