第2話 いろは

朝、起きると姉は出勤した後だった。

母が台所で立ったまま温かい麦茶を飲んでいた。

母は昔コーヒーが好きだったが、うつ病になってからは動悸がすると言ってコーヒーを飲まなくなった。

麦茶を飲みながら眠い、眠いと言っている。

強い薬を飲んでいるのだろうかなどと考えかけてやめた。

私にはもう関係ない。

「今日はパートなの?」

「そうよ。9時から。いろはは何時に帰るの?」

「もう帰るよ。優介が迎えに来てくれるから」

「そう。仲良くやってるのね。安心したわ」

スマホが鳴った。

夫の優介からだった。

「もしもし」

「着いたよ」

「分かった」

電話を切る。

「優介着いたみたいだから、私もう行くね」

「そう。次はいつ来るの?」

「年末かな」

「そう……またね」

母は寂しそうに言った。

もっと帰ってきて、そう、言いたそうに。


「お待たせ」

もう何度も乗った事のある白い車に乗り込んだ。

「うん。じゃあ、行こうか」

優介はいつもの笑顔で言った。

「ごめんね、遠いのに」

「いいよ、日曜だし」

昨日は彼女をこの車に乗せたの?

なんて聞けない。

全部知ってる。

だけど言えない。

私はこの優しい人を失いたくない。

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