第9話 戦後日本の戦争

前章で述べた通り、戦後日本の惨状について語ろうかと思う。

1945年8月15日、ラジオから流れる国民が初めて耳にする天皇の声により、大日本帝国軍の敗戦と言う形で、終戦を迎えた事を知らされた。それは無条件降伏と言う、まさに "耐え難きを耐え、忍び難きを忍び"(玉音放送の天皇の言葉)と言う、連合国軍の言いなりを全て受け入れなければならない条件が付された。

夏が過ぎた頃には、戦後の国際裁判、通称東京裁判が開かれ、陸軍大将、東條英機を始めとする戦争を扇動した人物たちがA級戦犯として裁かれた。それはもちろんの事であり、私の個人的見解ではあるが、東京裁判により、日本はある程度の戦争による国際的責任は果たしたと思っている。中国や朝鮮に対する非人道的な行ないがあった事も事実であるし、それに対する責任も、後に国家賠償と言う形で果たしたと言って良いと思っている。

この戦争による近隣諸国への加害があった事は、決して目を逸してはならない事実なのだが、ここではテーマに沿って我がご先祖たちも被害者であった事を述べていきたいと思う。

先ずは悲惨さが個人的に一番と思っているシベリア抑留兵たちの話しをさせていただきたい。満州国(今の中国中西部)で活動していた帝国陸軍の関東軍の多くは、終戦後にソ連軍の捕虜となり、北国シベリアへと抑留されてしまった。元兵士たちは捕虜と言う事もあり、当然の如く過酷な労働を強いられた。それも極寒の地でだ。そしてこれも当然の如く、食事までもが粗末な物であった。これは私が聞いた話しと、想像を複合した事なのだが、現在を生きる諸君らに分かり易く話すとすれば、"コンビニエンスストアに行き、三百円くらいを渡されて、一日分の食料とする" くらいの内容で、土木現場作業を寒風吹き荒ぶ北海道網走辺りでせよと言われているくらいの過酷さなのである。もちろんプライベートな自由も一切ないし、娯楽と呼べるものも皆無なのだ。

もしかしたら捕虜などにならず、自害してしまった方が楽だったと思った方々もおられたのではないだろうか?想像の域は超える事は出来ないが、極寒の中、祖国や家族を想い非業の死を遂げられてしまったご先祖様、空腹のままに命を閉じなければならなかった諸先輩方を想うと、痛恨の念に絶えない。

そんな方々の想いの犠牲の元に生まれた平和な国、日本。我々が成さなければならない事とは何なのだろうか?それは貴方のひいおじいさまの話しかも知れないし、ひいひいおじいさまの話しかも知れない。直ぐそこの手に届く範囲でそれらは起きていたのである。それらを無視する我々に、未来を託す子々孫々に堂々と顔向けして、"これが私たちが造った世界だよ" と胸を張って言えるだろうか?少なくとも、私はご先祖の方々は胸を張っても良いと思っている。何故ならば、我々にそれを超える事など出来るはずもないし、現在の我々が平和に暮らしていられるのだから。


次回は国内における我が国の現状について話しを進めていきたいと思う。そう、紛れもなく貴方のご先祖様の真実の話しである。

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