第20話 君は守られている

 結局ひよりはあの日、東に美味しくいただかれたせいで自宅に帰ることができなかった。

 月曜日の朝、大変機嫌の良い東は朝食を作り、ひよりに食べさせた。

 これまたご機嫌に一緒に家を出で駅で別れたのだ。


「行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい」


 満面の笑みを浮かべた東は、手を振りながらホームに上がっていった。ひよりもそんな東の嬉しそうな顔を見ると、恨むことなんて到底できない。

 無体を強いられたわけではないし、そのあとのケアは事足りすぎて逆に恐縮するくらいだった。


 それにしても制服姿の東はやはり目立つ。駅員や警備員、警察官とも違う制服は、普段の生活ではなかなか見られない。なんせ東が来ている制服の色はモスグリーンだ。そろそろ黒になると言っていたが、なんとなく今のままでもいいのにと、ひよりは思う。


(黒になったら、陸上自衛隊の人ってわからなくならない?)


 東の胸につけた徽章がキラキラ輝いて、皺一つない背中が遠ざかった。


(私の彼氏、かぁ……もったいない)


 医師免許を持つ自衛官。はじめはよくわからなかったが、やはりそれはとても凄いこと。カッコイイの一言では済ましてはいけない気がしていた。


 それはさておき……


「ああん、もう。彼の家から出勤になっちゃったぁー。どうしよう」


 どうもする必要はないのに、平常心をたもてそうにない。自宅から会社に向かうのと、彼氏の家から会社に向かうのとではまるで景色が違って見えた。


「これが、リア充?」


 ひよりはわけのわからない言葉を口にして、ふわふわした気持ちを落ち着かせようとした。



 ◇



 そして、週の半ばを過ぎた頃、ひよりのスマートフォンが鳴った。画面に東八雲の文字があらわれる。


「もしもし! 八雲さん?」

「ひより、こんばんは」


 ちょうどひよりが、お風呂から出てきた時だった。


『今度の土曜日なんだが、安達さんのところに行ってもらえるかな。彼がひよりにレクチャーしてくれるそうだ』

「えっ、安達さんが!」

『構えることはないよ。自宅で、奥様も一緒だから大丈夫。ひよりのことを話したらね、大歓迎だと言っていたよ。お子さんがみんな独立してしまって、寂しいから是非にだそうだ』

「ご自宅ですか……緊張します。お土産、何がいいかなぁ。あ、ご自宅はどちらでしょうか」


 安達陸曹長と聞いて緊張を隠せないひよりだったが、これまでのことを思い出してみた。見た目はとても怖いけれど、ひよりには丁寧に話をしてくれた。

 それに部下想いのスイーツが大好きという、意外な顔を持っている。


(うん。安達さんなら大丈夫! スイーツ好きに、悪い人はいないもん!)


『彼の自宅はね、僕の部屋の下の階になるんだ。鍵持っているよね? 荷物は僕の部屋に置いていったらいいし、なんなら金曜日は僕の家に帰宅しても構わないよ』

「同じマンションだったんですか!」

『うん。あのマンションはね所帯持ちの自衛官や、幹部自衛官が住んでいるんだ。言ってなかったか』

「えっ、てことは私たちのこと……」

『心配はいらないよ。ひよりのことはよく話してあるからね、安心して。僕がいなくても彼らが守ってくれるよ』

「え?」

『じゃあ、土曜日は十時を目安に訪ねてくれるかな。おっと、そろそろ強制消灯だ。おやすみ、ひより』

「おやすみなさい」


 ひよりはちょっとした衝撃を受けていた。

 東が住んでいるマンションは自衛官が多いこと。そして、安達陸曹長はひとつ下の階に住んでいること。なにより、彼らはひよりと東の関係を承知していること。

 もっとも意味不明なのは、彼らが守ってくれると言うことだ。


「守ってくれるって、言った? ……どういうこと?」


 東はひよりの知らないところで、あれやこれやと手を回しているのだ。落ち着いていつも穏やかな東だが、実はとても必死なのかもしれない。

 年下の可愛い彼女を、いかなる敵からも守りたい。東の思う敵は、若い男がひよりにちょっかいを出すような外部的なものから、自衛官であるが故の内なる敵も含まれているだろう。


 そんな事とは知らないひよりは、土曜日の安達家訪問のことで頭がいっぱいになった。


「お土産どうしよう! 安達さんが知らなさそうで、美味しいスイーツってあるのかな。ここは和菓子にしてみる? どーしよー」


 ひよりはパソコンを立ち上げた。

 手土産、スイーツ、評判、ランキングで検索。日付が変わるまで悩み続けていた。



 ◇



 ひよりは金曜日の夕方、手土産を買うために会社近くのデパートに駆け込んだ。

 悩みに悩んだ末に、とある老舗和菓子屋の鈴の形をした最中もなかに決めたのだ。

 一箱に二十個ほど入っていて、大きさは一口サイズだ。

 重くないからあっという間に食べられると、総務部長が教えてくれた。やはり、食したことがある人の意見は信用できる。

 そして、隣にある茶屋で高級焙じ茶を購入した。ここの焙じ茶は値段は高いけれど味は間違いない。お湯を注いだ瞬間から、アロマのように部屋中に焙じ茶の芳ばしい香りが広がる。口に入れると、舌触りはまろやかなのに味が濃い。


「絶対にこの最中と合うと思う! よしっ」


 この日は東の家に帰ることにしていた。

 久しぶりに一人でデパートを歩き、前から気になっていたお店にも入った。

 ついつい、今度のデートはここで食事をしよう。あそこで買い物をしよう。そんなことばかり考えてしまう自分に気づいて、自嘲した。

 気がつくとひよりの両手はお土産の他に、雑貨屋などで買った袋で埋まっていた。


 東と一緒に使おうと買った、アロマキャンドル。数日に一回お水を与えるだけで育つミニ観葉植物。殺風景なお風呂や洗面回りに色をつけたくて、陶器の石鹸置きや、シャンプー、リンスを入れる容器まで買った。東の生活を邪魔しない程度に、自分の色を加えたのだ。


(八雲さん、気づいてくれるかなー)


 地下鉄の駅から地上へ出た時は、すっかり夜の街へと変わっていた。

 駅から東のマンションまで、急いで歩いても十分はかかる。タクシーに乗るにしても、嫌がられる距離だ。時間はそんなに遅くないので、ひよりは歩いて向かうことにした。

 街灯もたくさんあるし、途中にコンビニもある。そこで夕飯を買って帰ればいいと、考えていた。


 駅から出た時は、数名のサラリーマンが歩いていた。それも、気がつくといなくなっていた。住宅街に面したこの通りは、帰宅ラッシュを過ぎると人がまばらになる。車は一定の間隔で走るものの、やはり多くない。

 ひよりは、夜にこの辺りを一人で歩いたことがなく、少し不安になる。

 昼間とはまるで景色が違う。

 方向は合っているだろうかと、何度も後ろを振り返る。

 五分ほど歩いただろう。ひよりはコンビニの看板を見つけてホッとした。


(よかった。こっちで合ってた!)


「あ……なんか、やだな」


 ふと、ひよりが見たのは、コンビニの前でたむろする若者たちだ。数名の若者は車止めを椅子がわりにして、お菓子を食べたり、ジュースを飲んでいる。見た目は、高校生くらいだろうか。

 ちょっと悪いのがカッコイイ。そういう年頃だ。

 ひよりはそんな彼らを遠巻きにしながら、コンビニのドアを開けた。


「ヒュー。やべ、パンツ見えたかも」


 そんな声がひよりの背中に届いた。ちらりと肩越しに足元を確認した。一瞬ドキリとしたが、ひよりは言われるほど短い丈のスカートを履いていない。


(悪ふざけしてぇ。大丈夫、私のことじゃないんだって。何か言われても、無視、無視)


 店内を足早に回り、急いで会計を済ませた。店の外の若者たちは、まだ座っている。ひよりは彼らを見ないように視界から外して、外に出た。


(早く、帰ろう。あと、二、三分)


「おねえさん、荷物持ってあげようか」


 明らかにひよりに向けられた言葉だった。しかし、ひよりは聞こえないフリをして歩く。


「無視かよ! ひとの善意を蹴ってんじゃねえぞ。ガキだと思って舐めてんだろ。おいっ」


 ひよりはそれでも無視して、早歩きでその場から離れようとした。しかし、コツコツとアスファルトに響く足音は増えて、複数人の音が追いかけてくる。


(もう、最悪!)


 ひよりが早歩きから駆け足になり始めた頃、足音が突然消えた。諦めてくれたのかと振り向くと、彼らの姿はそこにはなかった。


(あれ? どうしたんだろ……全員消えた!)


 今のうちだと、東からもらった鍵でマンションのエントランスを解錠して駆け込んだ。エントランスの自動ドアが閉まるのを確認すると、ふうっと力が抜ける。


 近頃は見た目が不良だと分かる人が、少なくなった。一見、普通の格好をして悪そうに見えないのだ。昼間は学校に通い、大人たちが眠る頃に彼らはハメを外すようだ。


「でも、どこに行ったんだろ。あの子達」


 確かに彼らはひよりを追って来ていたように思えた。しかし、突然その姿は消えた。声すらもしなくなったのだ。


「まさか、悪い人たちに!」


 それはそれで心配になるひより。よせばいいものを、荷物をその場において、再び外に出た。


「大丈夫よね。家に帰っただけだよね」


 本物の悪い大人に攫われていたらどうしよう。そんな事を考えてしまう。


「こんばんは。なにか、ありましたか?」


 ひよりが突っ立ったままでいたので、帰宅して来た男性に声をかけられてしまった。その人はジョギング帰りなのだろう。ティシャツ、半ズボン、スニーカーという軽装だった。


「いえ、その。高校生らしい男の子たちが、いたような気がしたんですけど」

「ああ。彼らなら家にお帰りいただきました」

「え?」

「失礼しました。自分は東二佐と同じ駐屯地で勤務しております、久世くぜといいます。西ひよりさん。ですよね?」

「私のこと、どうして?」


 これが、東が言っていた「僕がいなくても、彼らが守ってくれる」のひとつだ。しかし、ひよりは気づかない。


「東二佐からは、貴女を見かけたらよろしく頼むと言われておりまして。実は自分もこのマンションに住んでいます」

「そうですか。あの、私、ときどきマンションにお邪魔しています。よろしくお願いします」

「こちらこそ。この町の条例で未成年は、夜九時を過ぎたら外出してはならないことになっているんですよ。なので、ジョギングがてらに見回りをしています」

「え! 夜もお仕事を?」

「いえ。地域の住民全員がそういう活動をしているんです。子供を守るための大人の義務というやつです」

「なるほど。お疲れ様です」


 久世拓海一等陸尉、通信中隊所属の幹部自衛官だ。

 先日の駐屯地記念行事では、野外で通信確保をする様子を披露していた。


「では、自分はこれで。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 こうやって、各部隊の自衛官がひよりのことを見ている。しかし、そんな事とは知らないひよりは呑気なものだ。


「私も地域ために何かしなくちゃ!」


 などと、意気込んでいた。

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