4-2 儚い記憶と今

「お客様!?」


 床に頭から倒れこんだ狐頭を目の前にして俺の頭の中は真っ白。

 リリスが飛ぶようなスピードで狐頭に近づき、ゆっくりとおこした。


「なんだこれ!?酒かよ!」


 狐頭はゆっくりと起き上がりながら、悪態をつく。

 色合い的に酒ではないと思っていたのか。ただのジュースだと。

 まあ値段的にもエールより少し高いくらいだし、酒だとは気付けないのかもしれない。


「カクテルとはそういうものです」

 

 しかしそんなミスをしていたなどとは表面には一切出さない。

 それがプロだ。あくまで冷静沈着に受け答えを行う。

 ま、まあ俺が作るカクテルはこの世界の者には致死性があるのかと思って、焦ったりもしたが……。

 その点は狐頭はぴんぴんしているようだし、大丈夫そうだ。

リリスは狐頭の背中をさすっていた


「こんなくそまずいものせっかくの酒が台無しだ!!」


 狐頭から吐き出された言葉にゆっくりと正常運転し始めた俺の思考が完全に固まる。


 くそ…まずい……?

 俺が作ったカクテルが?


「お詫びともうしますか…何でも好きなドリンクをお作りします!いいですよね!アモ……マスター!」


俺はリリスからの必死の問いかけにうなずくことはできたものの、頭にはもちろん何も入ってきていない。

そして回りだした思考で思い返されるのは、アモンとしての記憶では無く、羅生学として、マスターにはじめてカウンターにたたせてもらった日のことだった。



「学、今日はカウンター立ってみるか?」


「え!?いいんすか!?」


 とあるなんてことのない一日。ワイシャツはズボンからはみだし、顔には無精ひげが散らかっている。

 そしていつまでもバーカウンターには立たせてもらえず、一生バーテーブル拭きで終わるのかと嘆いていたなんてことない日。

 マスターからのその一言はまさに鶴の一声だった。


「客は俺だけどな」

「なーんだ」

「なんだとはなんだ!俺ではなにか不服か!?」


 マスターの少しにやついていた表情からの、般若、そしてあきれたような顔面七変化は俺の記憶にはっきりとこびりついている。


「いえ、不満なんてありません!?」

 このチャンスを棒に振るのは、大馬鹿だ。この機会を逃せば、間違いなく一生テーブル拭きルートに突入する。

 

 俺は危機感を覚え、珍しくバーテン服を正しく着こなすと、カウンターにたちいつもマスターがしているようにグラスを磨き、マスターの目の前に置く。

 ここで完璧なカクテルを作って、マスターをいやでも認めさせて、本物の客の前でバーカウンターに立ってやる。


「なににしやしょう?」

 

 マスターに媚を売るように両手をすり合わせながら、注文を聞く。


「ここは居酒屋か、言葉づかいに気を付けろと何回言えばわかる? まあいい、キールロワイヤルで頼む」


「承知!」


「だからここは居酒屋じゃねえよ」


 マスターも言葉遣いに関しては人のことを言えないだろ。

 なんていったって、俺はマスターのしゃべり方を聞いてここまで育ったんだからな。

 そんなことを考えながらも、俺はしっかりと手を動かす。


 カシスリキュールをマスターの目の前のグラスに注ぎ、冷やしたシャンパンを注ぐ。

 そして一周程度かるーく混ぜて、完成。

 俺は完成したキール・ロワイヤルが入ったグラスをマスタにすっと差し出す。


 まさに完璧。これまでわざわざ家でカクテル用具をそろえて練習していたかいがあった。これならマスターにも文句は言われない。


「ふーん、色はいいな」


 グラスに注がれたキールロワイヤルはそれ特有の澄んだブラッドレッド色だ。


 そしてマスターはじっくりとグラスを掲げたりしながら、色合いを確認している。

 色なんてもうさんざん確認しただろ。早く飲んでくれ。

 

 そんな俺の心中を察してかやっとマスタはグラスを傾けて、一口口に含む。

 

 そしてマスターはグラスを傾けたまま、一瞬固まったあと、口の中に含んでいたキールロワイヤルを床に掃出し、その後グラスに残っていたものまでも床に流した。


「は!?」


「お前は……バーテンダーの才能ないな。そこから離れろ。そしてこれを片付けろ」


 マスターは床に自らこぼした、俺が作ったカクテルだったものを指さしながら立ち上がる。

 他にも何か説教じみたことを言われたような気がするが、正直その言葉は左から右へと通り過ぎて何も頭に入ってこなかった。

 

 心のどこかで認められると決めつけていたものをたった一言で片づけられ、飲まれることなく床に捨てられた。

 絶望、屈辱、そういった感情はもちろんあったが俺はむしろそんな感情よりも、マスターに認めてもらえなかった、飲んですらもらえなかった悲しさで覆われていた。


 そんな呆然と立ち尽くしている俺を一瞥して、マスターは特にそれ以上言葉をかかけることなく、店の奥に消えていった。

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