登校

 週明け。

 なんの変哲もない朝だった。


 しいて言うなら、今年の最低気温を更新する予定らしい。

 そういえば朝起きたら、うっすら霧が降りていた。


 天気予報では、異常気象、という予報士の心労を軽減してくれる魔法の言葉が飛び交っていた。


 そんな朝。

 いつもより、ちょっと早く目が覚めた。



「飾莉、起きてるか?」


「ん……うん」


 布団からじっと顔を出し、眠たそうな瞳でこちらをみつめる。


「今日、三者面談があるのは知ってるよな?」


「うん」


「学校……いくか?」


「……うん」



 三者面談。


 その日の朝、一件の電話がかかってきた。


『先日の対応は大変申し訳ございませんでした。4年3組のイジメ問題につきましては、教育委員会から厳しいご指摘が入り、本日からすぐに早急な対応をさせていただく所存でございますので──』


 かけてきたのは、飾莉の通う小学校の校長だった。

 なぜこんなことになったかというと、校長自ら、直々に説明してくれたのだ。


 久園寺家から直々に教育委員会に圧力がかかったらしい。


 名家の久園寺家から圧力がかかったことにより、学校側は事の重大さを把握した。

 そして、飾莉のクラスのイジメ問題を早期に解決するよう務めるそうだ。



 しかし、国の教育委員会にまで手が伸びる久園寺家の権力というのは、凄まじいものだと改めて思い知った。



***



玄関を通り過ぎると、ふと6号室の表札が目に入った。



──『彼のことが、どうしようもなく、好きなんです』

──『好きな人の、好きな家族を、守りたいです……』



 ……。


 久園寺さん、今日も休むのかな。

 そんなことを思っていた途端、ガチャリと扉の開く音がした。


「……あ、おはようございます! 悟さん、飾莉ちゃん」


 目に映ったのは、腰まで伸びたストレートな綺麗な金髪。

 そして、ブレザーの制服姿に、通学用のカバン、革靴。



「……久園寺さん、今日から学校行くんだ」

「はい、お父様に約束してしまいましたし。わたしは、わたしの願いを叶えるために自分の務めを果たすだけです」


 真っ直ぐと見据える、大きな瞳でそう言った。


「ところで、その傘は?」


 空を見たところ、雨が降る様子はない。


「日傘です。前も言いましたけど、わたし日光に弱いんですよ?」

「……あー、なるほどね」


 そうして、初めて3人での登校が始まった。



***



 朝の通学路は町から音を無くしたかのように静かだった。

 桜の木は所々散り始め、緑の新芽が交じるようにして二色の衣に着替えて始めていた。


「うう……おなかいたくなってきた」


 久園寺さんはお腹をおさえながら、うつむいて歩いている。


「おねーちゃん、だいじょうぶ?」


 飾莉が心配そうに言った。


「はい、胃の辺りが、ちょっと……」



 無理もない。

 何しろ半年ぶりの登校なのだ。


 クラスメイトも突然の登場に驚くに違いない。


 久園寺さんにとって学校に登校するということは、それはとても大きな一歩に違いない。

 彼女は、強い決意を胸にかかえて、今こうして並んで歩いているのだ。


 久園寺さんは、自分の意思で学校に行くと宣言した。


 それは、俺たち家族のために──。



 気がつくと、高校の門の前で来ていた。


「じゃあ飾莉、授業が終わったらすぐそっちに向かうから、待っててな」


「うん」


 幸いなことに、俺の通う高校と小学校は数百メートルも離れていない。


 俺はランドセルを背負う妹に手を振って、久園寺さんと学校の門を通った。




「あの、悟さん」

「ん?」


 久園寺さんは覗き込むようにしてこちらを見つめてきた。


「……わたし、学校ではキャラが変わるので、あまり気にしないで貰えるとうれしいです」


 久園寺財閥のご令嬢。

 その立ちふるまいは、なんとなく想像できる。


「無理しなくていいよ。今までみせてくれたいつも通りの久園寺さんの顔で行けばいいよ」


 そう、微笑みかけると「……頑張ります」と弱々しい声が返ってきた。



***



 案の定、朝からクラス中は大騒ぎだった。


「久園寺さん、久しぶりだね!」

「病気のほうはもう大丈夫なの?」

「少し髪の伸びた? 可愛いね!」


 隣の席で、群がる数人の男女。


 そういえば俺の隣の席って久園寺さんだったんだよな……。



 かという本人はというと。


「──ええ、お陰様で体調も治りましたわ。皆様、心配してくださってありがとうございます」


 透き通るような声で、美々しい微笑みをふりまいていた。

 それは、普段俺には見せないような表情で、どこがぎこちなさを感じさせる笑顔だった。


 これが中学から高校まで彼女が見せていた、ご令嬢としての仮面だったのだろう。


 俺は机にひじをつきながら、そのぎこちない笑顔を眺めていた。




 午前の授業は静かに過ぎていった。


 授業中、隣の席からポンと机に投げられたメモ用紙を開いてみる。


『──お昼休み、屋上でお弁当を一緒に食べてください』


 それとなく、隣に目をやった。

 唇を平らに引き伸ばし、おでこに汗をかきながらにっこりとした久園寺さんのぎこちない笑顔があった。



***



「……ふぅー! はぁー!」


 彼女は、屋上で地面に手をつき、目を見開きながら汗をだらだらと流していた。


「そんなに無理することないのに」


「やっぱり緊張してしまいます。ここは地獄ですか? 魔境ですか?」


「一応、病気って設定だったんだし、そりゃ周りも気にするよ」


「授業中、ずっと胃が痛かったです。胃薬は持ってきたんですが」


「とりあえず、お弁当食べたら薬を飲もうか」


「はい……」


 屋上のベンチで手料理の弁当を広げる。


 けれど、久園寺さんはあまり食事に手をつけなかった。

 本当に緊張しているんだろうな……。



 久園寺さんは、未だに大財閥の一族としての重圧を感じているようだった。

 もっといつもみたいに、天真爛漫な彼女の姿を自然に振る舞えるようにしてあげられたらいいんだけど……。



「ちょっと、食欲ないです……」

「無理することないよ。胃薬、飲もうか」

「はい……」


 俺にできることはないんだろうか。


 そんなことを考えながら、昼休みが過ぎていった。

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