お題「警察、石、無駄づかい」


 とんでもないブツが舞い込んできた。今まで何十年もこの職場に勤めてきたし、その何十年の間に様々な奇妙奇天烈な代物をうんざりするほどたくさん目の当たりにしてきたが、これほど興味をそそられるものは初めてだ。僕は驚くと同時に、ひそかな満悦に浸った。だからこそこの仕事はやめられない。僕は広い意味では一警察官に過ぎないが、より具体的には、他人の家に土足で入り込んで勝手に物を掻っ攫っていく、物品押収班の人間だ。

 今回の案件は、そもそもの始まりからすこし特殊だった。ある名の知れた大学に数年間在籍し、その後何らかの理由で職を追われた元学者の中年男に、生命倫理に対する反逆の容疑で逮捕状が出ていた。いろいろ引っかかるところの多い話だが、どうもこの中年男は、以前から自らを錬金術士と称し、生命の神秘を解き明かそうと躍起になっていたそうである。その活動があまりにも目に余るようになったので、とりあえず我々は有無を言わせず逮捕して家宅捜査に踏み切ることにした。そこで見つけたのが、驚くべきことに――あるいは事前に錬金術と聞いていたのだから、想像して然るべきだったのかもしれないが――あの伝説の物質、賢者の石だった。


 僕は伊達に長い間この物品押収班に所属し続けたわけではない。あまり実感はないものの、これでも一応一番偉いとされるチーフだ。となると、押収した物品はすべて僕のところにやってくる。だいたいはマニュアル通りで構わないが、誰がどこにどうやって保管すべきか、というルールづくりは、チーフである僕に任されている。つまり、極端な話、バレないようにうまく立ち回れば、こっそりほしいものをねこばばしてしまうことも可能だ。とはいえ、今まで僕はそんな悪事に手を染めたことは一度もない。一度もないからこそ、こうしてチーフにまで上り詰めることができたのだろう。僕が管理すると言えば、部下たちはみんな安心した表情を見せる。それは僕にとって大変名誉なことだった。でも、僕にも当然、物欲はある。何度も何度も、ねこばばしたい衝動に駆られてきた。それでもちゃんとその都度本能に蓋をして、理性で抑え込めてきた。が、今はどうだ。賢者の石。賢者の石を前にして、そこに理性は必要なのか。そもそも、この賢者の石がほんとうに本物の賢者の石なのか、確かめねばなるまい。そしてそれを確かめる権限があるのは、チーフである僕だけだ。だから、僕がいただく。こうして僕は、賢者の石を手に入れた。

 正直な話、僕は賢者の石に対する知識がまったくなかったので、石と聞いていたのに石の形をしていないじゃないか、という初歩的なところでいきなり度肝を抜かれた。でもまあ、自称錬金術士の男の自白によると、これは紛れもなく賢者の石だそうだ。嘘の自白である可能性も十分考えられ得るが、長年の勘が働いて、僕には男が嘘をついているようには思えなかった。というわけで、これが賢者の石。賢者の液体、だろうか。で、気になる効能だが、およそどんな奇跡でも起こせるらしい。卑金属を貴金属に変える、という一般的な伝承はもちろん、不老不死の霊薬として扱うこともできるし、何なら死んだ人間を生き返らせることもできるそうだ。一番面白そうで、かつ生命倫理に対する反逆という罪状にふさわしい効果は、やはり死者の復活だろう。そこで僕は、さっそくそれを試してみることにした。だが、いくら思いを巡らせてみても、生き返らせたい人間が思いつかなかった。もちろん、昔の偉人、それこそたとえばアインシュタインとかベートーベンとかゲーテとかを蘇らせることはできるし、物は試しでヒトラーを蘇らせてみるのも一つの手だけど、それが果たして僕の望みかどうかと問われると、かなり疑問の余地がある。そういう有名人という括りのなかで、唯一僕が本気で蘇らせたいのは、いつもその作品を愛読させてもらっているカフカだけれども、カフカを愛すればこそ、蘇らせる勇気がまったくと言っていいほど湧いてこない。となると、もっと身近な存在を思い浮かべるべきだろう。家族や恋人、友人――すでにこの世を去ったそれらの知人は、いないわけではないけれど、蘇らせたいほど恋しく感じる死者は、残念ながら僕の周りにはいない。一番それらしい候補として挙がるのは、長年連れ添ってきて、ついこの間亡くなった飼い猫のクレスペルだが、クレスペルの最期を知る者として、彼に再び生を与える気にはなれない。クレスペルは二十年の寿命を全うして老衰した長寿猫だったから、その立派な最期を汚すような真似はしたくない。そうなると、ほんとうに、誰を生き返らせればいいのか分からない。賢者の石を使ってみたい気持ちはあるが、蘇らせたい対象がいない。ならば、死者復活以外の効果を試せばいいが、せっかくのチャンスを棒に振るのは納得がいかない。

――ああ、誰か死んでくれないかな。今なら絶賛蘇らせてあげるよ。

 そんな意味の分からない戯言を心のなかで呟いていると、そこに吉報が飛んできた。厳密には、訃報だ。あの自称錬金術士が自殺したそうである。取り調べの最中に自殺するなんて困った話だが、僕にとっては思わぬ朗報だった。そうだ、この賢者の石はそもそも、あの男がつくったものだ。賢者の石を生成する技術を持っているのが、もしこの世界であの男だけだとすれば、あの男が死ぬのは非常にもったいないことだ。だから、あの男は蘇らせるに値する人物だ。そうと決まると、僕はさっそく、押収した物品を元の所有者に返還するような気持ちで、あの男を復活させた。ただしこの事実が、警察内部はもちろん、あの男に知られてしまっては元も子もない。なにせ、あの男は警察に捕まったらべらべらと自白する質だ。僕が関わったという痕跡をすべて抹消したうえで、傍目から彼が復活する姿を確認して、僕は満足して持ち場に戻った。調査の結果、賢者の石は本物だった。


 それからしばらくは平穏な日々、平穏なブツが舞い込む日々が続いた。まるで何事もなかったかのように、僕は淡々といつも通りの仕事をこなしていた。そこに、またしても見覚えのある液体が届いた。あのバカが、また捕まったらしい。というわけで賢者の石は再び僕のものとなった。その後何が起きて誰を復活させたかは、もはや言うまでもない。



※7さんから2019年7月15日にお題をいただきました。ありがとうございます。

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