第10話まほろばなる所
その頃の美羽と宮村はエレベーターに乗っていた。ただでさえ高層階に位置していたレストランだったが、それ以上に上に登って行く。美羽は気付いているかどうか不明ではあったが、レストランからずっと宮村と手を繋いだままでいた。
チーン…
軽い音と同時にエレベーターの扉は開く。宮村はそっと手を引きながら美羽と一緒に部屋に向かっていった。鍵を開け、中に入ると宮村は先に中に入っていく。
「結構広いもんだな…」
そう呟きながら窓際に近付き、カーテンを開け夜景に目を見張る。ゆっくりと中に入ってくる美羽。そんな相手に近寄り宮村は頭にぽんと手を置いた。
「そんな緊張しなくてもいい。それより何か飲むか?」
そう言いながら背中を向けた宮村。その直後にトンっと軽い衝撃を背中に受けた。そのすぐ後にするりと前に回る腕…
「美羽ちゃん?」
「今だけでいい…んです…少しだけ…もし迷惑じゃなければ…ッッ」
「…」
無言のままそっと美羽の腕を緩めると向きを変えて宮村は正面から優しく抱きしめた。今にも泣きだしそうな美羽を両腕に抱きしめながら、宮村は頭を撫でる。
「迷惑なんかじゃない…大丈夫だから…」
「ック…ヒック…」
「俺でよければ…傍に居るから…」
そう言いながら少し、美羽の気が済むまで巻き付いていた。長い様な、短いような…そんな時間の後に美羽は自分から体を離し、俯きながら『すみません…』と呟く。
「やっぱり、秋人となんかあったろ?」
「…何も…」
「美羽ちゃん?ちゃんと話して…」
「…ッッ…私…秋人と付き合う様になってたんです…」
突然の美羽の告白に宮村も一瞬ドキリとした。しかしそこに矛盾を感じた宮村はその確信を突いた。
「付き合うようになってたって…何で過去形なの?」
「それは…」
「もしかして食事中に来たメールって別れのか?」
その問いに対して美羽はまたしても小さく頷くだけ。それを見た宮村は抱き寄せる事もせず、そのまま聞いていた。
「本当に…すみません…なんか…色々と…」
「色々って?」
「急に『匠さん』なんて名前で呼んじゃうし…甘えて…なんかもう頭がぐちゃぐちゃしてて…泣いちゃうし…ほんと…なんて謝ったらいいか…」
「気にしなくていい…」
「ほんと…もぉ…」
背中を向けて、涙を止めようと必死になっていた美羽。堪らなくなり宮村は後ろからそっと抱きしめた。
「社…長?」
「匠でいい…俺じゃ…俺じゃだめか?」
「…え?」
そう伝えると美羽の体を自身に向け直して、宮村はそっと話し出した。
「秋人との事、忘れろとは言わない。仕事上一緒に過ごすんだ、忘れられる訳はないから。だけど俺の事を頼ってほしい。もっと甘えてほしい…その相手、俺じゃだめか?」
「からかわないで…下さい…」
「からかってない。暇つぶしとかも思ってない。秋人とどれだけ付き合ったとか、どうしていたかとかも俺からは聞かない。だけどこんな風に好きな女が目の前で泣いててそのまま放置できるわけないだろう…」
「社長…」
「出来る限り傍に居るよ…もう一回聞くよ?…俺じゃ、ダメかな?」
宮村のその目はすごく優しかった。それと同時に、さっき見た秋人の目が…さつきの目が…ひどく心に蘇ってくる。もうそれだけで美羽の心は崩れ落ちそうになっていた。
「私…社長の事……」
「ん?」
「…好きなわけじゃ…ないですから…」
そう言いながらもきゅっと巻き付いた美羽。その直後に消えそうな声でもう一つ呟いた。
「今はそうでも…ちゃんと好きになれる努力…します…」
「美羽ちゃん…」
「だから…少しだけ…社長の腕に甘えさせてください…」
美羽の巻き付く腕に少しだけ力がこもった。それに応えるように宮村は頭を撫で、笑っていながらそっと体を離すと額にキスを落としながら目を見つめて言った。
「とりあえず…」
「…?はい…?」
「匠でいいから…」
「でも社長、それは…」
「ほらまた…匠でいい。さっきみたいに」
「…ッッ…た…くみ…・・」
「ん?なに?」
「呼べって言ったから…」
「はいはい。クスクス…」
そうして『お手洗い…』と切り出した美羽。そっと腕を離した宮村は美羽を見送ってソファに腰かけると、携帯を出した。
「さて…と、どうしようか…」
携帯の画面をじっと見詰めながらカチカチとメールを打ち出した。
その頃の秋人とさつきはと言うとまだ食事の真っ最中だった。
「そういえば…マネージャーさん、社長と付き合ってたんだ。」
「……」
「秋人が別れようって言う前から二股?良いご身分だね。」
「うるさい…」
「…そうはいっても…」
「それ以上話すなら俺は帰るぞ?」
「解ったわよ。黙って食べますよ…」
そう言いながら美羽以外の話をしながら食事を食べ勧めていった2人。秋人の頭の中はすでにさつきの事も、食事の事も何もなかった。あったのはただ1つ…美羽の事だけだった。
どうして社長と一緒だったのか…
俺の約束よりも大切なのかも知れないけど、なんで一緒と言ってくれなかったのか…
いや、それよりもまず、『匠さん』と呼んでいた…
それも…俺の目の前で……
そんな美羽の行動の1つ1つが気になって仕方なかった。食事をやっとの思いで済ませると、会計をしてその場からエレベーターで降りていく2人。さつきは『お手洗いに行ってくる』と言ったのをきっかけに秋人はフロントに走り寄った。
「すみません、宿泊者の確認ってできますか?」
「ご宿泊者様でしょうか、お名前は?」
「宿泊者は宮村匠です。」
「少々お待ちくださいませ……はい、宮村様、ご予約頂いておりますが」
「部屋は?…部屋はどこですか?」
「申し訳ございません、これ以上はお客様のプライバシーにかかわりますので…」
「だったら、電話、繋いでもらう事は出来ますか?!」
「かしこまりました。」
そうしてフロントデスクの女性は宮村の部屋に内線を繋いだ。そうして少し話をするとその女性は秋人に向きなおす。
「申し訳ございません、お繋ぎ致しましたが、宮村様よりご伝言でございます。『今手が離せないから後で携帯に連絡する』との事でございます。」
「…女性と一緒ですか?」
「お答えできかねます…申し訳ございません」
丁寧に頭を下げたフロントの女性。そうこうしてるとさつきが秋人を探しやってきた。
「秋人…なんですぐどっかに言っちゃうのよ…探したじゃない…」
「…ッチ…」
そうして軽く会釈をすると秋人もフロントの前から歩き出した。そのまま駐車場に向かって車に乗り込み、発車させる。後部座席にはさつきも乗っている。どの位か…走った先にさつきのマンションがあった。
「着いたぞ?」
「ありがとう、上がってく?」
「いい、それより早く降りろ。俺の車もバレてんだから…」
「相変わらず立ち寄らないのね、いいわ?じゃぁまた帰った位に連絡する」
「…好きにしろ…」
そうしてさつきを降ろすと秋人は早々に車を出した。そのまま家に帰る気も起きずに近くのホテルに向かっていた。ホテルに着き、部屋に入るとまず、宮村の携帯に電話を掛けた…
そんな時、部屋では少し落ち着ければ…と宮村は美羽をシャワーに促していた。
「でも…」
「手は出さない。約束する。ゆっくり入っておいで?明日も仕事だろ?」
「はい…それじゃぁ…」
そうして少し躊躇いながらも、美羽は浴室に向かった。宮村は1つため息を吐いてソファに深く座りなおした時だった。携帯に着信があった。
「もしもし?」
『…秋人です…今いいですか?』
「どうした?」
『今からあって話したいんですが…』
「電話なら問題ないが…?」
『……ッ、美羽が…一緒だからですか?』
「そうだ…と言ったら?」
その宮村のたったひと言の返事で秋人は言葉を失った。そんな秋人に宮村は追い打ちをかける様に話を続ける。
「秋人?俺の事務所は社内恋愛は禁止していない。それが例えばタレントとマネージャーであったり、社員であったり、全てにおいてな?イコール、他事務所のタレント様であっても然りだ。却下をするとしたら、理由はただ一つ。仕事に悪影響を及ぼす相手であった時だ。」
『……はい…』
「それはしっかりと理解できてるよな?」
『はい……』
「だから秋人が社内の人間と付き合っていようと咎めやしないさ。」
『…社長…?』
「だけど、別れ話が明らかに一方的すぎるのはいかがなものだ?」
一気に核心に着いた宮村。その為か言葉を失った秋人。
「過去に君が早川さつき氏と付き合っていようと止めなかった。別れた理由もな?だけど、そこから復縁するにも事欠いて、二股か?」
『それは…』
「言い訳なら聞こうか?」
『……あいつとは付き合っていない。少なくとも今は…』
「ただの友達という訳か?」
『……それは…』
どこか歯切れの悪い秋人の会話や返事。それに対して宮村も激しく罵倒するでもなく、問い詰めるでもなく…話を聞こうとしていた。それでも秋人は言葉に詰まっていた。
「秋人…?」
『…はい…』
「美羽ちゃんとはプライベートで少し距離を置け。今のままでは彼女が可哀想だ…」
『…匠さん?』
「はっきりとするまで仕事のみのかかわりだけにしてもらう。秋人の答えが先か、美羽ちゃんの心が俺の方に向くのが先か…」
『ちょっ…!匠さん!?』
「俺は美羽ちゃんに想いを伝えた。好きになれる努力をすると返事をくれたよ。この意味、解るな?」
『……』
秋人の言葉の代わりに宮村の耳に届いて来たのは通話の終了を知らせるプーップーッという機械音だった。そのすぐ後に、美羽は浴室から出てきた。
「すみません…先に入らせてもらっちゃって…」
「いや…いいよ。それより今夜、どうする?」
「どうって…」
「泊まっていくか、帰るか…泊まるなら明日早めに出て家まで送るし、帰るならそれはそれでちゃんと送る。」
「あの、そう言ってくれて嬉しいんですが…」
言葉を伝えるのにいい言葉を探しているのが手に取る様にはっきりと解った。スッと立ち上がり、頭をぽんっとたたくと微笑んで宮村は上から見つめた。
「無理するなって。支度しな?送るよ。」
そういい宮村もトイレに向かい、用だけ済ませて荷物を持ちなおす。
「あの…本当にすみません…」
「気にするなって。それじゃぁ行くか?」
「…はい…」
そうして部屋を後にする2人。フロントで精算だけ済ませてその場を後にした。言った通り、美羽の自宅まで送り届けた宮村。部屋に明りが付くのを見て、車を走らせ、宮村もまた自宅に帰って行った。
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