第4話 湘南編3 電車の中で
まだ日も登っていない早朝、茉莉の乗っている電車は海を目指して進んでいる。
今は浦和を出発したあたり。依然外は真っ暗で何も見えないが、それでも茉莉はボックス席から窓の外をぼうっと眺めていた。
また少し眠たくなってきたので、少し眠ってしまおうか、と思っていた瞬間に思わず、
「わあ……。」
と声を出してしまうような光景が茉莉の目の前に現れた。
東京と埼玉をつなぐ橋を渡ったあたり、東京側にあるマンションの常夜灯が、ろうそくを並べたように規則正しく並んで煌々と光っていた。
まだ出発したばかりなのに、その景色を早起きした自分だけが独り占めできた、という幸福感に茉莉はとても満足していた。
赤羽駅に停車したとたん、かなりの人が電車に乗り込んできた。茉莉が独り占めしていたボックス席もすぐに埋まってしまった。茉莉は少し縮こまって他の人が座りやすいようにした。
茉莉は先ほどの景色を見てまた目が冴えてしまったので、今日の行き先を確認するためにスマホをポケットから取り出した。
すると誰かからメッセージが来ていたので確認する。
涼乃からだ。休日なのにこんなに朝早く飽きているなんて珍しい。メッセージの中身は“起きてる?”という、とても簡潔な疑問文だった。
“うん。今電車の中”
と茉莉は返した。するとすぐに既読が付き、
“よかった。ちゃんと起きて家出れたんだね”
と送られてきた。
“さすがにアラームあるから起きれるよ”
と送って、続けて
“ちゃんとサボり防止のものも持ってきたよ”
と送ったところでスマホをしまった。『心の穴』のことは忘れているようだ。
電車は上野駅のホームに滑り込んで停車した。赤羽駅で乗ってきた客をはじめ、ほとんどの客が下りたので電車内の人はまばらになり、茉莉の座っているボックス席も向かいにサラリーマンが一人座っているのみとなった。
上野駅から東京駅まではそれほどかからなかった。東京駅で少しの間停車しているというので、茉莉はいったんホームに降りて、大きく伸びをして、それからホームの端っこから外を見た。
地平線のあたりが濃い青色になっていて、あたりも少し明るくなっていた。日の出が近いのだろう。
そろそろ発車する時間になったので、また小田原行きの電車に乗り込んで、いつの間にかまた誰もいなくなっていたボックス席に座った。東京駅を出てしばらくして今までで一番強い睡魔が睡眠を促してきたので、大人しくそれに従うことにした。
誰かから優しい声で呼びかけられる夢を見た。それが誰だか、聞き覚えのない声なので茉莉には見当もつかなかった。
目を覚まして、茉莉はなぜ自分が電車に乗っているかわからないくらいに寝ぼけていたが、すぐに思い出して、隣にいつの間にか座っていた年上に見える女の人に少し驚きながら、社内の電光掲示板を見た。
次は トツカ
と書いてあったので、少し安心した面持ちで視線を戻した。
すると、先ほど視界にちらりと映った隣の年上らしき女の人が話しかけてきた。
「ごめんね、起こしちゃったかな?」
とすこし不安げに聞いてきたので
「いいえ、変な夢をみて、それで起きたので。心配しなくても大丈夫ですよ。お姉さんのせいじゃないです。」
と否定した。
「そっか、私はお姉さんなのか。」と変なところで引っかかってから
「あなたはどこへ向かっているの?」と茉莉は尋ねられたので
「江ノ島とか、鶴岡八幡宮とかです。」と返した。
「そっか、湘南に行くんだ!」と少し感心した様子で言ったあと
「でも、それなら鎌倉から行けばよかったんじゃない?」と続けた。
「鎌倉から行ってもまだ鶴岡八幡宮が始まっていないんです。だから、藤沢からぐるっと回って、由比ガ浜で降りて海をみて、そこから歩いて鶴岡八幡宮を目指そうと思ってます。」
「そっかそっか、まだ朝早いもんね。」
「そうなんですよ。」と答えた後、茉莉は
「お姉さんはどこへ向かってるんですか?」と聞いた。
「秘密。」と意地悪気に返されたので、抗議の意味を込めて少し黙った。
するとお姉さんは「ごめんって。」と焦って茉莉に謝ってから、
「静岡の西の方に帰省するの。ちょうど大学も休みだし、祖父母がいる家でゆっくりしようかなって。」
「やっぱり年上なんですね。」
「じゃあ君は高校生かな。いいなあ若くて」
「多分2、3歳しか変わりませんよ?お姉さんも十分若いです。」
「それでも十分違うもんだよ?この年になればわかる。」
「そうですか、2年後、楽しみにしてます。」と言葉を返した茉莉にある疑問が浮かんだ。それを隣のお姉さんに聞いてみることにした。時間はまだたくさんある。
「静岡まで行くなら、すこし値段はかかりますけど新幹線とか特急とか乗った方が楽なんじゃないですか?」
「それもそうなんだけどね、私の大学茨城にあってさ、そこから各駅停車で静岡までゆっくりゆっくり楽しんでみようかなって。風景とか、観光スポットとか含めてね。」
「すごい行動力ですね。」と茉莉は素直に尊敬した。
「そうかな、でも確かに友達にはよく同じようなこと言われるからそうなのかも。なんとなく考えてみたことでも、やってみないと気が済まなくて。」
他の人からは行動力のあるように見えても、それが彼女にとっては当たり前で、自分が行動力があるとはほんの少しも思っていないのだろう、と茉莉は考えた。往々にしてそのようなことが人にはよくありえるのだ。かく言う茉莉も、全く自覚はないが、涼乃をはじめとする周りの人たちに「気配りがすごいできる」とよく言われるのである。当然自覚のない茉莉は言われるたびそのことを否定している。
「さて、と。もうすぐ藤沢だよ。」
「そうですね。じゃあ、私はここで。あの、お話、すごい楽しかったです。」と言って茉莉は頭を下げた。
「いやいや、私のほうこそいい暇つぶしになったし。」
「あのっ、お名前聞いてもいいですか?」と聞いた時には、すでに電車は減速して、ホームに入線していた。茉莉はほとんど名前を教えてくれる確認のつもりでお姉さんにこう尋ねたが、しかし予想に反してお姉さんは意地悪な顔をして
「教えない。」といって、こう続けた。
「今日のところは旅してたら偶然出会えた女の人、くらいの感じでとどめてくれるといいかな。そうしたら、また会えた時にもっと幸せになれるわ。」
「でも……。」と諦められなさそうな茉莉にお姉さんは腕につけていた皮のミサンガを渡してこう言った。
「出かけるときは、これを身に着けて。そうしたら私はすぐにわかるから。大丈夫、あなたとはまたすぐに会えそうな気がするわ。」
そう聞いて観念した茉莉は、
「わかりました。また絶対会いましょうね。」と言った。
お姉さんは「お互い、いい旅にしようね。」とほほ笑んで手を振った。
茉莉は電車から降りた後もしばらくその電車を手を振りつつ見送った。思いがけない出会いもあるものだなあ、と思いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます