夕方の公園で

 私が学校を飛び出してから、何時間が経ったんだろう。


 家に帰る気にもなれず、結局夕方になるまで、この公園でひとりで過ごしてしまった。



『みんなあなたのことが嫌いです』


 ここ数日はなんとなく感じてたけど、こうもハッキリとやられると、流石に心に刺さるなぁ。


 お母さんとも最近は話という話もしてないし。


 お父さんは……。



 遊具たちはまるで忘れられたかのように淋しく影を伸ばしていた。


 私は公園の広場の真ん中で、一人立ち尽くしていた。



 ……そういえば、よくお父さんと、この公園に来たっけ。


 保育園のころだっただろうか。

 よくここで遊んでもらっていた。

 肩車をしてもらっていた。


 初めて自転車を買ってもらって、練習したのもこの公園だったっけ。

 それに付き合ってくれたのもお父さんだった。


 なつかしいな。


 そんなお父さんは今──別の家庭でお父さんをやっている。


 私は夕空を見上げた。


「捨てられちゃったのかなぁ……」


 また会いたいなぁ……。



 オレンジ色の空が、じんわりと滲んできた。



「ぐすっ……」


 もうこの世界に、私の居場所なんてないように思えてきた。

 みんなに見放されてしまった。


 それは、私が罪を犯したから。


 悪いのは……私だ。

 悪い人間だから、罰を受けて当然なんだ。


「えぐっ……」


 目をこすっても、あふれる涙は止まらなかった。




 どうしてだろう。


「えぐっ……すぐっ……」


 どうして。


「えぐっ……どうして……ぐすっ…………」


 どうして。


「……ど、……うっ……どうして……」


「……っ……あんたがいるのよ」


 ──飾莉。


 涙を指で拭き取ると、目の前に立ち尽くす女の子がいる。


 私は、申し訳なさそうにうつむく飾莉の顔をみた。


「学校……急に飛び出していっちゃったから、心配で」


 新品の赤いランドセルが、太陽を反射してまぶしかった。


「……そんなの、あんたに関係ないじゃん」


「関係、あると思う……」


 ……ないよ。


「友佳ちゃんがこんなことになったのは、わたしのせいだから」


「意味わかんない。わからないの? 私があんたをいじめたんだよ? だから、こうなったんだよ?」


 その罰を受けるのは、当然じゃん。


「あのとき……」


 飾莉は何かを言おうとしてる。


「……あのとき、わたしは友佳ちゃんを拒絶しなければ、こんなことには、ならなかったと、思う」


 そう言って、さらにうつむいた。


「わたしがもっと、仲良くしていれば……」


「はっ、そんなの関係ないから。私が一方的にあんたを嫌ったの。だから……」


 だから……。



「私のこと、殴っていいよ」


 しんと、静まり返った。


「それは……」


「私は散々あんたにひどいことをした。だから私は罰を受ける」


「……」


「ほら、はやくしてよ……」



 飾莉は、弱々しい手付きで腕を振り上げると──



ぺち……。


小さな手で、私の頬を軽く叩いた。



「……はは、なにそれ」


 逆に挑発してるのかって思えるくらい、優しすぎる平手打ち。


「もっと、殴ってよ」


「やだよ……」


「もっと強く殴られないと、私の気が済まないから」


 飾莉は、少し考えこむようにまたうつむくと、手を振り上げ……


 ……ぺちっ。



 さっきよりは少し強かったけど、それでも。


「……なにそれ、全然痛くない」


 この前、お母さんにぶたれたときよりも。

 昔、小さいころにお父さんに叱られてげんこつを貰ったときよりも。


 全然痛くない……。



「……私、やっぱり、あんたのこと嫌い」


「……」


 私は、手を差し伸ばした。


「これからはさ、嫌い同士、お互いやっていこうよ」


 堂々と、握手を求めた。


 そう……。

 私達は、こういう関係でいい。

 これからも、ずっと。



「……っ」


 飾莉は、少し怒ったかのような表情を見せた。その瞬間──


「うぐっ」


 なんと、私の腹に、膝蹴りを入れてきた。


「なに……すんのよ」


 そう言いかけた途端、


 バシッ──!


 と、今度は思いっきり頬にビンタしてきた。


「そういうの、きらい」


 そう言って、睨みつけてきた。



「……っ! 私だって、あんたのこと」


 ──ッ!!


 さらに今度は、グーで鼻にパンチを入れてきた。


 鼻血が出るんじゃないかって思うくらい、痛い……。



「──この……っ!!」


 私は反射的に手が出ていた。

 飾莉の頬に、思いっきりビンタを食らわせてやった。


「……っ!」


 すると飾莉は私の髪の毛を掴み、強く引っ張ってきた。

 私は仕返しに、胸元の服をつかんで押し倒そうとした。


「こ……の……!」


 その時、突然お腹を蹴られて、その衝撃で私は公園の地面に仰向けに倒れた。

 そして飾莉は私の上にまたがって、何度もグーで顔を殴ってきた。


 両手で殴られながらも、私は飾莉の目に涙が浮かんでいるのを見てしまった。


「わたし、だって……がんばっ……て……!」


 弱々しい声で、殴りつけてくる。


 私は飾莉の服を引っ張って、足も使って、飾莉を隣に押し転がした。

 そして逆転して馬乗りになって、今度は私が飾莉を殴りつけた。

 さっきまで殴られた痛みなんか忘れて、これでもかってくら引っ叩いてやった。



「嫌い……」


 この世界が。


「嫌い……!」


 この世界の人間が。


「嫌い……っ!!」


 お母さんも、お父さんも、先生も、友達だったみんなも──!!


「嫌い────ッ!!」



 そう叫んで、両手をがっちり組んで飾莉の顔面に打ち付けようとした時。


「痛っい……!」


 ──腕を噛まれた。

 その反動で、私は後ろによろめいて倒れた。


 飾莉は砂埃を立てながら突進してきて、私の胸にタックルしてきた。

 そのときにみた、夕陽の影に映った飾莉の表情が、今にも泣き崩れそうなほどに歪んでいた。


 そして──


「わたしは、すき……っ!!」


 見上げた飾莉の瞳から、ぽたぽたと涙がこぼれ落ちてきて、私の頬を濡らしていった。


「にーちゃんも、おねーちゃんも、学校のみんなも……っ、死んじゃったお父さんも……どこかに行ったお母さんも──」

「──みんな好き……っ!!!」




 なんで……そんなこと言えるの。


「ふんっ!!」


 伸し掛ってくる飾莉を靴の裏で突き放して遠ざけた。

 今度は私が強く地面を蹴って、前進して行った。


 差し込んでくる夕日がまぶしかった。

 泣きじゃくる飾莉と取っ組み合いになりながら、公園の土に伸びる二人の影をみた。


「そんなこと、ありえない! 信じられない!」

「そんなこと、ある──!!!!」


 飾莉は歯を食いしばって、鼻水を流しながら泣いていた。


 お互い泥だらけになって、こんな公園で喧嘩してる。

 馬鹿みたいだ。

 

「ぼろぼろに泣いてるあんたに言われても……っ! 説得力なんてない!」


「友佳ちゃんだって、泣いてるじゃん!!」


「え……」


 ──気が付かなかった。

 体中の痛みと、泥と、ぐしゃぐしゃになった髪の毛ばかり気にして、気が付かなかった。



 ……いや、違う。


 気付きたくなかったんだ。


「私は……!」


 さらに押し合う力を込める。


「私は──ッ!!」




 ────本当は、嫌いになりたく なかったんだ。



「うっ……うぇ……」

「……っ」


 あれ。


「うぇぇぇえええん!!!」


 だんだんと、力が抜けていく。


「うわぁぁぁぁぁぁああああああん!!!!」


 これって、自分の泣き声……?


 するりと、体の力が抜けて、その場で崩れ落ちた。

 飾莉は咄嗟に、私を支えるように、まるで包み込むように抱きしめてきた。


「わたしは……ねっ」

「──ぁぁぁああああああん!!」

「わたしはね、友佳ちゃんが、っ、誰よりも、じ、自分のことを嫌いになって欲しくない……ッ!」


 ──私は、自分のことを嫌いになりたくなかった。


「──うわああああああぁぁぁん!!!!」


 みんなのことを、大好きでいたい。

 離れて欲しくない。

 消えて欲しくない。


「────ああああああああぁぁぁっ!!」


 そばにいてほしい。


 飾莉の抱きしめる力が、さらに強くなって、温かみを増していく。

 途方もなく長い間、溶けなかった氷が、少しずつ溶かされていくように。


 私は発作を起こしたかのように泣き叫んだ。

 その叫び声は、夕焼け空を引き裂くかのように強く響き渡らせた。


「大丈夫……友佳ちゃんは……一人じゃない……っ!」


 私は目を閉じながら、飾莉の声を聞いていた。


 完全に体の力が抜ける。


 暗くて重くて苦しくて不愉快な何かが、そっと遠くへ消えていく。

 固く縛られていたものが解かれていく。


 ──気が付くと、私は、飾莉のことを強く抱きしめていた。

 強く、強く、抱きしめていた。

 

 溢れる涙でパーカーを汚しながら、それでも泣き叫んだ。


 今まで抑えていた重しが失せ、全ての感情が解放される。


 笑っていたのかもしれない。

 怒っていたのかもしれない。

 悲しんでいたのかもしれない。

 喜んでいたのかもしれない。

 感謝していたのかもしれない。



 その日、私は生まれて初めて、心の底から泣いた。

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