久園寺家



俺たちが腰かけているのは、ゆったりとした作りの後部座席。

そしてスモークガラスを流れるのは、賑やかな街の景色。


ここは久園寺家専用車、その車内である。


リムジンをベースに改装された車は、居心地が抜群だった。


路面の振動はほとんど届かず、エンジン音も緩やか。

カーブの遠心力さえ最小限にしか感じないのは、運転手を務める執事の腕だろう。


名家の運転手に求められるのは「ただの安全運転」ではなく「大切な主を運ぶ」という意識。


運転席の執事は、それを完璧に遵守しているのだ。



「悟さん、ここから先はわたしの実家です。あまり緊張しないでくださいね」

「緊張しないでって言われてもな……」


これから行く先は名家中の名家、久園寺財閥の屋敷だ。


今朝、アパートの前で停車していたのは黒塗りの高級車だった。

久園寺さんに同行をせがまれて、今こうして久園寺家の屋敷に向かっている。


「これからわたしの父上に会いに行きます。一緒に来て頂いてあれなんですけど……ずっと黙っていてもらえるとありがたいです」


久園寺さんの表情は強張っていて、これまでみたことないほど緊張している面持ちだった。


余計な口をはさむなってことか……。

これから久園寺さんが何をしようとするのか、検討もつかなかった。


ただ、彼女の醸し出す雰囲気は、真剣そのものだった。



***



「お帰りなさいませ、お嬢様」


屋敷の門の先で待ち構えていたのは、和服に身を包んだ十数人の女性。

左右に列を作り深々とお辞儀をして、敬意を示している。


目の前に待ち構えていたのはとてつもなく大きな屋敷。

敷地の広さもそうだが、まるで高級料亭のような造りの立派な中庭が、この家の品格を表していた。


「法泉様は後ほどお戻られになられます。それまでお部屋でゆっくりとおくつろぎください」



俺たちは玄関に向かって歩いていく。


「……ねえ、法泉って誰?」


俺は小声で久園寺さんに話しかける。


「久園寺法泉──わたしの父上、久園寺グループの当主です」


そんなお偉いさんと庶民の俺が合うって、冗談だろ……?


「なんで、そんな人と?」

「実は、お父様に、お願いしたいことがあって……」



お願いしたいこと……?



なぜだか今日の久園寺さんの服装もどこか立派だった。

対称的に俺はただのポロシャツにジーンズ姿。

あまりにも不釣り合いだよなぁ……と思いながら、屋敷の玄関をくぐった。


客室に案内され、待つこと小1時間。


出された茶菓子も立派なもので、まずそこらのスーパーでは置いてないような味だった。



縁側にそびえる中庭は緑で包まれていた。

鹿威しが鳴らす竹の音色、小鳥のさえずり、そして、強張った顔色を浮かべる久園寺さん。

お互い何も喋ることもなかった。

久園寺さんとこういう雰囲気で過ごすのは初めてのことで、ただ緊張に包まれた時間だけが過ぎていった。



「当主がお戻りになられました」



出入り口のふすまが静かにひらくと、そこには正座で深々と頭を下げいる使用人の姿があった。



その後、数秒して部屋に現れたのは、壮年の男。


名乗らなくとも、俺にはそれが久園寺法泉だと察しがついた。


和服、片手には杖、足には下駄。

口と顎にたくましい髭を蓄えた顔は、権力者というよりも、貴族というよりも、まるで世界の転覆を企む革命家のごとき異相。

途方もなく濃密な気配を持つこの男が、久園寺財閥の総帥。久園寺の当主。



「帰宅早々に、これか。くだらん」



法泉は、感情の色がない瞳で室内を見渡した。

その視線が、道端に転がる石に対するのと同じように俺を素通りし、ソファに腰をかけた。たのだ。


「お父様、お久しぶりです」


久園寺さんがお辞儀をした。


「連絡を受けて戻ってきてみれば、家出娘が反省して戻ってきたというわけか」


「お言葉ですが、わたしは反省などしておりません」


法泉は、ふん──と息を鳴らした。

まるで俺のことなど眼中になく、話題にすら触れてこない。



「そうです、こはるは家出までする不良娘になってしまいました。お父様が思っていらっしゃる、良い子の私ではもうありません」


堂々と威圧してくる父親相手に、威勢を張る久園寺さんの声色は、重々しい。


「小娘が思春期に反抗することなんてごく自然なことだ。それを受け入れるのも父としての務めだ、が──」


そのとき、初めて法泉が俺のことを一瞥した。


「どうやら家出をしている間に、不純物が取り憑いているようだ。話はそれを取り除いてからにしてもらおうか」


「悟さんは関係ありませんっ! あ、いや、関係ありますけど……悟さんには大変お世話になってるんです。彼を悪く言うのはやめてください!」


「学業も怠けるような子供が生意気を言うな。……やはりあの学校におまえを託したのは間違いだったようだな」


法泉は使用人に向けて「おい」と呼びかけると、俺を指差してこう言った。


「この小僧をつまみ出せ」

「かしこまりました」


数人の黒服が一斉に部屋に入り込んでくると、俺の座るソファを囲み始めた。


「お父様!!」

「事情は知った。弁解は聞かぬ」


そして、法泉は続けて言った──


「こはる、お前をこの屋敷に移送させる。以上だ」


法泉の持つ杖が、床を突いた。

それはまるで、地に足をつける全ての者に命令するかのごとく鈍い響き。

部屋全体が揺れたようさえ感じた。


久園寺法泉の決定。


黒服に腕を掴まれた俺は、強引に出入り口の方へ引っ張られていく。



その瞬間だった。


久園寺さんが腰から抜いたのは、黒く染められた物体。



──拳銃。



「悟さんにそれ以上、触らないで。殺しますよ」



その場の誰もが硬直した。

モデルガンでも玩具でもないことを、黒光りするそれが重々しく語っていた。


黒服の男たちは固まったまま、その場から動けずにいる。



銃を構える久園寺こはる。

その場で硬直する黒服達。

その光景をただ眺める久園寺法泉。





「……好き……なんです」


止まっていた時間が、動き出す。



「彼のことが、どうしようもなく、好きなんです」



じんわりと、浮かんできたのは、頬を染めた久園寺さんの涙。



「わたしは……好きな人の家族を……守りたくて……それで……私は」



銃を構える手が微かに震えている。


ぐっと歯を噛み締めて、次の言葉が出てこないかのように──



黒服たちは、自然と俺の腕から手を離していた。



「──くだらん」


見放すような冷たい一言が、室内をさえぎった。


「子供の色恋沙汰に、これ以上時間を費やす暇などない」


法泉はその場から立ち上がった。


「もう二度と屋敷に戻るな」


そう言って、杖をついて出口へ向かう法泉。






……それだけか?


この状況を見て、それだけか?


何の情も感じられない法泉の態度に、何より久園寺さんに見向きもしないその態度に、俺は本気で頭にきた。



──『家出です』



「まて! あんた久園寺さんの父親だろ! 自分の娘が、どんな思いで反抗しているのかわからないか?」

「黙れ、口を開くな!」


法泉の杖先が眉間を強く突いた。


だから何だ。それが何だ。

俺は気にしなかった。


言いたいことを全部言ってやる。




──『わたし、これでも学校ではお嬢様キャラだったんです』


──『なんだか、疲れちゃったんです、あはは……』





その気迫に何かを感じたのか、法泉は初めて俺に目を留めた。

凄まじい眼力。


気分が興奮している今だからこそ耐えられるが、普段なら数秒も合わせられそうにない視線だ。


その迫力に息を呑みながらも、少しだけ久園寺さんに似ているな、と思った。


物事を真っ直ぐに見つめる、大きな瞳。


「詫びろ。手をつき、詫びろ。そうしたら貴様の無礼を許してやる」


法泉はまた杖で床を突く。

その鋭い響きに、銃を構える久園寺さんも、取り囲む黒服たちも、怯えるように身をすくめていた。


これが久園寺法泉の絶対権力。


何だそんなもの。


「俺が、あんたに詫びる理由はない。何もない」


法泉の睨みが、迫力を増した。



たったの数秒間が、何分にも、何十分にも感じられるほどの緊迫感。


その中で、銃を下ろした久園寺さんが、言い放った。



「お父様、お父様は、お母様のことを、本当に見捨てたのですか……」


その時、法泉の表情に僅かだが動揺が走ったのを感じた。


「……」


「お母様との約束を、覚えていないのですか……?」


弱々しい響きを耳にした法泉は、呟く。


「……くだらん」


ほんの一瞬だけ目を細め、法泉はそう言い捨てた。

過去を閉ざすように。




──人の家庭には色々な事情がある。


それに踏み込むのは良くないことだと知っている。


だけど……。



俺は、涙を流し続ける久園寺さんのそばに立った。


「久園寺家当主、久園寺法泉殿に申し上げる!」


久園寺さんの肩を強く抱き、続ける。


「ご息女、久園寺こはるの願い、お聞きいただきたい!」


そして小声で、久園寺さんを促した。


「言ってやれ。久園寺さんがどんなお願いごとをしたいのか」

「で、でも……」

「大丈夫」


戸惑う久園寺さんに微笑みかけ、背中を叩くと、彼女は頷いた。


「お、お父様……」


法泉の前で願いを口にするのは、生まれて初めてのことか。


「わ、わたしは……わたしは……」





「好きな人の、好きな家族を、守りたいです……」



「そのためなら、わたしは、学校に、行きます……!」



どこか、一瞬だけ、法泉は昔を懐かしむような、優しげに目を綻ばせたような表情をみせた。



「……感傷か、くだらん」



法泉は踵を返し、出口のふすまの前に立つと、こう言い放った。



「おまえの好きにするがいい」



そうして、部屋から出ていく。


室内が静寂に包まれる。



「悟さん……!」


久園寺さんは俺の首に抱きつき、涙で濡れた頬をすり寄せる。

心地よい感触。

それが疲労を僅かに遠ざけてくれるのを感じながら、自分らしくない、無茶をしたものだな、と思った。



「……なんで笑ってるの」

「すごい! すごい! 悟さんは、お父様に勝ったんです!」


別に勝ったわけじゃない、と俺は言いたいところだったが、無邪気に喜ぶ久園寺さんを見ていると、そんなに悪い結末でもないか、と思えてきた。


涙の跡が残る顔で、それでも久園寺さんは笑っていた。


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