第23話 誰でもなれないから、価値がある
「えっ、いきなりレンジャーですか」
「またハードなのから選びましたね」
「彼もレンジャーだって、言っていたので……それで。確かにハードな訓練ですよね。部活なんかの比じゃないです」
「でしょうねぇ」
お昼の食卓を囲みながら、話題はもっぱらレンジャー訓練のことでもちきりだった。
同じ自衛官同士でも、レンジャーと聞くと一目置かれる存在らしい。レンジャーの資格を取るのは普通科と呼ばれる隊員が圧倒的に多いらしいが、部隊を超えてこの訓練は行われているようだ。
「俺は受けてみようって思わないけど、通信隊の隊員にもレンジャー持っている人はいますね。レンジャーは陸上自衛隊だけでなく、海も空もあるらしいですよ」
「そうなんですね!」
「実はレンジャーといっても、種類は一つだけじゃないんです。空挺レンジャー、山岳レンジャー、冬季遊撃レンジャーなんてのもあるんですよ」
「レンジャーって、一つじゃないんですか」
ひよりが見ているレンジャー訓練は、いわゆる陸上自衛官が主に受ける標準的なものだ。万が一、日本に不測の事態が起きた時に、彼らはゲリラコマンドの任務を遂行することとなる。
しかし、日本には四季があり、地形も様々である。標高の高い山や豪雪地帯など、場所を問わずなにが起きるか分からない。
驚くひよりに、安達はゆっくりと口を開いた。
「今の日本でのレンジャーの役割は、戦うだけのものではありません。それぞれのレンジャーは自衛隊内で起きた事故などで隊員の救出も行いますし、各県の知事から要請があれば、民間人の救出や捜索も行います」
「あ、遭難者の捜索とか、山火事も自衛隊って出動しましたよね。そういうことですか」
「はい。警察や消防だけでは困難と判断された時、自衛隊が出動します。その時、特殊な地形や気候の場合には、レンジャー資格を持っている隊員の力が発揮されるのです」
「なるほど。なんでもできるんですね、自衛隊って」
「他の力を借りずに何でもできなければ、自衛隊の意味がないのです。でなければ、国を守ることなんてできません」
自衛隊は本当になんでもある。彼らが動くと街ができるといっても過言ではない。
また、レンジャー資格の保有者は、ときに国際活動にも参加する。体力だけでなく、常識や語学力、コミュニケーションなど、人としても秀でていなければならない。
ひよりは安達の話に夢中になっていた。口に持って行こうとしたおかずを、箸で挟んだまま「うん、うん」と話についていくのに必死だ。
「ねえ、あなた。ひよりさん食べられてないから、ちょっと講義は休憩にしたら?」
「おお、すまない。気が付かなかったな。難しい話はここまでにして、遠慮なく食べてください」
「あっ、すみません。つい、お話が興味深くて」
それからひよりは、安達の妻が作った料理を美味しくいただいた。東の家で食べたのとは対照的に、和食中心のメニューだった。
「この肉じゃが、柔らかくてよく味がしみてますけど、どれくらい煮込んだんですか。じゃがいもが煮崩れしてないのが不思議です」
ほっこりと煮汁がしみているのに崩れていない。でも、箸を入れるとほろりと割れる。こんな家庭的な料理を、ひよりも作りたいと思った。
「これはね、圧力鍋を使ってるの。時短になるし、崩れにくいの。便利よね、圧力鍋」
「圧力鍋ですかー。なるほどー」
「今は小さい圧力鍋もあるから、使い勝手がいいの。大きいと出すのもひと苦労でしょ」
「わかります。実家にあるんですけど、出すのも洗うのも面倒になって、棚の奥の方に眠ってますもん」
「東さんに作ってあげたいなって、思ったでしょう」
「えっ、やっ……その。彼は自分でなんでもやっちゃいますからっ」
安達の妻に思わぬところを突かれて、ひよりは焦った。心の声を読まれたのかと恥ずかしくなり、顔は真っ赤になった。
「やだ、かわいい。もう、羨ましいわぁ。いいわねぇ。作ってあげて? 肉じゃが。彼女が作ってくれたら、すごく嬉しいと思うの。貸しましょか? 圧力鍋っ」
全員がひよりに注目した。ひよりの
「久世さん、ヤバいですって! 俺、ちょっとドキドキしてきた」
「おい増田。お前も彼女がいるだろう」
「俺は幼馴染な上に遠距離なんで、そういうの忘れてました。久世さんこそ、顔赤いですよ」
「バカやろう、俺に振るな。俺は赤くなんかなってない」
若い二人の男性と、当事者のひよりの三人は真っ赤な顔をしている。安達は何もなかったように食事をすすめ、妻は「みんなかわいいんだからー」と、上機嫌であった。
◇
レンジャー五訓
一 飯は食うものと思うな
二 道は歩くものと思うな
三 夜は寝るものと思うな
四 休みはあるものと思うな
五 教官は神様と思え
※生存自活も命がけ
「そろそろ基礎訓練も終盤にかかった。本日は待ちに待った生存自活訓練だ。さて、これが何か分かるな橋本」
「レンジャー!」
「うむ。こいつはなんだ」
「
「そうだ。鶏だな。それから、これはなんだ……おい、そんなに離れては見えんだろ。全員前へ!」
「レッ、レンジャー!」
なにやら助教は悪い笑みを浮かべて、訓練学生を近くに寄せた。訓練学生たちは、もうそれが何か分かっているのだ。同じ部隊の先輩から、こんな事をするのだと聞かされているからに違いない。
「こいつの捌き方を今から教える。全員一匹づつ持って並べ」
「レンジャー!」
意を決してがっしりと掴む者。目をキツく瞑って掴むも者。腰が引けて掴んだ瞬間に「ひあわっ」と、情けない声を漏らす者もいる。
もうそればっかりは仕方がないと思う。技術も文明も進んだ時代、自活するために蛇を喰らうことなんてないのだから。
しかし、任務のため何日も山奥に潜んでいたら、食料は尽きる。彼らに援護や補給は来ない。
「うっ、動いてるってぇ……」
「まだ生きてるぞ、これをシめるのか。うへあっ」
「こんなの売ってんだな……前に見た事あるんだよ。入札の紙に、蛇って。これだったんだな」
「無理っす。自分、無理っす。尻尾が絡みついたぁー。ふぉっ」
苦手な物は苦手である。それを克服する間も無く、捌いて胃の中に放り込まなければならないのだ。作戦完了まで、絶対に死ぬわけにはいかないのだ。
「なっさけない声を出すんじゃねー! こいつはな、毒もなけりゃ、腹に入れてもなんの問題もない食用だ。本来ならば、自分でとってこなければならんのだぞ!」
「レンジャーッ! ふああっ」
レンジャーと、叫ぶ度に蛇が反応して手の中で蠢く。
この蛇は中華料理などでも使う食用の蛇だ。衛生面も問題はない。これの他に、食用蛙を使うこともある。
「今から手本を見せるから、同じようにやるように」
「レンジャー!」
訓練学生に厳しく言う助教たちは、けっして口だけではない。彼らも全員、レンジャーの資格を持っており、訓練学生に教えるレンジャー教官の資格も有しているのだ。
訓練学生につききりで教授する彼らこそ、真のレンジャーかもしれない。
ナイフであっという間に蛇の息を止めると、蛇の頭を口で咥え、頭の方から皮を剥いでいく。すると、白身魚のような、とりの肉のような肌があらわになる。
それをナイフで腹を開き、不要な内臓をかき出して水で洗う。適当な大きさに切ったら、あとは焼くだけだ。
「わかったな! 処理をしたら、網で焼いて食べる。残すなよー! 命をいただくんだ、肝に銘じろ」
「レンジャーッ……ひいっ」
全員が蛇を捌き、網の上で焼いて食べた。塩や醤油などない、素材そのものを味わうのだ。実は蛇は非常に淡白で、臭みはない。鶏肉のようで、そうではない。旨いとも不味いとも言えない。
「蛇だなぁ……」という感じしかないそうだ。
しかし、日本でも昔は蛇を食べていた。滋養強壮、美白効果などが期待できるらしい。今でも、アジア圏では蛇料理の専門店があるくるらいだ。
「どうだ! これでお前たちも無敵だぞ。グハハハ」
いかにも悪の軍団のボスのような笑い方だ。きっと助教は何十回と食してきたことだろう。
「以上が自活生存の基礎だ。特に山菜は根こそぎ採るな。翌年もまた実ってもらうように、配慮は欠かすな。以上!」
こうして彼らは蛇だけでなく、鶏肉の捌き方や山菜の採り方、食せるキノコの見分け方などを学んだ。
◇
「へ、へび……」
ひよりにとっては衝撃映像だった。本来ならモザイクがかけられていてもおかしくない。
皮を剥く瞬間なんて、思わず自分のシャツを握りしめたくらいだ。
「噂には聞いていたけど、本当に食べるんですね。極めて淡白な味だってさ。増田、お前もどうだ通信隊として推薦するぞ」
「俺なんか無理ですよ。メンタル自信ないですし……あ、意外と幸田が向いていたりして」
「幸田なぁ……確かになんだかんだと、乗り越えそうだな」
同じ自衛官にも衝撃的だったようだ。やはりレンジャーは向き不向きがあるのだろう。
「ひよりさーん。大丈夫? もういいんじゃない? この先はちょっと……」
「ここまで観たんですから、最後まで観ます」
「ひよりさんたら……無理はしないでね」
安達の妻は心配をしていた。最後の行動訓練が最も過酷な場面があることを知っているからだ。かつて安達の妻も、レンジャー訓練最終日に夫の帰還を待っていたのだから。
しかし、ひよりは首を横に振った。自分には観て知ることしかできないのに、観る事すらやめたら安達や東に失礼だと思ったのだ。
「と言うことは、安達さんも東さんも、蛇を食べたんですよね」
「もう随分と昔になるが、確かに食べたね。悪くはなかったよ」
悪くはなかったと、右の頬を上げると額の傷がヒクッと動く。そんな安達は、まるで任侠映画の親分のようだった。
隣に座った久世と増田が「ひっ」と、声を漏らすくらいだ。
「そっ、そうなんですね……す、すごーい」
ひよりも言葉に感情を乗せられなかった。棒読みの大根役者だ。
「あれ以来、食べていないな。懐かしいな……」
「あはっ、あはは」
妻以外は引き攣った笑いで、その場を流したのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます