第5話

「ねえ、紫苑くん。あなた、どうしてここにいるの?」


 私は彼に問いかけた。目の前の彼は複雑そうな顔をした。


「……そっか。思い出したんだね、美咲。僕のこと」


 その言葉を聞いて涙が溢れてきた。堪らず彼に飛びついて彼の胸で泣き叫んだ。彼はそれを優しく包みこんでくれた。


「会いたかったぁぁ……!会いたかったよぉぉ……!ばか、バカぁ!」


「ごめん、ごめんってば。僕だって会いたかった。会えてよかったよ」


「もう……会えないかと思ってた……」


「僕だって、まさか会えるなんて」


「ごめんなさい、私あなたのこと忘れてたの思い出せなかったの!」


「初々しいのも悪くなかったよ?」


「うるさいっ!」


 しばらく彼の胸で泣いていた。ようやく落ち着いてきて、ちょっとだけ冷静になる。屋根から出てしまっているようで、雨にさらされて身体中びしょ濡れだった。だけれど、彼は濡れていなかった。それが、彼がこの世の住人ではないことを示していた。必然的に浮かぶ疑問。


 ゆっくり呼吸して息を整える。


「……ねぇ、ほんとに死んじゃったんだよね?」


「死んじゃった、残念ながら」


「じゃあ、これは夢?」


「夢じゃない」


「で、でも……」


「気持ちはよくわかるよ。僕だってよくわからないんだ」


「……そう。でも、なんで教えてくれなかったの?記憶が無くなってるのは分かってたはず」


「多分傷つくな、って思って」


「……そっか。そうだよね、紫苑くんはやっぱり昔から優しいな」


 すると彼は私からそっと離れて立ち上がった。


「……もうすぐ、バスが来る。それに乗らなくちゃいけないらしい」


 別れの宣告だった。


「……やだ、行っちゃだめ」


 彼に縋り付くように懇願する。


「行かないといけない。じゃないと、ちゃんと死に切れないよ」


「私も行く」


「だめ。美咲は生きて」


「やだよ、紫苑くんと一緒がいい」


「……美咲。頼むよ」彼は泣きそうな顔を浮かべた。「僕の分まで生きて。さっき言ったじゃないか。前を向いて歩いてくれた方が嬉しいって。僕も、君も、現実と向き合わないと。僕は死んだ。君は生き残った。せっかく助けたんだから、しっかり生きてくれないと困るよ」


 ……やめてよ、そんな顔しないでよ。あなたの悲しい顔なんて見たいわけない。……笑ってよ。お願いだから。


「分かった」私は一歩身を引いて、屋根の下に入る。「じゃあ、約束して」


「なに?」


 真っ直ぐ彼の瞳を見つめる。


「来世でも幸せになってください」


 彼は優しく微笑んだ。


「うん、誓います。じゃあ、こっちも約束」


「なに?」


「絶対に幸せになってください。そして、来世こそ、一緒に幸せになりましょう」


「……はい。誓います」


 涙の滲む目で精一杯の笑顔を作った。


 気づけば、雨は止んでいた。


 遠くから車の音が聞こえる。私たちはそちらを向いた。レトロな白と赤のバスだった。バスは私たちの目の前に止まり、扉が開いた。


 これが最期の別れだろうことは容易に想像がついた。


 彼はバスを見て軽く息を整えた。そして、ゆっくりと向かっていた。


「紫苑くん!」


 立ち去る背中に声を掛ける。立ち止まり振り返る彼。


「元気でね!」


 彼の頬が緩む。


「美咲こそ元気でね。最後にアイスが食べられて良かった。家族にもよろしく伝えておいて!それじゃあ!」


 彼はバスにかけ乗った。バスの扉がゆっくりと閉まり、徐々に動き出す。彼が手すりにつかまりこちらを見る。


 あぁ、行ってしまう。伸ばしかけた手を止め、上に掲げる。そして、大きく横に振った。自分にできる最高の笑顔で、大きく、大きく手を振った。バスが見えなくなっても、彼の顔が見えなくなっても。


 最後に見た彼の笑顔はとても幸せそうだった。

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