第13話 身も心も掴まれて
午後七時、ひよりは待ち合わせのお店に入った。
そこはクラシックな雰囲気が漂うフレンチレストラン。明るすぎない照明が、大人の気分をかき立てた。
(ワンピースにしてよかった……)
ひよりが選んだのは明るいグレーの膝丈ワンピース。五分丈の袖は肩から下がレースになっている。気を使ったのは服だけではない。指先は淡いピンクのマニキュアを塗り、靴はヒールのあるパンプスを履いた。
お化粧だって普段とは違う。まつ毛もカールして、アイラインも入れて、唇には艶の出るグロスをのせた。
ほんの少しでも、東の年齢に近づきたかった。隣に並んだ時に、誰から見てもお似合いのカップルだと思われたかったのだ。
「西様、でらっしゃいますか?」
「はい」
「ご案内いたします」
受付の店員に案内されて、ひよりは店の奥に進んだ。年齢層はまちまちだが、ほとんどの客がカップルであることに、ひよりは驚いた。
(デート専用のお店なの?)
床はカーペットが敷いてあるので足音が鳴らない。バックに流れる音楽は心地よく、余計な雑音がないぶん話し声もどことなく上品に聞こえる。
「ひよりさん」
席を立ってひよりを迎えてくれる東の姿は、昼間に会った時の自衛官ではなかった。ネクタイこそしていないが、ジャケットを着て左胸にはハンカチがオシャレに顔を出し、ベルトは当たり前だが弾帯ではない。
背が高く脚の長い東は、まるで外国の俳優みたいだった。鍛えられた体は、どこを切り取っても美しい。ひよりはただただ、東に見惚れていた。
そんなひよりに、店員は椅子を引き着席を促す。
「どうぞ、おかけください」
「はっ、はい。ありがとうございます」
慌ててひよりは椅子に座った。東はひよりの着席を見届けて、にっこりと微笑むと、自分も静かに着席した。
「今夜はお招きいただき、ありがとうございます」
「そんなにかしこまらないで。この店はね、そんなに構えるような場所じゃないから。それにしても今夜のひよりさんは一段と綺麗だね。それ、僕のため?」
「っ……」
東はいつも、自分のことを私と言っていた。なのに今に限っては僕と言った。しかも、ひよりが着飾っているのは、自分のためなのかと聞いてきた。
東の言葉を聞いたひよりは、全身の熱が一気に顔に集中した。ひよりの顔は真っ赤だ。
「その、恥ずかしくないようにと、思いまして」
「ひよりさんは普段から恥ずかしくなんてないよ」
「そうじゃなくて。東さんの隣にいてもおかしくないように。子供に見られないようにと、思って」
「それは、僕と釣り合いたいということかな」
「そう、かもしれません」
「そうか。なるほど」
東はテーブルに肘をついて、ひよりのことをまじまじと見た。見られているひよりは落ち着かない。
「あのっ、そんなに見ないでください」
「ごめんね。ここに来るまでに、何人の男がひよりさんを見たのかと思ってね。それを考えると、許せない気持ちになるよ」
「どっ、どうして……そんなこと」
「それは簡単さ。ひよりさんを僕だけのものにしたいからだ」
「えっ、ええ!」
来て早々に、東は大人の男の色気を垂れ流しながら、ひよりに甘い言葉を吐く。ひよりの心臓も脳も破裂寸前だ。
「本題は食事の後で話すとする。まずは美味しいものをたくさん食べよう」
東は意味ありげな笑みをひよりに向けながら、食事開始の合図を店員に送った。
◇
前菜から始まり、メインの肉料理まで食事はすすんだ。残すのは、デザートのみ。
料理はどれも美味しかった。自分では絶対に作ることができないし、丁寧なサービスはとても心地よかった。でも、どの料理もひよりの頭には残らなかった。原因は、東だ。
――僕だけのものにしたい。
その言葉がひよりの頭の中を延々と回っていた。美味しいけれど、その美味しさはすぐに通り過ぎて行って、また東の言葉がよみがえる。
東はというと、ひよりの食べる姿を時々見ては柔らかく微笑む。その東の笑みを見たひよりは、ぎこちなく笑みを返して「美味しい」と言うだけだった。
「ひよりさん、お腹は満足?」
「はい。とても美味しかったです。それに、お腹パンパンです」
「ひよりさんは偉いよね。残してもよかったのに、出されたものは全部食べている。僕でも腹いっぱいだよ」
「食べることは大好きなので……」
「いいことだ。食は生きることの基本だからね。さて、残すはデザートだけになったんだが。その前に、今日の本題に入るとする。ひよりさんには例え話や遠回しの言い方は通じない。ストレートに言うから覚悟して聞いてほしい」
「はっ、はい!」
ひよりはナプキンで口元を拭いて、姿勢を正した。東の言葉を一言一句逃さずに聞こうという心構えだ。
東はひよりの瞳を見つめた。もう、新たな誤解はさせないよと気持ちを込めた。
「ひよりさん」
「はい」
「僕の恋人になってください。そして、ゆくゆくは結婚をしたい。ひよりさんと夫婦になりたいと思っています。僕と付き合ってもらえませんか」
「えっ、わっ、私ですか? 東さんが、私と⁉︎」
ひよりは東のことが好きだと、ここに来る前に気づいたばかりだ。気づいた途端に東から告白をされた。とても信じられない展開に、ひよりは震えた。
「本当はね、うちでランチをしたあの日に言うつもりでいたんです。でも、予想しない展開になっちゃったから。何というか、それはそれで楽しかったんだけどね。今思えばあの雨の日から好きだったのかもしれないね」
「す、す、すき……」
「ひよりさんは僕のことをどう思いますか。おじさん過ぎて、お付き合いは難しいですか」
落ち着きのある声で東はひよりに答えを迫った。その眼からは、狙った獲物は絶対に逃さないという意志が感じられる。
「東さんは、私には勿体ないくらい、素敵な男性です。おじさんなんかじゃありません! 私は見ての通り普通で、これといって特技はありません。掃除も洗濯も、お料理もけっして自慢できるレベルではありません」
「でも、僕の作った料理をとても美味しそうに食べてくれる」
「だって、本当に美味しいから……」
「僕はね、ひよりさんに求めることは一つだけなんです。僕専用の女性になって欲しい、それだけです。自分で言うのもなんだけど、僕と一緒になればメリットが多いと思うんです。ひよりさんの健康管理、いざという時の処置、掃除洗濯、そして料理もする。あえてデメリットをあげるとしたら」
東はそこまで言って考えた。そのデメリットを、付き合うかどうかの時点で言うべきかと。これがプロポーズなら迷わずに言う。けれど、ひよりはまだ東の恋人にすらなっていない。
「東さんといたら、とても幸せだと思います。デメリットなんて、ないですよ」
しかし、ひよりのその言葉を聞いて東は言おうと決心した。これだけは避けて通れないことだからだ。
「僕にもデメリットがあります。やっぱりこれは言っておかないとフェアじゃない。僕は自衛官です。この身分は国と国民を守るためにあります。万が一、が起きた時、僕はひよりさんを置いて出動します」
「それって災害や他国からの攻撃があったとき、ですよね」
「はい。例えばひよりさん自身が被災しても、僕は、あなたを助けに行けないかもしれない。すみません。やっぱり、この話は忘れてください。あなたはまだ若いし、僕よりもっと」
――あなたに似合う人がいるはずだ。
ひよりには、東がそう言おうとしていることに気づいた。先にそれを察したひよりは東の言葉にかぶせるように言う。
「だから、私は言いました。東さんと付き合ったとして、デメリットはないって」
ひよりは聞きたくなかったし、想像したくなかった。自分の隣にいるのが東ではない誰かで、東の隣にいるのが自分ではない誰かを。
それは、とても嫌な想像だと思った。
「もしも東さんが言うことがデメリットならば、自衛官は全員結婚できないじゃないですか。デメリットなんかじゃありません。少なくとも私はそう思います。自衛官という職を全否定しないでください。それは悲しいです。今日の訓練を見て、そんな日が来て欲しくないって思いました。でも、もしもそうなったら、日本には自衛隊がいる。守ってくれる。そのヒーローの中に、東さんがいるんですよ。とても誇らしいです」
「ひよりさん!」
「ご、ごめんなさい!」
たった一日、彼らを見ただけで分かったようなことを言ってしまった。ひよりは言ってから後悔をした。
本当にそんな日が来たら、今と同じことが言えるのか分からない。でも、言わずにはいられなかった。
東の隣に居るのが、自分でありたかったから。
「いいの?」
「え?」
「僕の恋人になってくれるという、答えだと思って」
ひよりは頼りない声で「はい」と答えた。
「よかった。ああ、もうフラれるとばかり思っていたから。本当によかった。ありがとう」
「そんな、こちらこそありがとうございます。こんなに大人で素敵な人が恋人だなんて、信じられない」
「僕だって信じられないよ。だって初めは、ヤクザだと思われていたんだからね」
「それは、本当にすみません」
ひよりにとって、何度思い出しても恥ずかしい間違いだ。そして、ヤクザと勘違いしてから恋人という関係になるなんて、もっと信じられない。
「ひよりさん。デザートを食べる余裕は残ってる?」
「デザート……はい、大丈夫です」
本当はデザートどころではない。驚きと興奮とが混じって心臓は大変なことになっている。
東は満面の笑みで店員を呼ぶ。そして、そのままカードで会計を済ませてしまう。
「タクシーを一台お願いします」
「かしこまりました」
(デザートは、別のお店? とか?)
身も心もふわふわした状態で、東のしようとしていることが分からない。
「ひよりさん。デザートは僕の家で食べます。一緒に甘い夜を過ごそうね」
「甘い夜……え、夜っ!」
東は「うん」と、大したことないように返事をして席を立った。そして、唖然とするひよりの手を取って店の出口に向かう。
「ありがとうございました。お気をつけて」
店員のスマートな見送りにひよりは慌てて会釈する。
東はひよりの手を繋いだまま、呼んでもらったタクシーに乗り込んだ。
(甘い夜って⁉︎ まさか「デザートは僕だよ、召し上がれ」なんて、言われるのかな!)
ひよりの脳内は大人の事情で大変なことになっていた。
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