第1章 羅生学死す。

1-1 ありふれた日常

 BGMも何もかかっていない静かな暗い店内。バーカウンターの後方には丸テーブルと椅子が規則性なく置かれていた。


 バーカウンターにぽつんと置かれたひとつのグラス。そこに映る腑抜けた顔。

 その雰囲気からは一切のやる気のなさを醸し出している。

 極めつけはボサボサの長髪に剃っていない伸びたままの髭。


 接客業のくせによれよれのバーテン服を着ている人生舐めきっている格好姿、それこそが俺、羅生学だった。


 俺は小さな町のバーで働くバーテンダー。

 バーテンダーといっても本当にしたっぱで仕込みや雑用などしかやらせてもらえなかった。

 バーカウンターに立ったことなど1度しかない。客相手だとゼロだ。


「おい、学(がく)明日から休んでいいぞ」


  いつもの様に床掃除と机ふきの日課をひたすらこなしていた時、バーマスターから突然そんなことを言われる。


「え!?俺クビですか!!いくらなんでも急すぎませんか!」


 ここをクビになってしまうと一気に無一文で野垂れ死ぬしかなくなってしまう。

 このバーで働いて半年経とうとしているが、貯金なんて1円もない。


「バカか、お前は。ただの休みだよ。客のわりに人件費がかかりすぎてるから三日間休みやるよ、ハワイでもグアムでも好きなとこいってこい」


「そんなとこ行ける金があったらこんなとこで働いてないっすよ」


「こんなとこだぁ?」


 マスターの眉間に深くシワが刻まれる。

 これはヤバイ……。


「いや、深い意味はないです! じゃ、今日のノルマこなしたんで!! お疲れ様です!!」


「あ、てめえ逃げるのか! きっちりどういうことか説明しろ!」


 マスターの怒鳴り声を無視して店を飛び出る。

 マスターは顔は怖いし、口も悪いし、雰囲気だけだとどこぞのやーさんに見えなくもないが、実にいい人だ。


 働き口がなかった俺はパチンコで食っていたが、このご時世パチスロで生活できるほど世の中甘くない。

 いよいよ金が底をつきそうになって飢え死にかけている時に、拾ってもらったのがマスターだ。


 マスターとは直接は縁がなかったのだが、マスターの奥さんが小さな駄菓子屋をしていた。

 何も買うつもりもないのに、毎日のようにその駄菓子屋に入り浸っていた俺は彼の奥さんと結構仲がよかった。


 そしてある日いつも通り駄菓子屋でおばちゃんとだべっていると、たまたま来ていたというマスターに声をかけられ、バーで働くこととなった。


 今思えばこれ以上奥さんと仲がよくならないように、監視の意味も込めて拾ってくれたのかもしれない。

  ただ俺の事を哀れに思っただけかもしれないが。

 それに俺に熟女をいただく趣味はない。


 どういう理由であれマスターは俺の恩人だ。

 ようやく友人にも職業は自宅警備員と言わなくてすむようになった。

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