『ヨウコ』
ヨウコさんは終始ご機嫌だった。
「やっぱりこの子にはこの鉢が似合うと思っていたの!」
コウちゃんの入れられている金魚鉢の前で、ヨウコさんは満面の笑みを浮かべている。
片やコウちゃんはむっつりと口を閉ざし、鉢の底で微動だにしない。
「この尾鰭、本当にきれいね、泳いでみせてくれないかしら?」
「ごめんなさい。この子、さっきお昼を食べたばかりで、眠いみたいなの」
「あらそうなの? 残念だわ。実際に動いているところを見たかったのだけれど」
ヨウコさんはそう言いながら、金魚鉢の上からコウちゃんの尾鰭をなぞった。
コウちゃんはさぞかし不満げに泡を二粒吐いた。
「そうだわ、アカネさん。あなた、アオイさんをご存知?」
視線はコウちゃんに注いだまま、ヨウコさんが思い出したようにわたしに尋ねる。
「はい。会ったことはないはずですけど」
「あの子、もうすぐ卵を産むのよ」
最後に見たヨウちゃんのあの姿が頭に浮かぶ。
「そうなんですか」
「ええ、とっても楽しみだわ」
「急に訪ねてごめんなさいね」
「いいえ。お気をつけて」
ヨウコさんを玄関先まで見送る。二階へ戻ると、コウちゃんがげんなりした顔で岩場に座っていた。
「あのババア」
「コウちゃん」
ふんと鼻を鳴らすと、コウちゃんは頭から水中へ飛び込み、そのまま岩場の影に隠れてしまう。
尾の先だけがちらちら覗くその状態をどうしたものかと悩んでいると、電話が鳴った。
「もしもし?」
「アカネ? 今一人?」
「うん、ちょうどヨウコさんが帰ったところだよ」
「……一応聞くけれど、他には誰も来ていないわよね?」
「コウちゃんなら岩陰で拗ねてるけど」
「そう。……アカネ、アオイちゃん、分かるかしら」
じわり、と体の奥から、よくない何かが漏れ始めた。
「知ってはいるけど……」
「ああ、そうよね、会ったことはなかったわよね」
「うん」
「あのね――」
どぱっと、よくない何かが一気に溢れ出た。
ああ、まただ。
わたしはまた、溺れて窒息する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます