第2話 怪盗ルパン4世
SOD警備保障の会議室に、柿坂は太地部長と二人でいた。
「足枷?ですか?」と柿坂は言った。
太地部長は出っ腹の上で腕を組んでうなずいた。
「じゃあ、奴隷が作ったという足枷が、出てきたんですね」
「ご名答。インターネットのオークションサイトで、突然、売りに出されたらしい」
部長の太い声が、がらんとした部屋にこだまする。
「急に見つかるというのも、変ですね」と柿坂。
「おおかた引き上げ人夫がくすねてたっていうところだろう。インターネットのオークションだから、売った奴の素性はまるで分からんらしい。まあ、そんなことはどうでもいい、警察にでも任せておけばいい話だからな」
「じゃあ、その警備依頼がうちに?」
太地は重そうな体を背もたれから起こし、威嚇するような目で柿坂を見据えた。この部長の下に何年もいるが、部下を睨みつけるこの癖だけはやめて欲しい。
「柿のチームでやってもらいたい」
まいったな、と柿坂は思った。今、五つの警備チームを指揮しているのに、これ以上は無理だ。
「サポートとしてではなく?」
「メインで」太地は追いかけるように言った。
「しかし…」
「そんな顔するな。まあ、話だけでも聞いていけ」
太地は、なだめるように笑った。
しかし、話を聞いてしまった後では断れなくなる。
「依頼主は、日本メガソフトの社長、盛高博だ…」
太地は勝手に喋りだした。
柿坂は顔を上げた。
「…待ってください、あの、日本のビル・ゲイツですか?」
「3千万で足枷をせり落としたことは、ニュースでもやっていたろう?」
「いえ、コンピュータ関連のことに興味ないもので」
「お前のことだ、驚きゃせんがね。もっとも、俺もそっちには疎いから人のことは言えんがな。その盛高博が、うちに警備を依頼してきた」
「でも、あそこの会社には、統一警備保障さんが入っているじゃないですか? なぜうちに?」
「うちは、美術品警護じゃ一番だ」
「しかし、足枷ひとつのために…」
太地は口をへの字に結んだ。これは何かある。
「何ですか?」
太地は低く唸った。
「ますます及び腰になってもらっては困るんだが…」
「聞かせてください」
「フロイドだよ」
「フロイド? …あの、フロイド、ですか?」
「そのフロイドだよ」
柿坂は体を固くした。
有名な精神分析学者ジグムンド・フロイドの曽孫と名乗るその人物は、鮮やかな盗みの手口から「怪盗ルパン4世」とも呼ばれる国際的な泥棒だ。
「しかし、たかだか三千万とは落ちぶれたもんですね。過去のヤマは、少なくとも数億円ですよ」
笑い飛ばすように言ったつもりだったが、声がかすれているのが自分でもわかった。
「今回、ワケありらしいんだ。フロイドに盗みを依頼した奴がいる」
「誰です?」
「足枷を作ったという奴隷の遺族らしい。足枷の相続権を主張して、オークションを中止させようとしたらしいが、法律的には無理だったようだ。そこで遺族の代表がオークションに参加して、買い戻そうとしたが…」
「メガソフトに競り負けた」
「そういうことだ。そこで大泥棒の出番というわけだ」
柿坂はゆっくり息を吸った。まさか、あの国際的に有名なフロイドを相手にしなければいけなくなるとは、夢にも思わなかった。
「フロイドに関する資料は、お前のコンピュータに送っておいた。見ておいてくれ」
「しかし、手に負えるかどうか…、他にも五つチームを抱えてますし」
「いくつか他へふり分けよう。とにかく、頼りはお前しかいないんだ」
柿坂はまた顔を上げた。
部下を誉めたことのない太地が、こんなことを言うのを初めて聞いた。
「しかし、フロイドはハッキングの天才と言われてますし、依頼人がメガソフトというのもちょっと…」
太地はそう言う柿坂の意図を察して先回りした。
「コンピュータ絡みの仕事はそんなにいやか?」
柿坂は答えず、視線を落とした。
「今回、この仕事をお前に回そうとしているのは、それもあるんだ」
柿坂は続きを待った。
「今、上では『IT化計画』なんぞと騒いでいるのを知っているだろう」
「はい」
「お前が、非協力的だと目をつけられているのは知っているか?」
柿坂は、背中に刃物を当てられたような気になった。確かに、会社がやっているコンピュータ講習はさぼっていたし、全員が受けるようにと言われている技能試験も受けていなかった。コンピュータの知識がそれほど重要だとは思えないからだ。だが、そんなことで、上から目をつけられるとは思っていなかった。
「俺だって、コンピュータなんぞ、現場では糞の役にも立たないと分かっている。しかし、だ、会社がそれで人を評価すると言うなら仕方がない。俺はな、社長からこの話があった時、お前にまかせようと思った。コンピュータの大会社を相手に、仕事をやり遂げてみろ、お前の不名誉なレッテルも、きれいさっぱり無くなるぞ」
こっちのことを気づかってくれるのは嬉しいが、余計なお世話だ、と柿坂は思った。その気持ちが出ないよう、平坦な口調で言った。
「では、資料を読ませてもらいます」
「明日にはメガソフトに行きたいが、間に合うか?」
「間に合わせます」
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