第6話『素晴らしきかな、コロッケ!』

 秋吉峰子は、その客を見た時から、変わった人だなぁと思っていた。

 何か、普通じゃないことの起こりそうな予感がした。



 兵庫県のA駅の出口すぐにある、コロッケ屋さん。

『神戸ニコニコ堂』 という、冗談のような微笑ましいようなビミョーな名前のこの店は、神戸地区一帯に十数店舗を構えるチェーン店である。

 駅からそう遠くない短大に通う峰子が、お小遣い稼ぎにこの店でのバイトを始めたのは半年前。

 売り物は、数種類のコロッケしかない。店のスペースも、祭りの屋台と同じくらいのスペースである。

 朝の8時に出勤して、エリア担当の社員が軽トラックで運んでくる材料を受け取り、コロッケの中身をこねて形を作り、小麦粉・卵・パン粉を付けたらショーケースに並べる。

 そして客の注文に応じてそのまま売ったり、その場で揚げたりして売るのである。

 エリア担当の社員・笠間が朝一番に一日分の材料を運んできて、そして閉店の夜8時に売り上げを受け取りに来て、材料のストック管理をするこの二回以外は、峰子はまったく他人に干渉されずに仕事ができるわけだ。

 勤務中は、まさに一国一城のあるじ気分になれるが、それだけに責任も重い。



 土曜の、朝10時。仕込みを終えた峰子は、満を持して狭いが誇りあるその職場のシャッターを開けた。

 初めはコロッケどころではない通勤客が通るばかりで、人通りは激しかったもののまったくヒマなのが常であった。

 ここ最近は、売り上げも厳しい。社員の笠間からは「秋吉君、ホント頼むよ。一個でも多く売ってね!」 と、ほぼ毎日深刻に頼まれている。



 ……そんなこと言われたってね、私にできることには限界があるんだっつーの。



 一人で店を切り盛りしていれば、実に色んなお客さんが来る。

 こちらがヒマなのを見計らって、おばちゃんがその場で揚げたコロッケをかじりながら、世間話をしていくこともある。

「あのねぇ、それで近所の山田さんの奥さんがねぇ——」

「……はぁ」

 峰子にとっては、山田さんの奥さんが浮気をしようが実はウルトラマンだろうがどうでもいいのであるが……そこは客商売なので、フンフンと笑顔でお話を承るのだ。

 そしてある程度話せて納得したおばちゃんは、お土産のコロッケを買ってやっと帰っていくのだ。

 バイト時の白いコック服と頭の三角巾を脱ぎ捨てれば、いかにもな今風のギャルに早替わりする峰子には、おばちゃんのゴシップ話などにはまったく興味がなかった。

 だから、帰りにも商品を買って行ってくれるからまだ我慢できるものの、これで何も買わずに帰ったら 『蹴り入れたろかい!』などと思ってしまうことだろう。



 時刻も11時に近付いた頃。

 一人の、若い女性が来た。

 年の頃は、多分峰子よりは少し上だろうか。

 スラッと背の高い、黒のロングヘアが特徴的な美人だった。

 そして、彼女からは『普通の人っぽくないオーラ』がかなりきつく出ていた。

 仕事を聞いて『芸能人だ』とか『歌手だ』とか言われても十分に納得できる。

 それを暗示するかのように、彼女は大きなギターケースを背中に抱えていた。

 服装はスリムタイプのデニムに、黒のギャザースリーブジャケット。

 全体的にはそれほど派手でもなく、どちらかというとおとなしめのコーディネートなのだが、それでも峰子が知る限りのどの人間とも違う魅力を発散させていた。



「あのう、おすすめはなにかしら?」

 聞かれた峰子は、即座に答える。

「……今期間限定で、牛スジコロッケを販売しています。オススメはそれですが、もし当店のご利用が初めてでしたら、ベーシックな神戸牛ミンチコロッケをまずお試しいただくのもいいかと思います。じゃがいもと玉ネギにもこだわって北海道の厳選素材を使用してますから、本当に美味しいですよ」

 ギターを抱えた女性は、しばらく上を向いて考えていたが、やがて口を開いた。

「それじゃ、普通のコロッケとりあえずひとつ揚げてくださいな」

「かしこまりました。ありがとうございます」

 峰子は、175度に設定されたフライヤーの油の中に、コロッケを滑り込ませる。 やがてそれは、見るからに食欲をそそりそうな泡をたてて、次第に狐色に揚がってゆく。



 コロッケが揚がるまでに、峰子はその女性のことを色々聞いた。

 まず、名前を聞いて驚いた。

「ええっ、あの yuki さんですかぁ!?」

 牧山由貴と名乗るその女性には、見覚えがあった。

 今では活躍を聞かなくなったが、4・5年前に『One Way Accel』という当時は絶大な人気を誇ったロックバンドがあった。目の前の女性は、そのグループのリーダーでもあり、メインボーカリストでもあった yuki(由貴)その人であった。

 話によると今は公の音楽活動からは離れていて、全国を放浪して好きに歌って回っているのだそうだ。

 揚がったアツアツのコロッケを茶色い包装紙にはさんで、由貴に渡す。

 ここで食べていく、と聞いていた峰子は、手渡すときに「後でサインくださいね」と言うのを忘れなかった。



「う~ん、これはオイシイ!」

 由貴はそうほめながら、お世辞などではなく本当に美味しそうにコロッケにかぶりついている。

「そう言っていただけると、うれしいです~」

 現役ではないとはいえ、有名人という人種に出会うことなど経験したこともない峰子は、天にも昇るかのような心持ちだった。

 あっという間に全部食べつくした由貴は、不思議なことを始めた。

 ギターケースからアコースティックギターを取り出すと、弾く構えをとる。

「じゃあ、お礼に客寄せしちゃおうかなっ」

 それを聞いた峰子は、目を丸くした。

「エッ、こんなところで?」

 店の前は、ちょうど駅前広場になっていて、少し向こうには噴水と花時計があった。由貴は店の横に立って広場のほうを向き、何の躊躇も迷いもなくギターの弾き歌いを始めてしまった。



 どうやらのっけの曲は、岡本真夜の『Tomorrow』のようである。

「………やっぱうまいわ」

 刹那、峰子は自分が仕事中であるのも忘れ、カウンターに肘を付いてうっとりと曲に聴き入った。

 ものの三分もしないうちに、信じられない展開になっていった。

 一人、二人、三人……

 魔法にでもかかったかのように、せわしなく行き交っていた通行人の中から吸い寄せられるようにして、由貴の前に人が集まってくる。

 次の曲に入るまでには、すでに8人がいた。

 そして三曲目には、14人。

 四曲目には、ついにその数31人——

 由貴の正体に気付いた一部の客が、他の人間を呼ぶ。

 そしてその人だかりを見て、「一体何事だ?」と好奇心からさらに人が寄ってきた。

 突然できた人ごみに、駅構内使用許可云々を問い詰めようとやってきた駅係員も、気が付けばうっとりと演奏に耳を傾ける聴衆となっていた。ミイラ取りがミイラに、とはまさにこのことである。



 もう、こうなってはほとんど『牧山由貴プチコンサート 状態であった。

 曲の合間に、わざわざ由貴が——

「神戸ニコニコ堂のコロッケ、ホント美味しいです! 鑑賞のおともに、是非お買い求めくださいねっ」

 そんなことを言ってしまったものだから、とたんに峰子の目の前にとんでもない数の群集が押し寄せた。

「ひいいいっ」

 いらっしゃいませと言わなければならないところだが、峰子を責めるわけにはいかない。

 店の前に3人程度が並ぶことはあっても、40人も人が並んだのをかつて見たことがなかったからだ。

 もはや峰子は、由貴の歌をゆっくり聴いてなどいられなくなっていた。

 ただひたすらに、コロッケを揚げることに専念した。

 客は客を呼び、12時になる前にはついに普段の一日分の売り上げを軽く超えてしまっていた。

 それでもまだ、客は途切れそうになかった。



「秋吉君、大丈夫かいっ!?」

 血相を変えた神戸ニコニコ堂の担当社員、笠間は、ハァハァ言いながら狭い店内に駆け込んできた。

 この調子では、今日のために仕込んだ分がなくなる。かといって、新しく仕込んでなどいたら、お客さんをかなりお待たせしてしまうことになる——

 そう危機感を抱いた峰子は、電話で笠間に状況を説明し、助けを求めた。

 笠間は、他店ですでに成形してもう揚げたらよいだけになっているコロッケを大量に運んできた。

 そして笠間がひたすらにコロッケ揚げマシーンと化し、峰子は接客に専念することにした。

「商売繁盛っ、大繁盛っ!」

 汗だくになりながらも、笠間はとてもうれしそうだった。

 由貴は7曲を披露し、ちょっと休憩をはさむことにした。

 その間に、ギャラリーたちはゆっくりとコロッケをほおばった。

「へぇ、ここのコロッケってこんなにうまかったんだ~」

 方々で感嘆の声が上がった。由貴の宣伝効果は、まさに破壊力抜群であった。



 その時である。

 ギャラリーの一人である男性が大声を上げた。

 ピッチリした黒のフォーマルスーツを着ている様子から、結婚式か何かにでも出席するものと思われた。

「マジかよ!」

 周囲の者は、一斉に男性の方を向いた。

 どうやら彼は、ケータイに向かってしゃべっているようだ。

 その声を受話器で聞いた通話相手は、さぞかし耳がジンジンしたのではないだろうか。

 その男性からは、目に見えてそれまでの元気が消えていった。

 男性はトボトボとニコニコ堂のほうへやってくると、コロッケを一つ注文した。

 峰子は代金を受け取りながら、「さっき驚かれていましたけど、何かあったんですか?」と尋ねた。

 普段の峰子なら、自分のほうから客に積極的に話しかけることなどなかったのだが、今日に限っては由貴の出現もあって、いつもの彼女とは違っていた。



「………これから友人の結婚式があるんですけどね」

 男性は、財布から小銭を取り出しながら、説明を続ける。

「知り合いのアマチュアロックバンドが、披露宴で歌ってくれることになっていたんですよ。でもグループのリーダーが急病で倒れちゃいましてねぇ。来れなくなった、って連絡がさっきの電話だったんですよ。

 せっかくのめでたい席なのに、急な取り止めってのはまずいよな、………って残念がってたわけですよ。急遽代役、たってねぇ。リードギターにメインボーカルができる人物なんてそう簡単には——」



 男がそこまで言った時。

 その男も峰子も、同じことを考えてアッと小さく叫んだ。

「………もしかして、私が必要?」

「わっ」

 いつの間にか、由貴が二人のそばまで来ていた。

「ま、まさか…来て…くださるんですか!?」

 男性は、救世主に出会ったかのように目をウルウルさせて、由貴を見上げた。

「ちなみに、式場ってどこ?」

 由貴の予想外の質問に、男性は少し面食らっていたが——

「三宮にある神戸ブライトンホテル、です」と答えた。

「なるほど。そこの電話番号、分かる? あと、式を挙げる新郎新婦の名前も教えて」



 しばらくケータイに向かって何やらやり取りをしていた由貴だったが、やがて通話を終えて電話を切った由貴の口から、思いもよらぬ言葉が出てきた。

「神戸ブライトンホテルから、緊急注文。コロッケを適当に三種類ずつ、130人分を持っていって。そして向こうに出向いて厨房で揚げてちょうだい」

「なななななな何だって!」

 店の奥から、笠間が飛んできた。

「笠間さん………どうしましょう!?」

 不測の事態に、オロオロする峰子。

 しかし。日頃頼りなく見える笠間だったが、この時は愛社精神のある社員らしい勇気ある決断を見せた。

「ここは僕に任せて、秋吉君行っといで! 頼んだよ」



 神戸ニコニコ堂のロゴが目立つ軽トラックを、峰子が運転する。

 助手席には、由貴が乗り込む。

 助けを求めてきた男性の乗るタクシーの後を、追いかけていくことになった。

 この時峰子は、短大入ってすぐに免許取っといてよかった、と思った。

「……何でホテルなんかからウチみたいなところの注文が取れたんですか?」

 率直な疑問を、由貴にぶつけてみた。ハッキリ言えば、これは奇跡に近い事件だ。

 窓外に流れゆく街並みを眺めながら、助手席の由貴は答えた。

「あそこの支配人とは、ちょっとした知り合いでね」



 式場であるホテルに着くと、由貴と峰子は別れた。

 峰子は裏口からコロッケを搬入して、その足で厨房に向かった。

 由貴は、支配人に取り次いでもらい、挨拶を交わした後で新郎新婦とその両親と面会。

 その場で、様々な打ち合わせを済ませた。

 新郎新婦も由貴の活躍当時は大ファンであったから、由貴のユニークな提案を喜んで受け入れた。



「ええっ、これ、やるんすかぁ!?」

 由貴から楽譜を配られたアマチュアバンド『ナリッシュ・トゥルーパーズ』のメンバーたちは、驚いた。

 涼しい顔をして、由貴は答える。

「うん、結構面白いと思うよ。それに、練習の時間もほとんどないし、あなたたちとは会ったばっかりだけど、きっと合わせられると踏んだの。どう、私間違ってる?」

 リスペクトするロック界の大先輩からそう言われた彼らは、その一言で音楽魂に火がついてしまった。

「おしっ。yuki さんと共演できる人生最大の晴れ舞台だ、やったろうじゃねぇか!」




 チャペルでの式が終わり、一同は披露宴の会場に向かった。

 そして、和やかなムードの中、コース料理がテーブルに振舞われる。

 フランス料理の皿に混じって、何だかそういう場では見慣れない物体があるのを、多くの招待客がヘンに思った。

「ちょっと、君ぃ」

 新郎の恩師である大学教授は、近くのボーイを呼んだ。

「はい、お呼びでしょうか」

 駆け寄ってきたボーイに、世にも不思議な狐色の物体を指差して、尋ねた。

「こっ、この……この料理は一体何かね?」

 何かは分かっているのだが、そう聞かずにはおれなかったようだ。

 やがてボーイの口から、教授の予想の正しかったことが証明されることになる。

「はい、これは『神戸ニコニコ堂特製・神戸牛ミンチスペシャルコロッケ』でございます。本日オススメの一品です」



 アマチュアバンド『ナリッシュ・トゥルーパーズ』の登場に、披露宴会場は興奮のるつぼと化した。というのも、新郎新婦がロック好きなだけに、招待客の中にはバンドに混じっている由貴の正体に気付いてしまう者もかなり多かった。

 しかも、途中で支配人が由貴の来ている事をホテル中に宣伝してしまったからさぁ大変。

 ホテル中から客が押し寄せ、しまいには別の場所で披露宴をしていた新郎新婦まで顔を出す始末。もう、その場は一体誰の結婚式なんだか分からなくなっていた。

 てか、バンドのコンサートと思われても仕方のない状況だった。

 皆が喜ぶ中、場が制御できなくなったプロの雇われ司会者だけは、頭を抱えた。



 本来のアマチュアバンドのナンバーの演奏を一通り終えると、ようやく由貴の企画した最後の曲に入った。

 安室奈美恵の、往年の名曲『Can you celebrate ?』。

 結婚式では、比較的よく歌われる曲である。

 ロックから一転して、しっとりとした聴かせる曲調に魅せられて、披露宴の招待客とその場に勝手に集まったその他大勢は、うっとりとして耳を傾けた。



 一番が終わりかける頃。由貴はメンバーたちに目配せした。

 いきなり、ドラムがドカンと大きな音を弾かせる。

 続いてリードギターの由貴は、いきなりビートを変えた激しい旋律に乗せて、鋭く弦をかき鳴らした。

「おおっ」

 その場にいたものは皆、感嘆して息を呑んだ。

 なんと、由貴を始めとするバンドのメンバーたちは『Can you celebrate ? 』をロック調にアレンジしたもので挑んできたのだ。

 一見合わなさそうではあるが、由貴という最高の料理人の手にかかれば、それはもう見事な曲に仕立て上がっていたのだ。



 新郎新婦は、大喜びであった。

 もちろん、由貴のサインをねだり、喜んで持って帰って行った。

 その披露宴から帰る招待客たちは、口々に言った。

「いやぁ、有名人も飛び入りで来るし、今日はすごい披露宴だったよなぁ! コース料理にコロッケがメインで出たのは意外だったけど、あれはあれで結構いけるよなぁ?」




 二年後。

 北海道は函館の駅を降り立った由貴は、駅前通りに意外なものを見つけた。

「あら」

 色々な店に挟まれてこじんまりと建っているのは、あの『神戸ニコニコ堂』という揚げたてコロッケのお店だった。

「……懐かしいな」

 由貴は、店に近付いて神戸牛ミンチコロッケをひとつ、揚げてもらった。

 代金を支払い、紙にくるんだアツアツのコロッケにかぶりつく。

「うん、やっぱりオイシイ!」

 その懐かしくも優しい味は、峰子や笠間・そして披露宴で共演したアマチュアバンドのメンバーたちの顔を由貴に思い出させた。

「ここにまでチェーン店ができたってことは、あそこも頑張ってるんだぁ!」

 由貴は、自分の関わった人たちが人生を頑張って生きていることを知って、自分のことのようにうれしく思った。

 コロッケを食べ終えた由貴は、ギターを抱えなおして周囲に落ち着けそうな場所がないかとキョロキョロした。



 また、歌いたくなったのだ。

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