夕暮れ時


「お疲れ様、国井くん」


 その週末、バイト終わり、休憩室で着替えようとしたところで店長が入ってきた。

 俺が勤めるハンバーガーショップは、時給950円。高校生にしては、そこそこの収入になる。


「国井くんが入ってくれて助かるわ。土日はどうしても客の入りが多いから」


 そう言って店長は事務椅子に腰をかけた。

 店長の野村は、中年女性で、バイトの人間からも信頼されている人物だ。

 この店が繁盛しているのも、彼女の管理と指揮能力が担っているといってもいいだろう。

 特に昼時なんかは、店の外まで列が並ぶほどなのだ。


「人手がないから、平日もシフトに入ってくれると助かるんだけどねえ」

「すみません、学校終わりは、妹の世話があるので」


 土日はフル勤務でバイトに入れるが、平日はそうもいかない。

 部屋の掃除、買い出し、夕食の準備など、いろいろと忙しいのだ。


 店長は「そう……大変ね」と言うと、椅子をくるりと回転させて、こちらを向いた。


「ねえ、国井くん、高校卒業したら進路はどうするつもり?」

「進路、ですか」

「卒業したら、うちの正社員にならない?」

「え」


 正社員……願ってもない申し出だ。

 社員になれば、固定給が入るし、生活もだいぶ楽になる。

 何しろ今の稼ぎでは、ろくに貯金もできないのだ。


「前向きに考えさせていただきます」


 今のところ、大学に進学する予定もない。

 将来の夢というのもみつからない。

 自分はなにがしたいのか。どうするつもりなのか。

 不思議と、そういうことはあまり考えたことがなかった。

 今の稼ぎでは、学費と、生活するだけで精一杯で、未来の自分の姿を想像する余裕なんてなかったのだ。


「それじゃ、お先に失礼します」

「はい、お疲れさま」




***



「まだ高いよなあ……」


 バイトを終えた帰り道、商店街で夕飯の買い物をしていた俺は、途中の店先で敷き布団が二割引きで売られているのを見つけ、その前で迷っていた。

 今は飾莉と一緒の布団で寝ている。

 もう一つ布団があればありがたいが、頭の中で数字を並べ、結局は諦めた。


 商店街を吹き抜ける生暖かい風は、春の到来を感じさせるもの。

 ランドセルを背負い元気に走り回る小学生の集団。

 主婦たちが少し急ぎ足のように見えるのも、もうすぐ日が暮れることを懸念してのことか。


 ふと夕焼け空を見上げると、呑気な鳴き声を響かせながらカラスが飛んでいる。


「進路か……」


 高校3年になっても、今の自分のには将来の姿というものが見えていない。

 学校を卒業したら、どこかで働いて、飾莉を養っていくのだとなんとなく思っていた。

 親父が死んでから、ずっとあの子はひとりぼっちで、それを支えていくのが自分の宿命だと勝手に思い込んでいた。

 ……それでも、まだ3年は始まったばっかりだ。これからゆっくりと考えいこう。


 歩きはじめると、駄菓子屋の店先に見覚えのある金髪が映りこんだ。


「久園寺さん」

「……わっ、悟さん。エンカウント率高いですね」


 久園寺さんは駄菓子を頬張っている。


「外に出てて大丈夫なの?」


 たしか太陽の光がどうとか言ってたような。


「はい、夕方になると活発化するんです」


 なんだかよくわからない理論だ。


「これから帰りですか?」

「うん」

「じゃあ一緒に帰りましょうっ」


 駄菓子の詰まった紙袋を抱えて、久園寺さんは歩きはじめた。



***



「そうだ、悟さん。渡したいものがあるんんです」


 そう言って財布を取り出すと、久園寺さんは数枚の万札を差し出してきた。


「え」

「ここ最近のお礼です。掃除とか、食事とか、色々お世話になってますし」

「いや、いいって」

「でも……」

「あれは、俺が勝手にやってることだから」


 こればっかりは、貰うことができない。

 いくら生活が厳しいとはいえ、こんな大金を人から受け取ることは抵抗がある。


「そうですか……」


 久園寺さんは口をすぼめて、お金を財布にしまった。

 それにしても、万札をぽんと渡してくるところが、さすがお金持ちといったところか。



 ちょうど水門橋を通りかかったところで、俺は立ち止まる。


 たしかこの前、この橋から飛び降りたんだよな……。


 鉄柵から下を見下ろすと、やはり相当な高さがあった。

 まだ黄金色に輝く夕日が、流れ行く川を煌めかせている。


「綺麗ですね」


 隣に立って、柵にひじを乗せる久園寺さん。

 夕焼けのコントラストに照らされた彼女の横顔は、なんだか少し儚げにみえた。


「久園寺さんはさ、なんで生徒会長になったの?」


 それは、前々からの疑問だった。

 久園寺さんは少し間を置いて、つぶやくように言う。


「……私、これでも学校ではお嬢様キャラだったんです」

「キャラ?」


 演技をしている、ということだろうか。


「うちの家系のことは、もうクラスメイトから聞いてますよね」

「うん、成績も優秀だって」

「中学のころから、先生も、生徒のみんなも、私のことを信頼してくれます。みんなから推薦されて、生徒会長になりました。それはとても嬉しいです。けれど……」


 久園寺さんは、どこか作りものめいた笑顔で言う。


「なんだか、疲れちゃったんです、あはは……」



 なんとなく、想像できる。

 久園寺家の姫ともいえる彼女は、やがて大財閥の一角を担い、世界の重要人物となる運命。

 だから注目される。

 その利用価値を見越して、今のうちに縁を作っておこうと目論む者たちが群がる。

 それは避けようのない流れであり、大半は、何か下心を持っているだろう。


 だからこそ、彼女は学校で、社交界の礼儀作法をふるまっている。

 成績も上位を維持しなければいけない。口調や歩き方、立ちふるまいの全てに気を使う。


 世界的な大財閥の令嬢、その重圧は凄まじいものだったのだろう。

 久園寺さんは、ずっと、演じ続けていた。

 そんな生活を中学から高校まで続けていたら、やがて壊れてしまう。

 人間は、そう完璧にはできていないのだ。


「今は、凄く楽しいです。悟さんたちが引っ越してきて、一緒にゲームをして、ご飯を食べて……」


 久園寺さんは、満足そうに口元を綻ばせた。


 今の生活が幸せだという。

 昼間は家にこもり、ゲームをして、インスタント食品にありついて、掃除も洗濯もしなくていい。


 たしかに、彼女は自由を手に入れた。

 けれど本当にそれでいいのだろうか……。


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