5-6 高魔族と阿鼻叫喚

 ……まあそういうなら様子見とするか。

 でもうちの店がちょっとでも壊れるようなことがあれば、問答無用で止めに入る。

 そして二人とも出禁だ。


 俺は男の意をくみ軽くうなずくと、グラス拭きに戻ることにした。


「感謝するよ」


 男のその一声が放たれると同時に、サキュバスが男に向かって飛び込む。

 俺の目からしてみればそれはスローモーションのような、子供が大人に向かってじゃれに行っているような遅さだったが、周りから見ればそれなりにスピードが出てるのだろう。

 

 現にさっきまでサキュバスをなだめていた男達は何事か理解できていない。


 そしてサキュバスが男の胸に飛び込んだ瞬間、男は彼女の背中に腕を回しサキュバスをしっかりと抱きとめた。


「……は?」


 もちろんサキュバスは目の前の男に抱きつきに行ったのではない。急所を狙った一突きをお見舞いしようとしていた。

 しかし現に男はサキュバスを抱きしめていて、その体からは一滴の血も流れていない。

 おかげでサキュバスは困惑状態だ。


 ちなみに止めようとして二人に近寄ったリリスはあたふたとしている。


 そしてサキュバスの困惑が落ち着く間もなく男は先程浮かべていた柔和なほほえみからは想像もつかないような一瞬獰猛な笑みを浮かべる。

 その瞬間男の背中から黒い大きな翼が二人を覆った。


「おいおい、まさか……」

 

 察しの良いバフォメットはその翼だけを見て相手の正体に気づいたらしい。

 俺がわからないのはグラスを拭くのに集中していて、目の前の出来事をあまり見てないからだ。そうに違いない。決して知識不足とかではない。


 そして二人に覆われた翼が霧散して店に舞ったとき、その中心には人間の姿はなかった。

 相も変わらずサキュバスを抱きしめていたのは、全身黒い肌を持ち頭から獰猛なしかのようなねじれた角を二本生やした獰猛な顔の中に柔和な微笑みを携えた魔族だった。


 リリスは翼が急に現れたり消えたりしたことに驚きふためいて、完全にパニックになっている。

 その証拠に抱き合っている二人の周りをパタパタと走り回っていた。たまに転びながら……。


「その姿は!」

「嘘……だろ……」


 さすがに俺も記憶にある、あの姿は……


「サタン族じゃない!」


 サキュバスは男の正体がわかると同時にその顔はとろけきっただらしない顔に変わる。


「私じゃ不満か?」

 

 サタンの問いに、サキュバスはゆっくりと首を横に振る。


「じゃあ行こうか」


 サタンは締まりのない顔をしているサキュバスを抱き寄せたまま店の扉に向かって歩きはじめる。

 すでにサキュバスはサタンのなされるがままだ。


「ああマスター。おいしいジンジャーエールをありがとう。これは私とこの子のお代だ。釣りは迷惑料だと思って取っておいてくれ」


 サタンは軽く腕を振り、硬貨を投げる。

 俺はそれをうまくキャッチする。お、銀貨か。高すぎるくらいの迷惑料だがありがたくいただいておこう。

 俺が受け取るのを確認したサタンは満足そうにサキュバスを連れて店から出て行った。


「あの、マスターお代は?」


 店に散らばった黒い羽根を両手いっぱいに抱えたリリスが走り寄ってきて、不安そうに尋ねてくる。

 ふむ、俺とサタン以外には今の流れが分からなかったようだな。


「大丈夫だ、確かに頂いたよ」

「ならよかったです」

 

 リリスと会話しながら俺は今店内にいる人数のグラスを用意して、それぞれに氷を入れてライムを垂らす。



「まったくサキュバスにも困ったもんだねえ」

「どのサキュバスも最近はあんな感じなんだろうねえ」

「あの子たちも先行き不安なんだろうね」


「そんなことよりあれ見たか?! サタン族なんて何百年ぶりに拝んだよ!」

「そうだよ! どうしてこの店にあんな高種族がいるんだよ!」

「その言い方はマスターに失礼でしょ」


 そうだぞ。ここにだって位の高い魔族くらい普通に来る。

 俺は軽くうなずきながら先程ライムを絞ったグラスに均等に蒸留酒とジンジャーエールを適量注いでいく。


 ……よし、こんなもんか。


「リリス」


 リリスを手招きで呼ぶと、彼女はすぐに俺の前に来て目の前に並んだグラスを不思議そうに眺める。


「これジンジャーエールですか?」

 

 確かに色合い的には似てるよな。


「いやモスコミュールだ。ジンジャーエールも入っているが、それではない」

「えっと……もしかして……カクテルですか?」

「そうだが?」


 俺の言葉に一気にリリスの表情が強張る。なんだ?

 ああそうか、俺が急にこんなものつくりだしたら不安になるか。


「リリス、カクテルにはそれぞれ意味があるのを知っているか?」

「へ? いや、初耳です」


 そうだろうな、初めて話すわけだし。


「カクテルにはそれぞれカクテル言葉っていうのがあってな。まあ花言葉と同じようなものだ」

「そうなんですね! 素敵です!」


 リリスの顔がパッと明るくなる。うん、素直なのはいいことだ。


「で、このモスコミュールには仲直りっていう意味がある」


 正確には『喧嘩をしたらその日のうちに仲直り』だったか。まあ細かいことはいいだろう。意味的には一緒だし。


「それで?」


 リリスの顔はまた暗くなっている。なんだ? まだ意味が伝わらないのか。しょうがないな。


「だから皆様にお詫びの意も込めてこのカクテルを提供してくれ」

「お、マスターが笑ってら!」

「珍しいもん見たなあ!」

「そのジンジャーエールくれるのかい!」


 ん? 俺笑ってたのか。自分でも気づかなかったな。まあいいか。

「ジンジャーエールじゃない。カクテルだ」

「何でもいいから早くくれ!」

「リリスちゃん配ってくれるのかい?」

「ほら、リリス配ってやれ。俺も手伝うから」

「……了解しました」


 リリスはようやっと俺の意味を理解してくれたのか店内にいたお客さんにモスコミュールを配り始める。

 心なしか方が沈んでいるような気がするけど、気のせいだろうか。

 今日はいろんなイベントがあったし疲れたのかもしれないな。 


 そしてその後の「ジンジャー」からはなぜか悲鳴と嗚咽が絶え間なく聞こえ、まさに阿鼻叫喚の絵図になっていた。


 人がせっかくサービスしてやったというのに、夜のお客様はどうやら味にうるさいらしい。

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