第12話 湘南編11 海の生き物たち

新江ノ島水族館についた茉莉は、チケットを買って中に入った。進んでいって始めて見た水槽は、とても大きなものだった。相模湾大水槽というらしい。エイが自由気ままに泳いでいる。円形になっている水槽をぐるっと回りながら眺める。ゆったり泳いでいる魚を見ると、茉莉までゆったりとした気持ちになった。


お次は深海生物ゾーン。普段見る魚とは一線を画した奇妙な生物たちに多少怖がりながらも、茉莉は不思議そうにそれらを眺めた。


クラゲホールは少し後にイベントがあるらしいのでスルー。次のお目当ての場所へ。


ペンギンエリアに到着した。ちょうどイベントが始まるようで、江ノ島を急ぎ足で歩いた甲斐があったなぁと思いつつ茉莉は水槽へと歩み寄った。


先程から気づいていたことだが、水族館の中には人があまりいなかった。新学期や新年の準備で忙しいのだろうか。おかげさまで、ペンギンのイベントを最前列で見ることができる。


ペンギンたちの紹介が始まった。トレーナーの合図でペンギンたちが一斉に陸に上がってきた。次々と名前を紹介される。茉莉はどれだけの名前を覚えて帰れるかなぁ、なんて思いながら紹介を聞いていた。


今日誕生日のペンギンの紹介を聞いていると、不意に茉莉は自分の名前を呼ばれた気がした。同じ名前の子がいるのかと思いきや、「マリー」という子が誕生日らしかった。自分と近い名前のペンギンの誕生日に立ち会えたことになんだか運命を感じて、茉莉の顔には笑顔が浮かんでいた。


ついで、トレーナーの合図でペンギンたちが水槽内の散歩を始めた。終始ぼうっとしているペンギンもいて、それはそれで微笑ましい一幕だった。


最後に、水の中に投げ込まれたエサをペンギンが取りに行く、というパフォーマンスが始まった。エサが投げ込まれると、ものすごい勢いでペンギンたちが泳いでいく。先程の微笑ましい一幕とは打って変わって、迫力あるワンシーンだった。


イベントの間、茉莉から笑顔が消えることはなかった。それほどに、しあわせな時間だった。


名残惜しくもペンギンの水槽を後にして、イルカショースタジアムへと向かった。水族館でのメインイベントであり、茉莉がもっとも楽しみにしていたところ。


15時を過ぎたあたりではあったが、すでに日が傾いていて、空がうっすら赤くなっている中でショーは始まった。


茉莉は初め、水が飛ぶのを怖がって後ろの方に席を取ったが、せっかく見に来たんだから、と自分を奮い立たせて、前列の席に腰をかけた。


まずはアシカが登場。挨拶から始まって、様々な特技を披露していく。素直にすごい、と思えるような特技の数々。観客に合わせて拍手をした。


アシカの出番が終わると、いよいよイルカの登場である。小さなジャンプで登場して、それから水面から起用に顔を出した。


「かわいい……」と素直に感想が漏れる。その間にも、次の芸が繰り出された。イルカと一緒に、人も飛んでいる。


なかなかできない、という水面で尾びれを振る芸を、茉莉は必死になって応援した。その甲斐あってか、イルカはその芸を成功させた。会場全体が湧いて、暖かい空気に包まれた。自然と茉莉も「すごい!やった!」とテンションが上がっていた。


ショーもクライマックスに差し掛かり、大きなジャンプをイルカは見せてくれた。ちょうど飛んだところを写真に収められることが出来て、茉莉は大満足だった。


ショーが終わって、イルカのいる水槽に茉莉は近寄った。丸い水槽をイルカが泳いでいる。少し眺めていると、水を吹きかけられた。少し驚いて「きゃっ」と声が出たが、イルカなりの挨拶と受け取っておいた。


イルカショースタジアムを後にした茉莉は、見逃していたところを回ることにした。イルミネーションによって彩られるクラゲたちを見た。小屋に引きこもって出てこないカワウソを「自分みたいだなぁ」と思って見た。もう一回大水槽を見てなんとも言えない感動を味わった。


一通り見終わった後、ミュージアムショップでお土産を買うことにした。涼乃には実用的なものとして、ペンギンがプリントされている付箋を選んだ。自分には何を買おうかと悩んでいたところ、茉莉の目に大きなイルカのぬいぐるみが止まった。買えなくもない値段。触り心地はとてもいい。


「ううん、でも、イルカも頑張ってたし、買っちゃおうかな」


茉莉がイルカのぬいぐるみのつぶらな瞳に負けた瞬間だった。売り上げはおそらく水族館の運営に回されるだろうから、あのイルカたちも喜ぶだろう。


大きな袋を持ったまま水族館から出ると、空はほおづきのように赤く染まっていた。もう帰らなければならない時間。片瀬江ノ島駅から小田急線で帰っても良かったが、少し余韻に浸りたかったので、江ノ電で藤沢に戻ることにした。


夕暮れの江ノ島駅のホームで電車を待った。少し前から茉莉はどこか寂しい気持ちを持っていた。


程なくして、緑の列車が迎えに来た。これで湘南ともお別れである。名残惜しかったが、そんなことはお構い無しに列車は藤沢駅へと出発した。


旅の余韻に浸っていたら藤沢駅にはすぐに着いた。ここでJRに乗り換えてもよかったが、どうせなら来た道と違う方法で帰ってみたい、という遊び心で小田急線に乗ることにした。新宿行きがあったので、それに乗ることにした。


電車が来るまで少し時間があったので、涼乃に水族館の写真を送った。


"どう?おめあての子達"


"可愛い!かっこかわいい!"


"お土産も用意してあるから覚悟してね?"


"覚悟……?でも、楽しみにしとく"


"ありがと、今から帰るところなの"


"旅はどうだった?"


どうだった?とは、『心の穴』のことを聞いてきたのだろう。たしかに、『心の穴』が埋まっていく感覚は少しずつあった。けれど、旅が終わりに近づいてくるにつれて、また『心の穴』が少しずつ蠢いているような、そんなことを茉莉は感じていた。涼乃のメッセージはどう返すのか迷ったので、わからないふりをした。


"とってもたのしかった!またどこか行くかもね"


"それはよかった"


"あ、電車きた。とりあえず返信やめるね"


"無事に帰ってきてね"


またどこか行くかもね、と言ったが、茉莉には少し迷いが生じていた。たしかに、旅をすることで『心の穴』の不快感は薄れていたし、これからどこかに行くとしてもそうなるだろう。ただ、普通の生活に戻ってしまってはまた『心の穴』が茉莉に不快感を与える。これでは、根本的な解決になっていない。


そんなことを考えながら、新宿行きの電車に乗った。一番端っこの席を取ることができたので、壁に寄りかかって楽な体勢で座っていた。すると、みるみるうちに睡魔に襲われたので、茉莉はそれに身を委ねることにした。


また、誰かに呼ばれる夢を見た。行きの電車よりもはっきりと声が聞こえる。その声に、耳を傾けることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る