第3話『あの素晴らしい愛をもう一度』

 レジでひたすら商品のバーコードを読み取っていた澄子は、さっきからある人物の動きが気になっていた。

 西岡澄子は、このスーパー『大黒屋』に勤めてもう三年になる主婦だ。

 それだけ勤めているとレジなどはお手のもので、最近は時給を上げてもらった上で、商品のディスプレイ・特売やキャンペーン商品のローテーションまで担うようにまでなった。

 まだ、夕方のサービスタイムも含めたかきいれ時には間がある3時半。

 ベテランの澄子にとってこの時間のレジ業務は楽すぎた。

 その余裕が、ある人物の挙動不審な行動を彼女に気付かせることとなった。



 その人物には、見覚えがあった。

 さっき、今日の広告の品である『Mサイズの卵 12個入り一パック95円』を買っていった若い男性だ。しかし、一度店を出て行ったその男性は、また店内に戻ってきた。

 奇妙なことに、その姿にはさっきと違うところがあった。

 さっきは確か帽子を被っていたが・・・今度は脱いでいた。

 そして、厚手のジャンパーも脱いでいた。

 澄子は、確信した。



 ……はぁ、分かったぞ。 

 あの男の子は、きっとまたあの『卵』を一パック持ってレジに来るぞ。



 本日の出血大サービスの目玉商品である卵は、客寄せのための必殺兵器である。

 その商品だけの利ざやで言えば、売れても儲けが少ない激安価格なのだが……

 それを目当てで来ても、他で必要なものも買ってお金を落としていってくれれば、トータルとしては儲かるのである。

 そういうこともあって、買占めを防ぐために『お一人様一パック』という制限を設けたのだ。

 きっと、その若者は事情あって安い卵を沢山買いたいのだろう。

 それで、セコくも一パック買うたびに変装などしてレジを通過する腹積もりなのであろう。

 若者は今、澄子の横のレジを通過して行った。買って行ったのは明らかに卵。人のイタズラを発見してしまった子どものように、澄子は面白がってワクワクした。



 ……あの子、また来るかしら? 来るとしたら、次はどんな工夫をしてるのかしらね?



 さて。

 別に澄子を楽しませるためではないだろうが、その若者は三分後に店内に現れた。

 今度は一度目に着ていたものとは違う色のジャンパーを羽織っていた。

 ありゃリバーシブルだな、と澄子は見当をつけた。

 この時間は、客の入りがそれほどでもないこともあり、6箇所あるレジのうち3箇所だけしか稼動していない。つまり、若者がいくら来るレジを散らしたところで、絶対に澄子のレジにやって来るはず。

 澄子は、年末ドリームジャンボを買う時以上の興奮を感じた。



 ……もう終わりかな? それともまた次、来るかなぁ?



 その姿を見て、澄子は吹き出した。

 今度は、眼鏡をかけていた。

 あきれるというよりも、澄子は感心した。

 この飽食の時代。経済的困窮も少なく食べれて当たり前と思っている若者が多い中で、特売の卵を買うのにこんな涙ぐましい努力をする子がいるとは! 何だか、笑えるが涙ぐましい光景でもあった。

 案の定、若者は澄子のレジにやってきた。

 さっきはレジでも直立不動で動かなかったが、今度はポケットに手を突っ込んでキョロキョロして、何だかヤンキーっぽさをあえて出そうとしている。卵のために、演技で変化までつけてくるとは!

 澄子は脱帽し、降参した。

 そして、ついにこう声をかけた。

「ちょっとお兄ちゃん。事務所まで付き合ってくれへんか?」



 次の日。

 スーパー『大黒屋』の事務所内、午後4時。

 澄子は腕組みをして、目の前のパイプ椅子に腰掛ける5人の若者を見下ろした。

 うち二人が男性・三人が女性。

 言うまでもなく、男性の一人は昨日『卵5パックゲット作戦』のために特攻してきた若者だ。

「一応、自己紹介しとこっかな。私の名前は——」

 手近にあったモップをつかんでバシッと床に叩きつけ、五人を睨む。

 若者達がゴクッと唾を飲み込んで緊張する。

「に~し~お~か~ すぅ~みぃ~こ~だぁ~よぉ~」

 冗談などではない。彼女は本当に『西岡澄子』という。漢字が一文字違うが。

「ア゛―――ッ!!!」

 突然の澄子の雄叫びに、彼らのうちの二人が、後にひっくり返った。



 昨日澄子は、事務所で若者と話をした。

 もちろんとがめだてをするつもりなどなく、ただ興味があったのだ。

 一体この子は、どんな事情を抱えているのか、と。

 事と次第によっては、協力してやらないでもない。

 そんな澄子の気持ちなど知りようもない若者は、「ひええぇ ずびばせええんん」 と、まるで万引きでも見つかったかのように罪悪感を満面に表していた。

 若者の名は、岩井武人。

 彼はW大に通う大学生で、バンドをやっている。

 一応彼がそのバンドのリーダーで、将来は 『ビッグになりたい』らしい。

 何だか、古い言い回しのような気がしないでもないが……



 残りの四人が、彼の大学の友人でもあるバンドのメンバー。

 みな、音楽活動のためにそれぞれ経済面でかなり苦労しているらしい。

 それで、昨日は武人が皆の分の『安い卵』を請け負って買いに来ていたのだ。

 澄子は、「協力してやらないでもないから、明日メンバーみんな連れといで」と言って帰したのだ。

 それが、バンドのメンバー総勢5名と澄子とのご対面に至るまでの経緯である。



「じゃあ、今度はあんたたちの番。一人ひとり自己紹介ね」

 若者達は顔を見合わせていたが、一番左に座っていた武人が、「じゃ、オレから順番ね」 と仕切っていた。

「オバサン……じゃなかった。澄子さん、って呼ばなきゃ、かな? 昨日も言ったけど改めてよろしく。オレ、岩井武人。バンドのリーダーでメインボーカル担当っす」

 さすがにバンドの顔だけあって、ちょっと垢抜けていて男前だ。

 茶髪に染めた髪がイヤミでなく、自然に似合ってしまう得な顔立ちをしている。



 その隣りの「元気がはちきれそう」という表現がぴったりの女の子が、「じゃ、次アタシね」と言って立ち上がる。別に、立たなくてもいいのだが。

「えっと、私は杉本みなみ、と言いますっ。リードギターとサブボーカルを担当してますっ。よろしくぅ!」

 ショートカットの似合うかわいらしい子だった。

 しなくてもいいのに、よろしくぅの後にウインクまで付けてきた。

 教育番組の『歌のお姉さん』という表現がピッタリである。澄子は思った。



 ……そっちのほうが向いてるんじゃ?



「おっしゃ、わいの番やな」

 やたらと体格のいい、ラグビー部だと言ってもらったほうがかえってしっくりくるような大男が軽く手を上げる。

「わいは本田浩二、言います。一応、ベースギターやっとります。よろしゅうたのんます」

 大阪弁っぽいがビミョーに違う、わけの分からない方言の使い手だった。



「それでは、次は私ですね」

 隣りはロックバンドのメンバーっぽくない、黒髪の和製美人だった。

「私の名は坂本恵(ケイ)って言います。以後、お見知りおきを。昨日はウチの武人が失礼をしたそうで……謹んでお詫び申し上げます」

 やたら言葉遣いが丁寧で腰が低い。

 異様な風格をかもしだすその大人びた動作は、大学生とは思えない。

 「あ、申し遅れました。わたくし、ドラム担当です」



 ……はぁ。この子がドラムぶっ叩いてるところが想像できん。



「ジャ、サイゴハワタシネ」

 何とか日本語として聞き取れるが、明らかに純粋な日本人じゃないことは分かる。

 ブロンドの髪は染めたのではなく、きっと地毛だろう。

「ウチ、タカハシ・フローレンス・マキ イイマス。ア、マンナカノハ、ミドルネームネ。ウチハニッケイドイツジンヤネン。ユウタラ『ハーフ』チュウワケデスワ」

 どこで習っているのか、かなり怪しい日本語である。

 外人女性特有の華やかさがあり、美人と言えた。

 でも、口を開くとイメージが崩れる。

 もしかして、言葉はさっきの本田、っていう男の子に影響されたんかいな?

「ア、ユウテヘンカッタワ。オラッチハキーボードト バアニヨッチャパーカッションモヤルネンデ」

 そう言ってにっこり笑う高橋・フローレンス・真紀は、ドイツ語だけしゃべってれば確実に知性派美人に見える。



 ……よくもぁ、これだけ個性的なメンバーが揃ったものだ。



 澄子は彼らの境遇に同情した。

 彼女自身も、若かりし日に音楽をやりたい、という燃えたぎる思いを持っていた過去があった。

 しかし親に 「そんな夢みたいなこと言っとらんで、勉強せい! 歌手なりたいいうやつ全体の何人がなれると思ってるねん。ま~少なくともお前にはムリムリ!」と言われたことで、断念した。

 正直なことを言えば、親のせいと言うよりもそう言われてみて「いくら望んでもやっぱ自分じゃダメかなぁ」と、自分で見切りをつけてしまったのだ。

 話を聞くと、この子らも親から『大学行って、普通に働きなさい』と言われているクチらしい。 

 しかし、夢が忘れられなくてこうしてバンド活動を勝手に続けているうちに、そのことがバレた。

 彼らは親たちに「学業やきちっとした進路のための努力もしないでそんなことしてるんだったら、援助などしない!」と宣告され、学費以外のお金は支払ってくれなくなったのだそうだ。

 仕送りのない彼らは、当然アルバイトをしないといけない。

 しかし、バイトに明け暮れては音楽活動がおろそかになる。

 そこで彼らは、生活をギリギリ切り詰めてバイトをへらしつつ、できるだけ練習の時間を作っているのだそうだ。今回の卵買占め事件は、そういう彼らの台所事情によるものだった。



 澄子は、彼らの夢をサポートすることに決めた。

 賞味期限の近いお勤め品や、店頭に置いておく時間切れの惣菜などを彼らに便宜を図って流すことを約束した。そのようなことは、澄子のスーパーでの地位をもってすれば、たやすいことであった。

 5人は、飛び上がって喜んだ。

 その日彼らには倉庫に眠っていたシーチキンの缶詰や一袋15円で売るはずのおからを持たせてやった。

 みんな「明日はおからや。久しぶりに朝ごはんが食えるでぇ!」 と大変な喜びようであった。

 澄子の目に、涙がにじんだ。

 ……若者もまだ捨てたもんやないな。こういう子らもまだおるんやな——

 感激した澄子は、こっそり 『サッポロ一番みそラーメン』の五個パックを土産に持たせた。澄子の名誉のために言うと、ちゃんと彼女が代金を払ったものである。

 渡したときの杉本みなみの一言が、さらに澄子の涙腺を刺激した。

「やったぁ! これで明日の夕飯までできちゃったぁ」



 それから三日後。

 パンの耳とハムの端を取りに来た武人を待っていた澄子は、彼を見るなり手招きして呼び寄せ、言った。

「んたら、これからウチの倉庫の端で練習してもええで」



 実は、バンドの面々の悩みの種の一つに、『練習場所がない』ことがあった。

 彼らの安アパートで楽器をかきならしたら、苦情は必至であった。

 大学のクラブかサークルに属せば学内のどこかが使えるのだろうが、独立してやりたかった彼らは組織に所属するわけにはいかなかった。

 自分らだけを『サークル』として位置づけるにも、申請を出すのに必要な人数基準には足りなかった。

 スタジオなど借りようものなら、それこそ膨大な費用がかかる。

 おからやインスタントラーメンを喜ぶ彼らの手が届く世界ではなかった。

 そこで澄子は、店長の春日井に相談したのだ。

 彼らに場所を提供してやりたい、と。



 大黒屋の商品倉庫には、かなりのスペースがあった。

 室内だし、地理的にもよその迷惑にはならない。

 音を聞く羽目になるのは倉庫の在庫管理担当くらいだし、仕事中のBGMと思ってもらって理解を得ればいいだろう——。

 店長も、やはりバンドに憧れたことのあるクチだったので、情に訴えれば説得は容易であった。

「オレの若い頃はなぁ、TOTO とかU2とか……あとミックジャガーが大好きでなぁ。オレもあんなんなりたかったんやぁ」

 影響されやすい店長は、単なるノリでその日の有線を洋楽のチャンネルにしてしまった。

 商品を物色する主婦達は、聞きなれないそのエイトビート主体の旋律に、顔をしかめた。



 その夜、澄子は興奮に顔を輝かせた5人に抱きつかれ、キスやハグの洗礼を受けた。彼女の一人息子はもう独り立ちして、よそで家庭を持っていたから、澄子は何だか自分に大きな子どもができたような気がして、喜んだ。

「そう言えば、あんたらのバンド名まだ聞いてなかったわぁ。何て言うん?」

「あ、そっか。まだ言ってなかったかぁ」

 リーダーの武人は、もったいぶってエヘンと咳払いをした。

「オレらのバンドは、『ライジング・サン』って言うんや」

 澄子が話を聞いてみると、そのネーミングの由来は、『スクールウォーズ』というラグビーの青春ドラマに出てくるコンセプトからとったらしい。バンド名にしてしまうには、多少キナ臭い感じは否めない。



 ……いったい、あんたら何でそんな古いドラマ知っとお?



 澄子は提案した。

「ほら、のだめなんちゃら~ビレとかいうんでも、ライジングなんちゃら、っていう名前を楽団に使っとったやろ? 何かそれと似てる感じやしさ……この際、ちょっと変えへん?」

 4人は賛成したが、リーダーの武人は自分がつけたという自負とこだわりがあったのか、ブーブー言って難色を示した。

 さてどうしたものか、と澄子が何気なく倉庫を眺め回していると——

 乾物を仕入れている『日の出食品』の段ボールが目に入った。

 そこには、海の地平線から、太陽が半分顔をのぞかせているマークがプリントされていた。

「そや! じゃあコンセプトは変えんと、表現だけ変えて……『サンライズ・オーション』ってのはどう?」

「ワォ、ソッチノホウガヨカトデスネ。ゴッツゥエエカンジヤナイデスカ!」

 真紀は、またもや怪しい日本語で賛成した。

 結局、全員の同意の下、『サンライズ・オーション』は新しいスタートをきった。



「あそこや。あんたら、よう見ときや。この前通りかかった時にめっちゃ感動して立ち止まってしもたんが、あの子の歌や」

 K市の中央公園。サンライズ・オーションの5人を連れてきた澄子は、『課外学習』と称して、彼らにある人物を見せようとしていた。

 澄子は、倉庫で練習する彼らの歌を幾度となく聞いた。感想は……

『可もなく、不可もなく』 だった。

 演奏自体は、ヘタではない。むしろ技巧的にはうまかった。

 しかし……いまひとつ何かが物足りない、のだ。

 今回の目的は、そんな彼らに一皮むける起爆剤を与えることにあった。

「あそこの噴水のそばでギター弾いてる子おるやろ。あの子のすることと、集まってくる人をよう観察しててみ」

 そう言って澄子が指差した人物に、5人は心臓が止まった。



 ……あれは、『One Way Accell』 のメインボーカルやってたYUKI(由貴)さんだよ!



 牧山由貴は、かつては一世を風靡したロックバンドを率いていた。

 しかし、ある時期からヒットが少なくなり、自然消滅していった。

 そうは言っても、最も影響を強く受けたバンドのひとつとして彼らの心に残っており、今頃どうしてるのかと、時には考えることもあったほどだ。

 そのあこがれだった由貴さんが、今目の前にいる——

「あ、あんたらあの子のこと知っとるんけ?」

 澄子にやいのやいのと言われるまでもなく、5人はその真剣な目を由貴に注いだ。



 派手な格好もしていない。ジーパンに茶色のコート、足にはスニーカー。

 そして、由貴が抱えているのはエレキギターではなく『アコースティックギター』。

 歌っているのも、学校の教科書にでも載っているかのような、真面目な(彼らからすれば)歌。

 武人は首を傾げた。由貴さん、どうしちゃったんだろ?

「あの子はね、今は風来坊のようにギター1本で全国を旅して回って、路上とか公園とかで弾き歌ってるんだってさ」

 初めはたった一人だった彼女の回りに、人がやってきた。

 一人、また一人。

 立ったまま聴く人もいれば、体育座りをしてじっくり聞く体勢に入る者もいる。

 やがて15人ほどが集まった。

 年齢層もバラバラ。

 散歩中らしい老人、営業周りっぽいサラリーマン、下校途中の女子高生、子どもを近くで遊ばせておいて聴き入る、買い物かごを下げた主婦——



 5人は、驚いた。

 駅前などの人通りの多い場所ですら5人立ち止まったらいいほうだというのに、昼下がりの公園で15人とは!

 武人は考えた。由貴さんと自分たちとは、いったい何が違うのだろう?

 今の彼には、その深いところまでは分からなかった。

 しかし、ひとつだけ分かったこと。

 あのひとには、一切の気負いがない。

 音楽を『聴かせよう』としていない。

 あえて言うなら、「母」だ。

 母が子をあやすように、愛情を注ぐように……音を出している。



 JRのK市駅、駅前広場 4:30PM。

 一台の大型トラックが敷地内に進入してきた。

 そしてそこから降り立ったのは、澄子・春日井店長をはじめとするスーパーの従業員たち。

 彼らは大きな音響機材を、いそいそとセッテングし始めた。

 何とかして彼らに曲をアピールする場を与えてやりたかった澄子は、店長に相談を持ちかけた。

 店長は、この駅の駅長とは親友同士だった。二つ返事で、駅前での演奏を許可してくれた。

「ホンマはもっとややこしい手続きがいるんやけど、まぁたまにはええでっしゃろ。常識とか規則に縛られとったら、人生に面白いことはそう起こりまへん。市役所にはうまいこと言うときますから、思いっきりどうぞ」



 サンライズ・オーションの面々がそれぞれ大学やバイト先から駆けつけて来た時。

 彼らが人生で、これほどまでに驚いたことがあったかどうか思い出そうとしたが、難しかった。

 駅前広場に広がる特設ステージ。そして、使ったこともない立派な音響機器の数々。高出力のアンプやスピーカーまであった。

 これは全て、5人の倉庫での頑張りに心を打たれたスーパーの従業員たちの、応援の気持ちの現われであった。

 年は皆同じだが、精神年齢に関しては一番高いドラマーの恵(ケイ)ちゃんが、言った。

「……皆さん。これは人生最大の晴れ舞台よ。感謝して、全力を尽くそうではありませんか」

 5人は、円陣を組んで、勝利を誓い合った。



 5:30 PM 。

 開演予定まで、あと30分と迫った。

 春日井店長とメンバー5人は、音響機器の出力の調整や楽器のチューニングに余念がなかった。

 彼らからは離れたところに、成り行きを見守る二人の人物の姿があった。

「由貴さん、来てくれてありがと。あの子らのこと、どう思う?」

 すっかり由貴とは顔なじみになった澄子は、恐る恐る尋ねた。

「そうね。面白いと思う。デモテープ聴かせてもらった限りでは。でもあのままじゃダメね。昔の私と一緒」

 由貴は、謎めいた言葉を残した。



「歌が自分のためのものなら、人前で歌う必要はない——

 この言葉の意味を、彼らが悟るかどうかにかかっていると思います」



 6:00 PM 。

 意を決したリーダー・武人は、マイクをつかんで道行く人々に語りかける。

「みなさんっ、どうも! 僕らは『サンライズ・オーション』です。よろしくぅ!」

 いよいよ、始まった。彼らの初の路上ゲリラライブ。

 曲目は、彼らの作詞・作曲したものから澄子と選んだベスト8曲。

 オープニング曲が終わったが、誰一人立ち止まる者はいない。

 音に気付いた通行人は彼らに一瞥をくれるだけで、そのまま歩き去っていく。

 メンバーは動揺の色を隠せなかったが、それでも熱心に、健気に演奏を続けた。



「……あの子たち、大丈夫かしらねぇ」

 心配のあまり、動物園の熊のようにウロウロする澄子。

「まぁまぁ。まだ分かりませんよ。信じて見守ってあげるのが、あの子たちへの最大の応援ですよ」

 由貴は自分のギターを背中に抱えたたまま、落ち着き払ってサンライズ・オーションの面々に視線を注いでいた。



 三曲目が終わりに近付いてきた時。

 5才くらいのちっちゃな女の子が、武人の前に立った。

 何か訴えているようだが、大音量のため何を言ってるのか全く聞こえない。

 どうせこのまま演奏していてもラチがあかないし、いいやと判断した武人は、メンバー達と音響を管理していた春日井店長に合図を送って、音楽を止めた。

 武人はしゃがんで、女の子と同じ目線になった。

「えっとお嬢ちゃん、どうしたのかな?」

「プリキュア」 女の子はボソッと言った。

「プリキュアのおうたとか、ききたいな。お兄さんたち、そういうのはできないの?」



 サンライズ・オーションの面々は、顔を見合わせた。

 彼らは、一瞬のうちに目で意思疎通し合った。



 ……もう、こうなったらやぶれかぶれだ。

 この子はオレたちの一番最初の大事なお客さんだ。

 喜ばせてあげなくちゃ——



「みなみちゃん、頼んだ」

 武人はそう言ってメインボーカルの位置をみなみに譲り、自分が代わりにリードギターに入った。

 覚悟を決めたみなみは、NHKの歌のお姉さん顔負けの弾けるパワーで叫んだ。

「皆さあああんっ。リクエストにお応えして、それではお送りいたしますっ。聴いてください、曲は スマイルプリキュア!より、『Let’s go! スマイルプリキュア!』」

 ケイちゃんがドラムとシンバルを高らかに打ち鳴らし、キーボードの真紀ちゃんが主旋律を高らかに弾き上げる。

 そこからは、ボーカルみなみちゃんの本領発揮であった。



 みなみちゃんは、アニメソングにも通じていた。

 実は、彼らが倉庫裏で練習していた時、迷い込んできた子どもや、かすかに彼らの練習の音を聞きつけた子どもがやってきて、リクエストをしたことがあったのだ。

 メンバーたちにも茶目っ気があって、数々のアニメソングを自己流にアレンジし、ロック仕立てに料理していたのだ。

 その時の経験が、見事役に立ったのである。



 音楽に満足した女の子は、体を揺すって踊り始めた。

 それにつられて、通行中の小さい子どもが親の手を引いてやってくる。

 恐らく、聴きたいから寄って!などと言っているのに違いない。

 どんどんと、増え続ける子ども。彼らのリクエストに応え、『ポケモン』や 『仮面ライダードライブ』までやった。

 ちびまる子ちゃんの 『踊るポンポコリン』をやった時などは、声の野太いベースの浩二が、「タッタタラリラ の部分をBBクイーンズの男の方そっくりに歌い上げたので、観衆の大爆笑を誘った。

 本来の計画とはかなり狂っていたが、みなみちゃんは生き生きとアニメソングを歌い上げた。



 親達も満足させるために、途中から趣向を変えた。

 会社帰りの中高年サラリーマンをねぎらおうと、昔はやったバーゲンズの『ジンセイ』を演奏した。

 みなみちゃんの、アニメソングの時とは打って変わったしっとりした歌声に、オジサマ連中はうっとりした。歌詞の内容にも、励まされた。



「何だか、もともとの計画とは違うけど……盛り上がってきましたねぇ」

 親心からか、澄子はほっと胸をなで下ろした。

「そうですね、ちょっと吹っ切れたみたいですね」

 由貴もなんだか楽しそうであった。

「さってと。ここまで楽しくされちゃ、私もここで黙って見ているわけにはいかないわね」

 そう言ってスタスタとステージへ向かう由貴。

「ちょ、ちょっとどこ行くの!」

 澄子が聞くまでもなく、行き先は決まっていた。



 ステージ上では、大人の色気たっぷりのドラムのケイちゃんが、持ち場を放り出して瀬川瑛子の『命くれない』を熱唱していた。

 さっきは都はるみをやったのだが、下の斜め45度から見上げる仕草、果てはマジックで頬にほくろまで入れるこだわりぶりは、まるで『ものまね王座決定戦』を見ているかのような面白さがあった。

 オバサン連中の心をつかんで調子に乗った彼らは、ボーカルを武人にチェンジして氷川きよしをやらせた。

 ヤケクソになった武人も、シャープな振り付けを本物と寸分たがわずやりだした。



 いつの間にか(?)ライブの 司会進行役になっていた春日井店長は、マイクをつかんで叫んだ。

「え~みなさん、お楽しみいただいております 『サンライズ・オーション 初ライブ』も、いよいよお別れの時間が近付いてきました」

 それを聴いた100人ほどのギャラリーたちは一斉に時計を見た。

 もう、夜の九時近かった。

「みなさんにも、実はこのメンバーにも内緒にしてきたのですが、最後に特別ゲストを呼んでいます。では、彼らと一緒に歌っていただきましょう! 元『One way accell のメインボーカリスト、牧山由貴さんです!」

 一同は、どよめいた。

 そして聴衆の人混みの中から、由貴当人がギターを抱えてステージに駆け上がってきたのだ。

 ギャラリーのボルテージは最高潮に達した。

 騒ぎを聞きつけてやってくる通行人も増え、信じられない人だかりができた。



 由貴とサンライズ・オーションのメンバーたちは互いに視線を合わせ、プロにしか出来ない意思疎通を一瞬でこなした。

 準備OKの合図を、司会の店長に送る武人。

 ハーフの真紀ちゃんは、キーボードの音色をピアノにチェンジした。

「それでは、最後の曲です。『あの素晴らしい愛をもう一度』」

 即興かつぶつけ本番だったが、その最後のステージは参加したもの皆の心に、後々まで余韻を残すほどの強烈な感動を与えた。 



 武人は思った。

 音楽というものは、与え手と受け手、という二つの存在があって初めて成立する。

 確かに、『自分の音楽』というものは大切かもしれない。

 個性は尊重されるべきだ。

 でも、ある意味人前で歌うということは『究極のサービス業』でもあるんだ。

 どんなにうまく演奏しようとも、歌おうとも、才能があっても——

 観客不在のひとりよがりなら、意味がない。

 まずは、歌のこころをつかむことから始めなきゃ。

 心から聞き手の幸せを願って奏でる曲こそ、真実に人を癒す。

 今回は、オリジナル曲を披露できずに終わったけど、いつかはきっと。

 まずみんなに認めてもらってから、その上でオリジナルをぶつけていっても、回り道じゃない——。

 武人をはじめとするメンバー全員にとって、観客の応援と拍手は、人生最高の宝となった。



「もう行っちゃうのかい?」

 澄子は名残惜しそうに、声をかける。

「私がこの地でできることは、全て終わりました」

 由貴は、ギターをケースにしまうと、肩に抱えて遠い夜空を見つめた。

「そう。それは残念ね」

 澄子と由貴は、固く握手を交わした。

「それじゃあ。あの子たちによろしく。きっと大丈夫。自分たちの足で着実に歩き出していますよ」

 澄子の視界の中で、さすらいの歌姫・由貴の姿はどんどん小さくなっていった。



 そして、やがて見えなくなった。



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