お題「無駄遣い」

 夏休みがやってきた。うれしいけど、ぼくは毎年、何をして過ごせばいいのか、いつもなやんでしまう。要するに、ひまなのである。ひまをつぶすために、その方法を考える。でも、方法はすぐには見つからない。そうこうしているうちに、時間がなくなる。何だか、無常を感じる。たぶん、人生とはそういうものなのだろう。さすがにまだ人生を語るには早すぎる気がするけど、十年ちょっと生きてきて得たこの知見は、あながちまちがってはいないと思う。

 さて、考えるのはいったんやめよう。考えていると、考えることに気を取られて、考えることそれ自体が、ひまつぶしになってしまう。でも、それはよくない。ぼくは、考えなくてもいいと言うのなら、わざわざ考えたくない。考えるのはきらいだ。世に言うところの、思考停止である。停止の許可がもらえるなら、ぼくは何だってする。ところが、現実はそうあまくない。大人たちはそろいにそろって、さあ勉強しろ、大いに勉強しろ、息をするくらいなら勉強しろ、とぼくを追いつめる。もちろん、今のはちょっとだけ、おおげさな言い草である。でも、勉強がきらいで、考えるのがきらいなぼくにとっては、大人たちのことばは、おそろしいじゅもんのようにひびく。ぼくはそれがいやで、だからすこしの間、そういうのから解放される夏休みは、好きだ。好きだけど、なやましい。好きだからこそ、なやましい。なやみ多き思春期特有の、天地を引きさくほどのなやましさ。

 ひまをつぶすには、何をすればいい。考えるのをいったんやめようと自分に言い聞かせても、そうかんたんには考えるのをやめられない。でも、何事も、行動あるのみだ。ぼくは勉強づくえの引き出しを開けてみる。可能性というのはいつだって意外なところに転がっているものだ。長いこと引き出しを使っていなかったから、何が入っているか分からない。まるでパンドラの箱だ。いや、正確には、パンドラの引き出しだろうか。どっちでもいい。どうでもいい。そもそも、パンドラの箱の話は、名前を聞いたことがあるくらいで、実際何が入っていたんだろう。そんなことを考えながら、ぼくの引き出しからひょっこり現れたのは、トランプだった。ちょっとだけ見覚えがある。たぶん、いつだか飛行機に乗ったときに、何やらわけも分からずとつぜんキャビンアテンダントさんからもらった気がする。あのときは一応、子どもらしい純真さで形式的にはしゃいだ思い出があるが、思い返してみると、別にそれほどトランプには興味がなかった。だから、開かないわけではないけど、精神的に開かずの引き出しと化していたこの場所に放置していたのだろう。われながらによく覚えているものだ、と思わず感心した。

 トランプ遊びのうち、一人でできるのは何だろう。むなしさを度外に置けば、別に、ババぬきだろうと七ならべだろうとやれないことはない。でも、何が悲しくて一人でババぬきをしなければならないのだろう。もっと、探せばいい案が見つかるはずだ。ぼくはそう信じて、かたくなに考えるのをこばむ頭に、ちゃんと考えるよう命令した。そして、永遠にも等しいくらいなやみ続けて、ようやく思いついた。トランプのとうをつくろう。あれなら一人でできる。くずれ落ちたらむなしいだろうけど、一人ババぬきよりは全然ましだ。ぼくはさっそく作業に取りかかることにした。

 雪だるまをつくるような軽快さで、ぼくはトランプを次々とならべる。重要なのは、バランスだ。風が吹けばすぐにでも飛ばされてしまうほどもろいからこそ、スリルを味わえる。ひとつ、またひとつ。ピラミッド状に組み立てて、足場と足場の間にわたりろうかをつくって、その上にさらに足場を建造する。エンドレスに続く、エンドレスな遊び。これぞ、ひまつぶしにもってこいだ。時をわすれ、日常の雑事をわすれ、おとぎ話の世界のように、のんびりと過ごす。力の加減をまちがえて、せっかくつくりあげた建築物が台無しになったところで、また初めからやり直せばいい。ノルマはない。正解もない。考える必要もない。ただ、手を動かすのみ。手を動かして、そうして結果的に前より高いとうがつくれたなら、そこには達成感がある。達成感が大きければ大きいほど、しんちょうになる。努力が水のあわにならないように、神経をとがらせる。失敗するとむきになって、今度こそうまくやってみせる、とやる気の炎が燃え上がる。いいサイクルだ。どこからどう見ても時間のむだでしかないけど、これははまる。むしろ、時間のむだであることに意味がある。ぼくはいつだって、ひまを殺す方法を探していた。


 ひそかで確実なひまの殺し方を学んだぼくは、その日以来、もはやひまを感じることはなくなった。手慣れた殺し屋さながらの何気なさで、あたり一面はひまの墓だらけになる。ざまあみろ、とぼくはひまに向かってさけんだ。もう一生、ぼくをわずらわせるんじゃないぞ。言い終えて、ぼくは新たなとうの建設にいそしむ。ギネス記録は遠いけど、あきらめずにひまをぎゃくさつし続ければ、いつかは届くかもしれない。あわい期待をむねに、一日中、四六時中、トランプの手ざわりを確かめる。ならべる。組み立てる。まだ見ぬ高みを目指す。ぼくの人生は、案外すてたものじゃない。こんなに楽しいのだから、こんなに夢中になれるのだから。

 さあ、あとすこしで、自分の記録をぬりかえられる。あとすこしで、次なるステージに進める。ぼくはうれしくなって、つい、ほほえみをうかべた。そのほほえみ、そのわずかな表情の動きが、命取り。世界はばらばらに壊れてしまう。ばらばらに散ったトランプを見て、いい気味だと思わずにはいられない。だいじょうぶさ、ぼくがまたつくり直してあげるから。散りゆくトランプと、消えゆくひまと。ぼくはとうの再編を試みる。何度だって、何度だって、何度だって――。




※ Vさんから2018年2月5日にお題をいただきました。ありがとうございます。

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