第9話『悪魔っ子』


 ……あなたには私が見えるの?



「ええ、残念ながら」



 その返答に、霊は笑った。



「ここじゃ何だから、場所変えない? あなたはどうでもいいでしょうけど、人間はデリケートな生き物なの。こんな殺風景なところじゃ、楽しくお話もしにくいわ——」



 ……楽しい?



 死んでから初めての生者との意思疎通という経験に、死んでいた少女の心はほんの少しだけ、息を吹き返した。

 楽しい、なんて言葉や感情のことを思い出すのも久しぶりだった。



 深夜二時頃。

 少女が、いつものように自分が死んだ場所で膝を抱えてうずくまっていると——

「あら」

 ギターを抱えた長身の女性が、彼女に振り向いた。

 腰まである綺麗な長い髪を揺らし、活力にあふれたクリクリした目を向けてくる。

「こんにちは。……じゃなかった、こんばんは、か」

 女性は一人でボケて一人で突っ込んで、笑っていた。



「そんな怖い恰好で出てこなくても、いいいんじゃない?」

 近くの公園のベンチに座った女性は、大きなギターケースを脇に置いて、肩をすくめた。

 さすがに、真夜中の公園というのは薄気味悪い。確実に霊がそばにいるとなれば、なおさらだ。

 しかしその女性は、霊に対してまるで普通に人に話しかけるかのように自然体である。まったく恐れる様子がない。



 ……すみません、性分なもので。



 怨霊に、明るく出ろと言っても、土台無理な話である。

「よかったら、あなたのお話、聞かせてくれない?」



 ……私は、ここで死んで七年になるかな、多分。

 あまり、ちゃんと覚えてない。

 時間がありすぎて、ありすぎて……

 考えちゃうことと言えば、この世で辛かったことばっかり。

 気が狂いそうになるから、努力してボーッと生きてきた。

 あ、生きてきたとは言わないか。『時を過ごしてきた』に変更。

 死んで気が狂っちゃったら、いやだよね。

 だってさ、これ以上死にっこないんだもん。

 死にもせず、自我が無くなりもしないで狂い続けるなんて、拷問だよね。



 何もかもがイヤになって、17で家を飛び出した。

 親? サイテーだったよ。

 親ったって、どう見ても私と同レベル。

 友達の家にお呼ばれした時に、ひとんちのお母さんとかお父さんとか見るんだけどね。そこで分かったことは、ウチの親とはだいぶ違うな、ってこと。

 へぇぇ、親子ってこんなにあったかいもんなんだ、って思った。

 言ってみればウチの場合は、子どもが子どもを生んだ、みたいな。



 家出少女やって、体を提供する変わりに泊めてもらう、ってのを繰り返した。

 くじってのは、数引けば当たる確立が上がるんだよね。当たり前のことだけど。

 何十回目かに、ヘンなのに当たっちゃってね。

 とうとう、殺されちゃった。



 その人、ヘンタイでね。

 ネクロフィリア(屍体性愛者)願望のある人だったの。

 言葉にするとえげつないけど、死体とエッチしたい、ってやつね。

 普段は捕まっちゃいけないからノーマルな性欲処理で抑えてたらしいんだけど——

 私の時はなぜか、ついに我慢ができなかったみたいなの。首を締められてね……



 考えても見てちょうだい。

 私、死んでからね、横で自分のもといた体……つまり死体ね。

 それを犯されているのを霊になって眺めてたんだよ。想像できる?

 これ以上の苦しみなんて世の中にないんじゃないか、って思ったよ。

 自殺に見せかけるために、首吊りを偽装されたけど、最近の科学捜査を舐めてるね。当然、その男はつかまったよ。

 でもね、その男は後悔してないみたい。

 あとの人生棒に振っても、夢がかなったから満足、みたいな。

『本懐を遂げた』みたいな?



 もうね、男を恨み殺すとかね、そういう気力も湧かなかったよ。

 あれ、そもそも幽霊に気力なんてあるのかね……?

 私は七年、首吊りを偽装されたこの場所で、ただ泣いている。



 気がついたらね、ここは自殺の名所になってた。

 私がここで泣いてるだけで、似たような波長の魂を呼ぶんだろうね。

 悪気はないんだけどさ。

 結果、同じ星の下に生まれてきたような子を、引きずり込んでしまうようなことになっていた。

 そう考えたら、私って悪い子なんだよね。

 悪魔の子みたい。

 誰か、こんないけない私を退治してくれないかなぁ。

 私みたいな地縛霊なんて、消滅しなきゃいつまでたっても人の迷惑だし。



「で、あなたは今はどうしたい?」



 ……私ね、世の中に言いたい。

 私みたいな女の子は、自分を粗末にしすぎてる。

 ただ親とか世間に反抗したくて、自分がいっぱしの人間だと思わせたくて——

 そんなゴミみたいなプライドのために、永遠の苦しみに至るような世界に安っぽく身を投げている。

 私みたいになっちゃだめ、って教えてあげたい。

 そんな乾いた心のまま死んだら、私みたいになるよって。



 女性は、かたわらのケースからギターを取り出して構える。

「あのね、それはダメ」



 ……どうして?



「人間にはね、死後のことや宇宙の真理をそのまま教えてはいけないことになっているの。ヒントだけは、世界中のあちこちに与えられている。だから自分たちの力でそれに到達しなければならないようにできているの。そういうゲームを、生きている人はしているの」



 ……そっか。確かに、この世界では霊とか死後の世界のことは常識どころか、まゆつばもののたぐいだもんね。

 これだけ長い歴史で、未だにあるかないか分かんない、っていうのも——

 高い精神性と知恵を与えられているんだから、自力で何が大切かを探れ、ってことなんだね。



「そう。確かに、死後の世界からバカバカ霊が現れて、死後の世界があるんですよ・生きているうちにちゃんとしましょうね、なんて大々的に宣伝しだしたら皆イヤでも信じるんでしょうけど。

 人間には『自分で考え、判断して選び取っていく力』が与えられているの。同時に、その力相応の「責任」も与えられている。

 だから、ヒントはなし。そこまで人間を甘やかしてられないの。だから、死後の世界は黙して、何も語らないの。

 それに、あなたが何を言っても、地上世界にすでにある知恵の言葉に聞き従わないような人は、いくら霊が諭しても結局は同じことだと思う」



 聞く耳のあるものは耳を傾ける。

 聞く気すらない者には、知恵の言葉も右の耳から入って左の耳から抜けてゆく——



 ……じゃあ、私にできることは何?



「祈ること」



 ……祈りって何? ひざまずいて神様にアーメン、ってあれ?



「う~ん、どう言ったらいいんだろ。まぁ、この際形のことはいいや。

 あなたは『似たような境遇の子にこっちに来ちゃダメ』って教えてあげたいって思ったんでしょ? その気持ち自体は大事だと思うの。だから、言い方ををちょっと変えればいいのよ」



 ……変える、って?



「だからね、~しないで、っていう否定形を使わずに言うの。例えば『どうか、世界の少女が道を踏み外しませんように。真実の愛に目覚めて、自分を大事にできますように』って、強く願うの。誰かさんのために、その幸せを願ってあげること。それが 『祈り』」



 ……私に、できるかな?

 自分がそんなもん分かってなくて、エラそうに人のために祈るってことが—— 



「試しに、やってごらんなさい。祈るのに資格なんて要らないの。それに、試したところで何も失わないんだから、別に損はないでしょ?」



 女性は、ギターを弾き始めた。

 真夜中の公園の暗闇を、不思議な旋律が満ちる。

 そして彼女の幽玄な歌声が響く。



 ~ Amazing Grace ~



 Amazing grace how sweet the sound

 That saved a wretch like me.

 I once was lost but now am found,

 Was blind but now I see.



 少女は、ひざまずいて、祈った。

 初めて、人のために何かを真剣に願った。



「世界に愛がありますように。闇がこれに勝ちませんように——」



 その瞬間、少女の霊体が、まばゆく輝き始めた。

 自分の変化に気付いた少女は、驚いて自分の体を眺め回した。

「行ってらっしゃい」

 ギターを弾く手は止めずに、女性は優しく声をかける。



 ……まさか、私!?



 次第に、少女の体がかき消えてゆく。

「向こうの世界に行っても、地上の子たちのこと、祈ってあげてね」


 

 ……うん



 少女は、笑った。



 …そういえば、名前聞いてなかったね。お姉さん、お名前は?



「由貴」

 後悔や悲しみ以外の理由で、少女は涙を流した。



 ……そっか、由貴姉ちゃんね。縁があったら、またいつか——



 最後に、少女がバイバイと手を振るその残像だけが、空中に残った。



 'Twas grace that taught my heart to fear,

 And grace my fears relieved,

 How precious did that grace appear,

 The hour I first believed.



 歌い終わる頃には、由貴は公園にひとりになっていた。

 霊を一人と考えないなら、初めから一人なのであるが。

 由貴は、何事もなかったようにギターをケースにしまい、また歩き出した。

 どこへ行くのかは、分からない。



 あの少女の祈りは、この病める世界の子どもたちに届くだろうか——。

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