第18話 発病寸前の警備システム

 どうも盛高の態度は妙だった。そう思いながら柿坂がデスクに戻ると、見慣れない紙が一枚置いてあった。秘書課に頼んでおいた英文ファックスの訳だった。

 送り主は、フロイドに盗みを依頼した奴隷の遺族たちだった。読んでみると、足枷の正統な継承者が彼らであることや、オークションの際に盛高が不正を働いたということが書かれていた。最後には、「足枷の警備を請け負うことは犯罪者である盛高を味方することだ」と、SOD警備保障を非難していた。

 盛高が不正を?

 確かにあの盛高なら、オークションサイトのハッキングくらい朝飯前だろう。もし盛高がそういうことをやったのなら、柿坂は、不正の片棒をかついでいることになる。

 ——いや、そんな確証はない。これは、遺族たちの作戦かも知れないではないか。あるいは、フロイドの小細工かも知れない。その手に乗ってはいけない。

 だが……

 本当に盛高が不正を働いていたとしたら?

 じっと考えていた柿坂は、やがてその紙を丸めてごみ箱に放り込んだ。


 一時間ほどすると盛高がやってきて、膨れっ面をしてメモを突き出した。


『明日午後3時 用賀駅2番出口 喫茶アポストル』

 

 と書かれていた。

「デクスターとの待ち合わせ日時と、場所だ」

 盛高はぶっきらぼうに言った。

 いきなりの進展だったので、柿坂は面食らった。

「しかし…」

 説明を求める柿坂を盛高が遮った。

「そこへ行けば会えるんだ。文句があるか?」

 それだけ言うと盛高は早足に出て行った。

 ——どうも妙だ……


 その日、柿坂は、三時に会うデクスターのことで朝から頭がいっぱいだった。

 ハイランクの裏ハッカーとは、どんな男なのか? ワクチンを持っているのか? そして、持っていたとしても、素直に譲ってくれるだろうか? もしワクチンが手に入らなかったら、これから先どうすればいいのか?

 今、足枷の警備は、予備システムが稼働しているから何とかなっている。だが、その予備システムにも、ウィルスが仕込まれているかも知れないのだ。

 と考えた時、大友が何か言っていたのを思い出した。確か、監査ファイルをチェックした方がいい、と言っていたはずだ。

 柿坂は周りを見回して、手のあいているプログラマーを探した。

 小田可奈子がいた。茶色の髪をいじりながら、片手の親指で携帯電話のボタンを器用に押していた。私用電話だ。

「ちょっといいかな?」

 柿坂が後ろから声をかけると、彼女は慌てて携帯電話を隠した。

 いまさら隠しても遅い。

「監査ログを調べてもらいたいんだが」

「え、監査ログですかあ?」

 語尾をだらしなく伸ばすしゃべり方が、柿坂の気に食わない。

「そうだよ」

「監査ログの何を調べるんですか?」

「ええと、それはだな…」

 柿坂は慌てたが、それを悟られないようにして、大友が言っていたことを思い出した。

 ——それにしても、プログラマーというのは、どうしてとことん具体的に言わないと分からないのだろう?

「……監査ログで、最近、外から侵入しようとしている者がいたかどうか見て欲しいんだ」

「不正アクセスの試みですね」

 ——自分たちの用語で言い直さないと気が済まないのも、プログラマーの習性らしい。

「ああ、そうだよ」

「はーい、わかりましたあ」

 そう言ったにもかかわらず、彼女は、コンピュータの操作を始めなかった。デクスターと会う時間が迫っていた。

「急ぐんだが」

 すると彼女は急に立上がり、柿坂のデスクの方に歩いて行った。

 ——何をする気だ?

 彼女は柿坂のデスクの後ろにあるキャビネットを開き、紙のファイルを一冊取り出した。それを持ち帰った彼女は、片手にメモ用紙を用意して、もう一方の手でファイルのページをめくり始めた。

 見るとそれは、監査ログのプリントアウトだった。本社への報告書に添付するためにキャビネットに保管してある。

 彼女はページの決まった箇所を見て、何かを見つけると手を止め、メモ用紙に書き留めていった。一分ほどでファイルを全て見終わると、日付の書かれたメモを柿坂に渡した。

「不正アクセスの試みがあった日付です。その横はアクセス回数です」

 柿坂はメモを見た。七月三日、四日、五日…これはフロイドが最初のメッセージを残したあたりだ。そして七月十一日、十二日…ウィルスが発見されて「穴」を塞ぎ始めた頃だ。七月十二日を最後に、ハッキングの試みは一度もない。ということは、穴を塞ぐ前に予備のシステムの方にも侵入し、ウィルスを植え付けた可能性が非常に高い。

「あの、何か?」

 小田可奈子が柿坂の顔を覗き込んだ。

「いや、何でも」

 これでデクスターとの会合はしくじれなくなった。どうしてもワクチンを手に入れなければ、予備システムもいつ止まるかわからない。

「どうもありがとう」

 自分のデスクの戻ろうとした柿坂は、途中で振り返った。

「どうしてコンピュータを見なかったんだね?」

 彼女は質問の意味がわからず首を傾げた。

「前に、別のプログラマーに頼んだ時は、コンピュータの中のファイルを開けたのに」

「コンピュータだと遅いですから」

 コンピュータだと、遅い? 

「どうして遅いんだ?」

「…そうですね、コンピュータだと、ページを一枚一枚開かなきゃいけないですよね。パラパラとめくって、ざっと見たりできないでしょ」

「でも、検索機能を使えばいいじゃないか」

 可奈子は首をふった。

「なぜ?」

「それにはあらかじめ色々な準備をして置かなければダメなんです。データーベース化だとか、検索の変数値の設定だとか。そんなことをしてる暇があったら、紙のファイルを見ていった方がずっと早いです」

 可奈子はいたずらっぽい目で柿坂を見た。

「チーフ。プログラマーの私が言うのも変ですが、何でもコンピュータの方がいいと思ったら、大間違いですよ」

 面白い娘だ、と柿坂は思った。彼女の言葉の調子には、どこかコンピュータに不信を抱いている感じがある。

「大間違いか…。ところで、そんな風に思っているのは、君だけなのか? 他のプログラマーたちもそうなのか?」

「私、学生の時の夏休みに、イスラエルで、コンピュータ関係のバイトしたことがあるんです」

 可奈子は柿坂の質問には答えずに続けた。

「イスラエルに行ったのか?」

 履歴書には書かれていなかった。

「はい。イスラエルには、軍事用の研究をしているコンピュータ会社があるんです。その会社の、プログラミングの部屋の真ん中に、ガラスのケースが置かれていて、その中に何が入っていると思います? そろばんが入っているんですよ。あの、ゴワサンデネガイマシテハ…っていうやつです。もちろん和風のじゃなく、あっちのそろばんですけど」

「何でまた…」

「初心に帰れ、ってことです。算盤といえばコンピュータの出発点ですよね。つまり、どんなにコンピュータが進歩しても、自分の頭で考えることを忘れるな、っていうことなんでしょうね。私、そういうのが、何だか好きで…」

 彼女の喋り方から、さっきまでの甘えたような調子が消えていた。

「ふうん…、そろばんねぇ」

 算盤も面白かったが、柿坂はむしろ、可奈子が物騒なイスラエルなどで働いていたことに興味を持った。

 デクスターとの約束の時間が迫っていた。

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