第11話凍りつく心

昨日の事がまだ信じられないまま、美羽は自室で朝を迎えた。秋人殿仕事が待っている。そうして支度を始めると美羽の携帯が鳴り出した。


「もしもし、葛城です」

『…俺、秋人です。』

「はい、おはようございます」

『今日から、迎えとか要らないから。直行直帰で大丈夫。』

「え…あの!」

『じゃぁ、また後で…』


そうして突如切れる電話。2人の距離を完全に秋人の方から取ろうとしていたのだ。ほぼ同時刻に宮村からメールが届いた。


『おはよう』


たったひと言だったが、秋人からの素っ気無い電話の後だとその他愛ないメールでも美羽の心には温かく沁みていく。そんな中、美羽はただ、理由が知りたかった。何の前触れもなく、突然の別れを切り出された事…秋人の気持ちそのものを聞いてみたかった。しかし、今ではそれが叶うだろうか…そんな重たくのしかかる気持ちを抱いたまま美羽は撮影現場に直行した。控室に入り、重たい空気の中で、美羽は秋人に聞く事にした、


「秋人…今話してもいい?」

「……なに?」

「どうして…急に別れようって…」

「それ、今じゃなきゃダメ?俺今から撮影だから、雑念入れたくないんだよね。」

「…ッッ…そっか…ごめんなさい…」


そうして美羽は言葉を飲み込んだ。これ以上突っ込んでも、きっと秋人は何も答えてくれない…そう察したからだった。スッと立ち上がった秋人はそのまま控室を後にする。


「…ッチ……なんなんだよ…一体…俺も…くだらねぇ…」


キュッと口唇をかんでいた秋人。控室に残された美羽の目からは1粒…また1粒と涙が零れ落ちる。しかし、グッと拭うと秋人の後を追って、撮影スタジオに向かっていく。そんな美羽は自身に言い聞かせていた。


「大丈夫…泣いてなんかいられない…」


そうして秋人の撮影風景をじっと見守る事にして、スタジオの少し外れの方に立って見ていた。廻りから聞こえてくる声にはどうしたんだろう…といった声も聞こえて来る。そんな折に美羽に声をかけてくるスタッフもいた。


「榎本さんどうかされたんですか?」

「え?」

「なんかいつもと雰囲気と言うか、空気が違うような気がして…」

「そうそう。何か少し前の秋人君に戻ったっていうか…少し冷たい感じがするから…体調でも悪いのかなって…」

「大丈夫…体調が悪いとかではないので…」

「そっかぁ…じゃぁプライベートでなんかあったかもね…」

「そだね…」


そうして会釈だけしてスタッフは帰っていく…そんな様子と秋人の様子を見て、美羽はどうしたらいいか、見当すら付きにくくなっていた。そんな中、秋人の撮影も一旦休憩に入りながら、秋人の衣装チェンジも入る。着替えに入る時、美羽はもう1度秋人に話しかけた。


「秋人…あのね?」

「何?」

「皆、スタッフの方達が言っていましたよ?」

「何を?」

「少し冷たい感じがするって。空気感が変わったって…」

「気のせいだろ、それにスタッフにそう言われても実際は関係ねぇし。」

「関係あるよ?」

「ハァ…」

「…秋人…?それか、体調でも崩した?」

「ほっといてくれよ…マネージャー」


初めて会った時から秋人が美羽の事を『マネージャー』と呼ぶのは初めての事だった。『おい』と呼ばれる事の方が余程心的に、気持ち的に楽であったと…そして今の現状では、秋人の口から『マネージャー』と聞けば、本当に関係が公私の『公』のみであると、そう告げられているような感じにしか思えなかった。


「それじゃぁ俺先にスタジオ戻るから。」

「私も行きます。」

「…好きにしたら?」


そう言われながらも美羽は秋人の後ろを歩いてついていく。さっきまで感じていたもやもやから、今ではもうそんな気持ちすらどうにもならない様な気持ちにまでなってきていた。初めて会った時以上に冷たく、こちらもまともに見ようとしてくれない…こんな事はマネージャーとしてついてから初めての事だった。

それから2時間ほど経った頃か。撮影も無事に終わった秋人。その後のインタビューも滞りなく終了して、着替えも終わり、それぞれ家路に帰ろうかという時だった。


「秋人さん…あの…」

「…何?」

「少しいいですか?」

「早くして?」

「…なんで急にあんなこと言ったの?」

「あんなって?」

「別れようって…」

「……ッ」


フッと目線を逸らす秋人。そんな相手の腕を取り、美羽は再度聞いた。


「秋人…お願い…それだけ聞かせて…」

「……気持ちが…気持ちが冷めた…それだけだ…」


そうひと言言い残すと秋人はふいっと腕を振り解いて美羽の前から姿を消すかの様に車に乗り込み先に出て行った。そんな秋人を見送ると、美羽もまた車に乗り込んだ。しかし、なかなか出発には至らなかった。運転席に座ると、俯いたまま両手を握りしめていた。


「…ッ…泣いたら…だめ…」


そう自分に言い聞かせるように美羽は両手をっギュッと握りしめていた。そんな時だ。美羽の携帯のバイブが突然震えだす。


「はい、葛城です…」

『もしもし?匠だけど…今いい?』

「…はい、大丈夫です。」

『どうした?何かあった?』

「いえ…大丈夫ですよ?何てことないです。」

『少し話があるんだけど。仕事終わってからでいいから事務所来れる?』

「あ、それじゃ今から向かいます。」

『終わってからでいいよ。』

「終わって今から帰ろうかって時だったので…秋人さんの送迎も心配なくなってますし」

『…そっか。解った。それなら待ってる。』


そうして美羽はぼやける視界の原因の涙を拭い、エンジンをかけて事務所に向かった。事務所までの距離は少しあり、車で30分程走った位でようやく事務所に着いた。時間からしたらもう少し待てば受付のスタッフは仕事を終える時間になる。その為、美羽は宮村にメールを入れた。


『今着いたんですが…、もう少し待ってから上、上がります。』


そうして時期に返信はきた。『上がっておいで』と…もし相沢が居たら…、あんな風に言われて気まずいままの状態の彼女が居たらと考えてしまっていた美羽を余所に宮村は上がってくるように仕向けた。ゆっくりと扉を開け、中を見るとそこには相沢は居なかった。知らない女性と、以前にもよく一緒に仕事をした事のある人が居ただけだった。


「お疲れ様です」

「あ、お疲れ様です。久しぶりね!」

「はい、お元気そうで…あ、初めまして。私、葛城美羽と言います。」

「初めまして…」


少し怪訝そうにも見える様子の新人にも挨拶をして、奥に向かった。


「あの!すみません、今社長は…!!」

「あ、来客中?」

「大丈夫よ、来てるの榎本さんだから。」


何の気なしに答えてくれた相手に会釈をして、美羽は焦りの色を隠せないままノックをする。


『どうぞ?』


そう中から聞こえた後に美羽はゆっくりと扉を開けて中に入る。


「お疲れ様です。葛城入ります…」

「どうぞ、それで?」

「マネージャー来たんならまた電話します。」

「まて、秋人。しっかりと続き話せ。」

「だって、今のマネージャーにこれ以上の負担とか、在り得ないでしょ」


何の事か解らないまま、美羽は立ち尽くしていた。そんな美羽を前にして、宮村は秋人に続けて言った。


「とにかく、彼女のマネージャーはこのまま続けて貰う。いいな?」

「どうしても、それは必要ですか?」

「必要だからそう言ってるんだ。解ってるのか?」

「直行直帰だって何の問題もない。仕事だって何とかなる。何か問題がある?」

「大有りだ。とにかくこの件は今の状態では了承しかねるから。」


そう言われながらも秋人は社長室を後にした。はぁ…とため息を吐いた宮村はギシリと椅子に深く腰掛けた。立ち尽くしたままの美羽を宮村はソファに座る様に促して、自身もデスクからそちらに移動した。


「あの…さっきのって…私秋人さんのマネージャー…降ろされるんですか?」

「降ろす降ろさないの問題でどうこう言っているんじゃない。秋人の我儘だけでそんなに人事は勝手に動かせない。美羽ちゃんが仕事が出来ないとか、秋人に悪影響がでたとか、そう言った理由があるなら話は別なんだけどな。公私混同されてはたまったもんじゃない。」

「あの…私…」

「気にする事ない。今回の件に関しては秋人の我儘だから。それで、呼んだ事なんだけど。」

「はい。」


そう言いながら宮村は1枚の用紙を出した。そこに記載されていたのは社員登録証だった。


「あの…社長、これって…」

「さっきも言ったが、美羽ちゃんと組んでからの秋人は上々で、貢献をしてくれてる。それに、他のS4のマネージャーたちも社員だからね。本来なら契約更新を待たずして行いたかったんだけど。遅くなって済まない。」

「でも…私もしかしたら秋人さんのマネージャー降りる事になるんじゃないでしょうか?」

「降ろさせる何てことはしないさ。なんだかんだ言っても1番相性のいいマネをそう簡単に切り離そうとは俺も、そして誰よりも秋人自身したくないはずだからね。」


そういいながら美羽を見てニコリと微笑んだ宮村。


「これからも秋人の事、頼んでいいかな?」

「…私で本当に仕事に影響しないでしょうか」

「する訳無い。大丈夫だよ。」

「それなら……」


そういい宮村の差し出した書類に同意のサインを書いた美羽だった。

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