第17話 天秤にかける時もある
街の中心地に来れば、大型映画館がある。
実は映画を観たいと言ったものの、何を観るかは決めていなかった。劇場の入り口で何が上映されているか確認した。
「八雲さん、観たいものはありますか?」
「そうだな……僕はひよりが観たいものが観たいかな」
「え、アニメでも?」
「うん」
「ディズニーとか、ホラーでも?」
「ひよりが観たいなら」
ひよりは困った。しかし、映画が観たいと言ったのは自分だ。言い出しっぺだから責任もある。
ひよりは映画の内容と上映スケジュールとを見比べた。
今、人気の映画はアニメだ。有名なクリエイターが手がけた青春アニメは動員数は驚くほど伸びている。その他は有名なゲームの映画版、シリーズ物のアクション映画、戦争映画、ディズニー、ホラー映画。
「どうしようかな」
東はどんな映画が好きだろうか。東に合わせるならば戦争ものだろうか。迫力ある戦艦や戦闘機がポスターに描かれている。
(でも、プライペートまで戦争ものは観たくないよね。青春アニメは厳しいかな。ホラーは私が無理。やだ、どうしよう!)
「ひより、迷ってる?」
「せっかく観るなら、八雲さんも楽しんでもらいたいですもん。無理なジャンル教えてください」
「無理なジャンルねぇ……特にないね」
「ないんですか⁉︎」
東はとくにこだわりがないようだ。アニメだろうが、ホラーだろうが構わないという。
「じゃあ、どれにしようかなっで決めますね!」
「無理に観なくてもいいんだよ?」
「いいえ。八雲さんと映画館で映画を観たいんです私っ」
大人のデートは映画館という思い込みだろうか。であればアクションやホラーは避けるべきだろう。そんなことを考えながら指差ししながら、運に任せる。
(どれにしようかな、天の神様の……決まった)
「ディズニーですけどいいですか。恋愛ですけど」
「いいよ。チケット買ったら飲み物も買おう。時間ももうすぐだし、ちょうどいいね」
ひよりが選んだのは、ディズニー映画のお姫様と王子様が出てくる、恋愛ファンタジーの王道ものだ。そのストーリーは誰もが大まかに知っているものだ。
(ドキドキしてきちゃった……)
ひよりと東は、スタッフの案内に従ってスクリーンが開くのを待った。
◇
スクリーンから見て、ちょうど正面のいちばん後ろの席がひよりたちの席だ。ひよりがチケットを持って座席番号を確認し、その後ろをドリンクを持った東が続いた。
「八雲さん、どうぞ」
「ありがとう。あ、ひよりはやっぱりこっちだ」
「え? あ、はい」
ひよりが座ろうとした席の隣には、男性が一人座っていた。それを見た東が場所を代わったのだ。
恋人と来ている男性ならまだしも、連れがいない男の隣には座らせたくなかった。
案の定、その男は一人でポップコーンを食べながら鑑賞を始めた。別に独り者だからと軽蔑したわけではない。真っ暗に近いこの空間で万が一、男が欲情でもしたら大変だからだ。
現に今から見るのは、お姫様を王子様が助けて結ばれる恋愛ファンタジーなのだから。
次からはプレミアムのボックスツーシートの席を買わねばと、東は心に決める。
東は小声でひよりに話しかけた。
「ひより」
「はい」
「楽しもう」
「っ……あ、はい。八雲さんも」
「ああ」
東はひよりの腕を自分の腕に絡めませた。そして、恋人繋ぎでしっかりホールド。思いのほか東は、束縛をするらしい。
(心臓が……映画が終わるまで、もたないかも)
ひよりは高鳴る胸を反対の手で押さえながら、物語は幕を開けた。
•*¨*•.¸¸☆*・゜
物語はいよいよ佳境に入った。ひよりはすっかりとスクリーンに釘付けだ。手を繋いだままでいることも失念している。失念しているのに、正直にその手は反応をしていた。
『さあ、飛ぶんだ!』
『怖いのっ。私にはできないわ』
『大丈夫。僕を信じて!』
ここでメインテーマの音楽が鳴り響く。プリンセスは意を決して、プリンスの手を取り足を強く蹴った。
ひよりはそれと同じタイミングで、東の手を強く握った。
『目を開けてごらん! 空を、飛んでいる』
『すごいわ! 私、飛んでるわ!』
喜びの悲鳴をあげるプリンセスに、ひよりも興奮した。東の手を何度も何度も握り直す。まるでスクリーンの二人が、自分たちであるように。
エンディングは皆に祝福をされながら、二人はキスを交わすのだ。何があっても、これから先、ずっと離れないと誓いながら。
エンディングロールが流れ始めると、せっかちな国の住人は席を立ち出て行く。でも、ひよりは最後の最後まで見るタイプだ。
すっかり余韻に浸ったひよりは、明かりがつくまで東の手を握りしめていた。
◇
「ひよりは可愛いね。あっという間に物語の中に行ってしまった」
「映画ってすごいですよね。あんな映像と音楽が流れたら、いちころです。あ、八雲さんつまんなかったでしょう? お約束の物語で」
「いや、僕だって感動したんだ。あんな風に愛する人を救えたら、どれほど幸せだろうってね」
「そうですね。好きな人に助けてもらえたら、本当に幸せです」
二人はパスタを食べながら、映画の話をしていた。
ひよりは名シーンを思い出しながら、ほうっと息を吐いた。東はフォークにパスタを絡めながら、そんなひよりを見る。
「でも、僕がひよりを助けることはない方がいい。税金の無駄遣いのままが平和な証拠」
「そうですけど……八雲さんは私を助けてくれましたよ。二日酔いの私と、知恵熱出した私を。ちょっと内容は恥ずかしいですけど」
「まあ、そういった助けなら喜んでするよ。ただ、ひよりと任務を天秤にかけなきゃならない時があるからね。そのへんは不幸だと思うよ」
ひよりはパスタを口の中で咀嚼しながら考える。
東はやはり、自分が自衛官であることのデメリットを気にしているのだ。もしかしたら、過去の恋愛でそういう場面があったのかもしれない。日本は武力で攻め入られることは今のところないけれど、近ごろは自然災害が絶えない。
「あの、別に天秤にかけなくてもいいですよ。天秤にかけられるのも、かけるのも気持ちが良くないじゃないですか。私は八雲さんの足を引っぱるつもりはありません」
「今はそう言えるんだよ。けどね、いざそういう時が来たら」
「私よりも他人を助けるのねって、言われたんですか? 前の彼女さんに」
「ひよりっ」
ひよりは東の反応を見て当たりだと思った。東の年齢ならいくつかの災害派遣は経験済みだろう。その時に当時の彼女から、そのような事を言われているのだ。
「それで、八雲さんはどっちを選んだんですか?」
「当然、彼女ではない他人のために出動した。それ以来、彼女とはうまくいかずに別れた」
東はすっかり食べるのをやめ、フォークを皿においてしまう。そして、納得のいかない顔で水を飲んだ。
「八雲さん、怒ってますか?」
「ひよりには怒っていない。自分の不甲斐なさに怒っているだけだ」
「なんて言うか、ありがとうございます」
「なぜ、ひよりが礼を言う」
「言いますよ? その彼女さんと別れてくれてありがとうございます。でなきゃ、私は八雲さんとデートできなかった。八雲さんは浮気なんてしないでしょ。もし、今もその方と付き合っていたら、私なんて見つけてもらえなかったなって。あの飲み会の日も、濡れながら走って帰っただろうなって」
ひよりがそう言うと、東は深いため息をついた。
あのとき自分は、もっと上手くやれたのではないかと今でも思うことがある。
当時、彼女も不安だったのだ。その不安を分かってやろうともせずに、任務遂行のためと縋る手を振り払った。それが、自衛官の使命だと言い聞かせて。
もしもひよりとの日々の中で、同じことが起きたらどうするだろうか。
ひよりはあの時の彼女よりも若い。
「そう言えば、駐屯地の行事って、もうないんですか?」
「うちの?」
「他の駐屯地を知らないのでよくわからないんですけど」
「うちの駐屯地も、他の駐屯地もまだ何かしらあると思うが。どうしてそんなことを聞くんだ」
「八雲さんたちのお仕事を、もっと見たいなって思っただけです。興味本位だから、気にしないでください」
「いや、大歓迎だよ。うちの駐屯地は夏祭りもやるし、隣の市まで遠征するなら、この間みたいな訓練も見られる」
「そうなんですね! 予定が合うなら行きたいです」
「じゃあ、調べておく」
「はい」
ひよりは、自衛隊を知り始めたばかりだ。
東はそんなひよりに、万が一の究極の話をするのはまだよそうと思った。避けては通れない問題だが、これは簡単に解決するような問題じゃない。
いくら話し合ったって、その時の精神状態で事態は大きく変わる。
「八雲さん?」
「うん?」
「難しい顔になってますよ。それって、前の彼女さんのこと思い出したからですよね」
「そういうわけではない」
「やっぱり、そうですよね」
「いや、だから。ひよりには関係のないことだ」
「ですよね……私には関係ない」
ひよりは顔を伏せてしまう。これではせっかくのデートが台無しだ。有事の時がどうとか、万が一の時にどうするとか、そう言った問題以前の話になる。
「関係ないというか、その、なんだ……」
東は言葉を探した。これ以上、ひよりを傷つけたくない。今度こそはうまくやりたい。若かった頃のように、「大丈夫だ、俺についてこい!」そう言えたらどんなに楽か。しかし、ひと通りの経験をして大人になってしまうと、考えることが増えて判断が鈍る。
もしここが手術台の前なら、自信を持って迅速に処置できるのに。
――実に、情けないことだ
「八雲さん!」
「どうかした?」
「あそこ見てください。自衛官さんたちがいます」
「ん?」
ひよりが言う方向には、確かに数名の男性がたむろっていた。短髪で、体格のよい男性ばかりだ。筋肉質の腕をズボンのポケットに入れ、中には色の付いた眼鏡をした者もいる。
坊主頭に襟のある白いシャツ。黒いスラックス姿で靴は黒々と光っていた。
「なかなか迫力がありますねっ」
「ひより。パスタを食べよう。食べ終わったら、さっさと出るぞ」
「そっか。弾切れおこしちゃいますもんね」
「ああ、違う意味で起こしそうだね」
「えっ?」
「いやなにも。さあ、早く食べるんだ」
東は笑いたいのを堪えた。ここでネタをバラしたら、ひよりのことだから大声でそのことを口にする。そんなことをされたら大惨事だ。
あそこに集まる連中は、絶対に近寄ってはいけない。
――ありゃ、本職さんだ
「それから、ひより」
「はい?」
「早急に駐屯地行事を探してくる。ひよりはもっと、自衛隊を知らなきゃな」
「はいっ」
ヤクザと自衛官の見分け方を、早急に教えなければならない。話はそれからだ。
そんな風に東は思ったとか。
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