第8話 コンピュータ圧高し

 会社に戻った柿坂は、メガソフトのフロア図を広げ、警備プランを考え始めた。

 電話が鳴ったので取ると、高校時代の同級生、森本からだった。最近何回か電話をよこして来ている。会社を辞めて探偵事務所を始めようとしている森本は、柿坂をパートナーとして迎え入れたがっていた。だが、柿坂に会社を辞める気はない。適当に話を紛らせて受話器を置くと、またすぐに鳴りだした。今度は内線だった。

 仕事をする暇がない。

 人事部からお呼びがかかっていた。


 柿坂が会議室に入ると、人事部長が待っていた。

 頭の中でアラームが鳴った。部長のお出ましとはどうしたことだろう。

 人事部長は笑いながら、先日コンピュータのフリーズで技術部を巻き込んだ件がもう社内に回っている、と話した後、『全社IT化計画』について長々と喋り、柿坂が、会社で定められた試験を受けていないことを責めた。

「しかし、コンピュータの知識がなくても、仕事に支障をきたすとは思えないのですが」

 柿坂は控えめに反論した。

「そうですかねえ? フロイドはハッカーだというじゃありませんか。大丈夫なんですか? それに、これからはコンピュータ関係の会社からの依頼も増えるはずです。その時、担当者が依頼主がどう思うか…警備にはハイテク機器がふんだんに使われているのに、警備の担当が、Eメール出し方ひとつ知らないとしたら、どう思うでしょうかね?」

「メガソフトとは問題なくいっています。それに、相手がフロイドでも誰でも、最後に現場に駆けつけるのは人ですから」

 部長は哀れむように柿坂を見た。

「そんなに勉強がめんどうくさいですか?」

 柿坂はドキリとした。面倒臭いかと訊かれれば、もちろん面倒臭いのだ。だからやる気が出ない。しかしそうは言えない。

「めんどうくさいというのではなく、何も全員が強制的にやらされるものではないと…」

「ひとつ見方を変えてみたらどうです? やらなければいけないもの、という見方でなく、やればプラスになるという見方に。評価が高まるポイントだと。現におたくの課の野際君などは、テストでトップを取りつづけていたせいで、取締役会でも評判になって…、来月から隣の部に、部長補佐として異動が決まりましたよ」

 野際が部長補佐! 柿坂はあんぐりと口を開けた。柿坂より職級が上になる。確かに野際はコンピュータに強いが、人をまとめる力は皆無だ。それに、物ごとを四角四面にしか捕らえられない欠点もある。それなのに、部長補佐?

 人事部長は話を続けた。

「もちろん、テストの結果が評価を上げることもあれば、逆に下げることもありますな…、あまりに点数が悪いと逆に…」

 降格、と言う前に部長は立ち上がり、テーブルの上のファイルを片づけ始めた。

「いずれにせよ、チーフクラスは全員がテストを受ける決まりになっていますから、よろしく」

「わかりました」

 柿坂は力なく言った。

「それと、メガソフトの仕事、がんばってください。コンピュータ嫌いの柿坂さんが、コンピュータジャイアントの仕事をどうこなすか、社長以下、興味を持って見てますよ」


 デスクに戻った柿坂は、深呼吸を一つしてみたが、空調のきいた空気には何の爽快感もなかった。

 デスクの上に、英文のファックスが届いていた。間違いかと思ったが、受取人はMr.KAKISAKAとなっていた。

 秘書課に頼んで訳してもらわないといけない。

 柿坂はそれを脇へ寄せると、図面を広げて警備プランの続きにとりかかった。


 二日後、柿坂は、技術スタッフを連れてメガソフト社を訪れ、美術品保管庫に警備機器を設置した。

 保管庫のある社長室と廊下を挟んで向かいの部屋を、警備管理室とし、そこへカメラなどをコントロールするコンピュータを運び込んだ。この部屋には警備スタッフが常駐することになった。

 翌日には、問題の足枷が他の美術品とともに運び込まれた。フロイドが輸送中に狙ってくるのではないかという柿坂の心配は、杞憂に終わった。

 足枷を初めて見た柿坂は、その奇妙な美しさに打たれた。黒ぐろとした鉄のベルトの中央に、一列、血のように紅い目玉ほどの大きさのルビーが埋め込まれていた。その列の上下に、鉄の輪を縁取るように小粒のダイヤがあしらわれていた。黒い鉄の表面に並んだ白いダイヤは、黒人が笑った時に見せる歯のように輝いていた。ルビーとダイヤの間の隙間には、サファイアやトルコ石、アメジストなど、色とりどりの宝石がちりばめられ、奔放に輝いていた。

 足枷から無理矢理視線を逸らせた柿坂は、盛高に警備の説明を始めた。

「これだけ機材を使うのは、わが社でも最高ランクの体制です。動体センサーが部屋の隅々までカバーしていますから、何かが動けば直ぐに警報が鳴り、入口の扉がロックするようになっています」

 柿坂は胸を張った。

 盛高は、柿坂を無視して、取り付けられた機材を眺めた。

「このガラスケースは、ガラスそのものがタッチセンサーですから、触れた瞬間に警報が鳴ります。その瞬間に、管理室と、我社の警備システムにも通報が入り、そこからさらに、巡回中の警備パトロールカーに連絡が入り、十数名の警備隊がこのビルに急行します」

 盛高は、立ったまま貧乏揺すりを始めた。

「…なにかご不満でも?」

 盛高はそっぽを向いたまま言った。

「情報だよ」

「は?」

「いくら機械を揃えても、敵が見えんのじゃ仕方がないだろう。あれから何かわかったのかね」

「はい、腕のたつハッカーが仲間にいるらしいと」

「そんなことは知っている。他には?」

「いいえ…、他には特に……」

 柿坂は資料を詳しく読んだが、実際のところフロイドの手口についてはどこにも書かれていなかった。独自に調査することも考えたが、本来、調査が専門ではない柿坂の会社では、国際的な情報網にも限界がある。

 柿坂はなだめるように言った。

「ご安心ください。フロイドの手口がわからないうちは、常駐の警備員を三名に増やして、どんな事態にも対処できるようにします。いざという時、コンピュータなどと違って、人間は頼りになりますからね」

 盛高の頬の筋肉が小さく引きつった。

「コンピュータはそんなに頼りにならないかね?」

 盛高の顔は笑っていたが、目は冷ややかだった。

「いいえ、そういう意味ではなく…」

「いざというとき、コンピュータ『など』、役に立たないか? 残念ながら、うちは、そのコンピュータ『など』でここまでになった会社だ。どうも君といい、君の上司といい、コンピュータを軽く見ているようだな」

「そんなことは」

「実は、おたくに頼んだはいいが、どうもそこが心配でね。特に、フロイドにハッカーがついているとなるとね。昨日、ちょっとしたテストをさせてもらったよ」

「テスト?」

「戻ってみれば、結果はわかるはずだ」

「何の結果でしょうか?」

 柿坂は漠然とした不安に襲われた。

「最も、おたくの人間がみんな君みたいだったら、結果さえもわからんかも知れんがな」

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