第18話 デザートを食する

 ランチを終えたひよりと東は、通りを流した。

 デートが久しぶりなひよりは、どう過ごしたらよいのか困った。最後に付き合ったのは数年前。

 その頃はまだ学生気分が抜けていなかったのもあり、ゲームセンターやカラオケに時間を使っていた。

 しかし、もうそんな歳ではない。そろそろ三十路も見えてきたし、東は四十路が見える頃。

 だから、大人のデートをしなければならない。


(大人のデート……事前にお勉強しておくべきだった。どうしよう。このまま歩いても、なにもすることがない)


「ひよりどうかした? さっきから大人しいけど」

「実は、この後どんなふうにデートをしたらいいのかと……特に欲しいものもないのに、連れ回してすみません」

「ひよりと一緒にいることがデートだよ。何かをしなきゃならないなんて、思わなくていい。ほら、こうやって手を繋いで歩くだけで心が温かくならないか」

「心?」

「ああ、心。喉が乾いたら何か飲む、腹が減ったら食べればいい。疲れたら帰って寝る。自然体でいられたら心が満たされる。今のひよりの気分はなに」


 ひよりは、東の諭すようにゆっくり優しく語る声が好きだ。無理をしなくていい、焦らなくていい、やりたいことをやればいい、と言われているようだ。


「あのっ。夜なんですけど、八雲さんのお家に行ってもいいですか?」

「かまわないが、それがひよりの気分?」

「はい。だって、私は八雲さんの彼女だから……その、だからっ」


 ひよりは顔を真っ赤にしながらも、何かを訴えようとしていた。


 ――どういう展開だ? これは……


「あのとき食べられなかった、デザートを……食べて欲しくて」

「ひより? それは……」

「そ、そ、そういう事です! 美味しいかどうか分かりませんけど、た、食べて欲しくて」

「えっ」


 またもや急展開に東の思考は混線寸前だ。


 ひより、まさかの自ら「デザートは私、召し上がれ」を仕掛けるつもりか。



 ◇



 駅の地下にあるスーパーに立ち寄った。ここはお菓子作りの材料が、他のスーパーと比べると種類が豊富だ。

 輸入食品も取り扱っており、主婦層に人気がある。


「味の保証はできないんですけど、頑張るので」

「ひよりの手料理かぁ。楽しみだ。何か手伝うことはあるかな」

「えっと、キッチンと道具をお借りするだけで大丈夫です。一人で、作ります」

「りょーかい」


 ひよりは東が作ってくれたレモンチーズケーキを作るつもりでいた。とはいえ、彼のように生地から作るのは難しい。しかも短時間で仕上げる必要があった。

 手抜きと言われるかもしれないが、そこには蓋をして時短優先に材料を揃えることにした。


 ホットケーキミックス

 バタークッキー

 レモン

 蜂蜜

 クリームチーズ

 クッキングシート

 砂糖

 生クリーム

 卵

 バター

 ケーキ型(ホール)


 クッキングシート、卵、バター、ケーキ型は東が家にあるのを使って欲しいと言うので、それ以外をひよりはカゴに入れた。

 東は夕飯は惣菜で済ますと言い、揚げたてのコロッケやメンチカツを買った。


「キッチンを占領しちゃいますけど、できるだけ手短に終わらせますから」

「気にしなくていいよ。好きに使ってくれて構わない。僕はその間、ゆっくりさせてもらうよ」

「ありがとうございます」


 東の家に着いてから、ひよりはすぐにキッチンに入って道具の場所やオーブンの使い方などを確認した。ひよりは、料理が得意な東の前でお菓子を作るなんて、なんて無謀なことだろうと思った。


(もう後には、引けない)


 誰でも簡単に美味しくできるレシピを頭に思い浮かべ、材料を並べて手順の復習を開始した。


(クリームチーズは常温で放置。クッキーはビニール袋に入れて細かく砕く。あ、レモンを蜂蜜につけないとっ。レモン果汁はいつとる?)


 指をさしながら、あれやこれやと整理した。


「よしっ。やります!」

「何かあったら呼んで。ああ、エプロンがないな」

「大丈夫ですよ」

「でも、汚れるぞ。お菓子作りは侮れなんのだ……うん。今度、準備しておく」

「え、いいのに」

「彼女のエプロン姿って、最高だろ。しかも、自分好みのエプロンなら尚のこと。男のロマンだよ。分からないだろうね。とにかく、エプロンは僕が準備する。いいね」

「はい」


 ひよりは嬉しかった。たとえ、その男のロマンが分からないにしても、東はキッチンに立つことを喜んでくれている。

 それにしても東の好みのエプロンとは、いったいどんなものだろうか。


(でも、エプロンって限られてるよね。違いは色くらいかな?)


 後日ひよりは、東が言う男のロマンである東好みのエプロンと対面するが、想像とは違っていたことを先に言っておく。



 生地の代わりにクッキーを使用する。買ってきたクッキーをビニール袋に入れて、細かくなるように砕いた。

 麺棒をゴリゴリと転がすと、あっという間に細かく粉砕された。これをクッキングシートを敷いたケーキ型の底に、満遍なく平らに敷き詰める。

 そして、タッパーで蜂蜜漬けにしたレモンスライスと一緒に冷蔵庫へイン!


 ここからは丁寧な仕事が要求される。ケーキの命とも言える生地作りだ。


(ダマにならないように、少しづつ、丁寧に、滑らかに……たしか、卵黄を入れる時が勝負だって)


 クリームチーズ、生クリーム、ミックス粉を入れていい感じに生地は出来上がっていく。そして、いよいよ卵黄投入だ。素早く混ぜないと、生地と卵黄が分離してしまうと書いてあった。

 お菓子作りはレシピ通りにしてなんぼ。目分量だの、フィーリングだのは捨てなければならない。なにしろ、温度帯が異なるだけで台無しになる。


「よし、混ぜろ!」


 腕を振って、かき混ぜる。

 時に切るように、裂くように、そして、高速回転で。


「腕ぇ……攣りそう」


 ひよりが格闘している頃、東はリビングでのんびりと……とはならなかった。

 キッチンに立つひよりの後ろ姿を見ながら、何度手伝いに行こうと思ったことか。

 東は知っている。お菓子作りは体力勝負だと言うことを。バターの湯煎、オーブンの余熱、材料の投入、生地の攪拌は全てタイミングがもの言う。

 慣れないと、筋肉がつってしまうこともある。故に、隣に立って手伝ってやりたい。

 しかし、一人で作るというひよりのプライドを傷つけてはならない。

 落ち着いて寛げない東は、読みもしない本をパラパラと捲る。


 ――待つのも訓練と思え


 まるで部下の独り立ちを見守る上官である。


「八雲さーん!」


 ひよりが呼ぶのと同時に東はキッチンに入った。素晴らしい反射神経は、さすがレンジャー資格を持つ医官。


「ひより」

「うわっ……びっくりした。もう後ろにいるなんて思いませんでした」

「驚かせてごめん。どうかした?」

「あの、あとは焼き上がりを待つだけになったので」

「そうか。お疲れさん。じゃあ、夕飯の準備をするか。ん? ひより、ほっぺに生地が付いてるぞ」

「え、うそ。ひあっ」


 東はひよりの顔に生地がついているのをいいことに、顔を近づけてぺろりと舐めとってしまう。


「何やってるんですか! 生ですよ! お腹壊しますっ」


 顔を真っ赤にして怒るひよりに、東はにんまりと笑う。


「これしきの事で腹を壊していては、自衛官は務まらないよ。夜戦訓練なんて、腹が空きすぎて虫や草を食った奴もいたくらいだ」

「えええっ」

「焼けてなくとも、ご馳走なんだ。その上あれは、ひよりに付いていた。最高じゃないか。そこにある赤い膨らみもいただこうか」

「赤いふくっ……んっ」


 まったく油断も隙もない。東は油断しきったひよりの唇を、キスという手法で奪い去る。


「もうっ、八雲さんてばー」

「さあ飯だ、ひより。皿だせー」



 ◇



 ひよりはドキドキと煩い胸の音を感じながら、東の顔をじっと見ていた。東は今、ひよりが作ったレモンチーズケーキを食している最中だ。


(焼きたてほやほやだよ……本当は少し、寝かせたほうがいいんだよね? きゃー、怖いぃ)


 少し手のひらに汗を握って、ひよりはその時を待っていた。緊張が高まりすぎて、口で息をしたいくらいになっている。見た目は悪くない筈だ。心配なのは、蜂蜜に漬けたレモンが浅いのではないかということくらい。


(ううー! 八雲さん、なんか言ってー!)


「ひよりっ」

「は、はいいっ!」


 東が何も言わないので、自分で食べて味を確かめようとスプーンを持ったところで声をかけられた。

 カチャンと音をたてるほど驚いたひよりは、背筋をピンと立てて顔を上げた。


 心臓は壊れそうなほど激しく鳴る。


「チーズケーキの濃厚さにレモンの香りが鼻から抜けて、実に美味だ! ねっとりと絡んで直ぐにレモンの爽やかさが口に広がる。僕が作ったのは、ここまで濃淡が出なかった。なんでだ……」

「えっと?」

「そうか! 蜂蜜に漬けたレモンがまだ若かったのか。皮にハリがあって、酸味がまだ抜けてない。そうか……そういうことか」

「うわぁ、ごめんなさい! 私、今回が初めてでっ……」


 ひよりはダメ出しをされたと勘違いをして、肩をすくめて小さくなった。

 すると、東が乱暴に席を立つ音がした。


(どうしよう、叱られちゃう!)


「ひより! 素晴らしいよ、最高に旨い! 実に僕好みの味だった」


 大きな声でそう言った東は、縮こまったひよりを椅子から立たせて思い切り抱きしめた。

 東が言っていることをいまいち理解できていないひよりは、されるがままだ。


「ひより、今夜は泊まっていくだろう?」

「……え?」

「出されたものは残さず食べたいんだ。隅々まで味あわせてくれ」

「これ、全部食べるんですか! さすがにホールごとは」


 東はひよりの耳元で甘く囁いた。


「僕が隅々まで食べるのは、ひよりだよ。デザートの後に、デザートが待ってるんだろ? 今夜のデザートは私って、ことだよな」

「え、ええっ」

「大丈夫だ。慌てずにゆっくりいただくよ。ありがとう」

「あっ、あ、のっ」

「レモンチーズケーキ、とても美味しかったよ」


 取り敢えず、レモンチーズケーキは褒められた。でも、デザートの後のデザート発言はどういうことだ。


「それって、こ、今夜、八雲さんは私を……」

「今日は体調も良さそうだね。素敵な夜になりそうだ」

「なっ……」



 この後、ひよりはギラギラした東に隅々まで、美味しく食べられましたとさ。



 ☆*☆*☆*



「ひよりは若いから、脈も血圧も問題なしだな。次からは手加減しなくてもよさそうだ」

「どうしてそうなるんですかっ」

「大丈夫だよ。回を重ねるごとに君は美しくなる。しなやかな筋肉になるよ。栄養は僕が責任持って補給するからね」


(自衛隊のお医者さん、恐るべしー!)

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