第6話 太平洋戦争の真実②

前章で述べた大日本帝国軍の軋轢とはどう言った事なのか。それは我が国の全権力を掌握する帝国軍に於いて、少しでも相手を出し抜き、功績を上げようと躍起になっていた海軍と陸軍の間の権力争いである。同じ国の同じ軍隊間にあって、考え方の違う両軍は、国民の支持、天皇への覚えを念頭に活動を続けた訳である。

小学生や幼稚園児でも分かる話しである。敵は米国であり、日本国内には敵は存在しないのである。にも関わらず、両軍は自分たちの見栄のみを最優先させ、手柄を取る事に躍起になってしまった。結果、両軍が協力し合う事はなく、逆に相手を出し抜いたり相手の作戦を批判したりと、相容れる事は、最後の最後までなかったのである。

この事を頭に置いて読んでいただきたい。前章で述べたミッドウェー海戦後の我が国と米国の戦いは、南太平洋へと変遷していった。理由は至極簡単である。米国から見れば南アメリカ大陸からオセアニア諸島にかけて、点在的に陸続きである。一方、日本側から見ても、東南アジア諸国の陸地からオセアニア諸島へ向けて、これまた断続的ではあるが、オセアニア諸島へと繋がっている。つまりはオセアニア諸島から東南アジア諸国の各領地を巡った両軍の戦闘が、太平洋戦争の全貌だった訳である。前章で述べた通り、空を制するには、先ず陸を制する必要があった。その為の南太平洋戦線であった訳だが、オセアニア諸島のとある島に海軍船で陸軍小隊が派遣される。その後、島を掌握すべく、陸軍小隊が活動を始める。しかし南の名もなき孤島である。物資も乏しく、現地調達も難しい。想像して欲しい。特に食料や生活必需品は海軍の船が運んで来ない事には、陸軍兵士は置いてけぼりになってしまうのである。しかし海軍は他の任務があるからと、それらを後回しにするのである。「我々の任務は陸軍兵を現地まで送り届けるまでで、物資の運搬までは任務には入っていない」これが海軍の言い分であり、双方の軋轢であった。

陸軍の島での活動は飛行場の整備や無線装置の配備など多岐に渡った。当然の事ながら敵兵も同じ事を考えている訳で、白昼堂々と作業出来るものでもない。いつ襲って来るか分からない敵を警戒しながらの重労働をいられた訳である。例えばの話しである。電気工事や土木工事などに関わる仕事に従事されている読者諸君もおられると思うが、仕事中に自分を殺しに来るかも知れない緊張感で業務をこなせるだろうか?言わずもがなでいなであろうし、そんな環境も設定も経験する事はないであろう。しかし約75〜80年前に、実際にこの国の国民が、もしかしたら貴方の親近者やご先祖が経験した事である事を忘れてはならないと私は思う。そう言う目で見ていかない限りは実際に我が国で行なわれた悲惨この上ない惨劇は、自身の身にならないと強く訴えたいと思う。

我々の先祖がそんな想いまでして守りたかったものとは、どんなものなのだろうか?私が一番、重きを置いて言いたい事はここにある。何も特別なものは何一つないのだ。ただ今までの平穏な生活を普通に過ごして欲しい。子供に普通に発育して欲しい。たったそれだけの事であったのだろうと私は思う。その為だけに命を捧げて散っていった貴重な命がどれほどあったであろうか?どれほど今の我々が普通と思う生活をする事が困難な時代であったであろうか?我々は決してそれを忘れてはならない。何故ならば我々がそれらを忘却する事の先には、先人たちの死を無意味にしてしまう事に繋がるからなのだ。

温故知新と言う言葉がある。「古きをたずねて新しきを知りなさい」と言う意味である。日本の学業に於いて、歴史と言う科目があるが、それはまさに「過去の出来事を学び、これからの我らの道筋を考えよ」と言うれっきとした因果の法則にのっとった教えなのである。先人たちの功罪を無視して過ごす事こそが真の罪であると私は考える。

さて、「戦争は侵してはならない!人をあやめてはならない」など、小学生時分に学んだ事であろう。しかしながら高学歴を経過しながらも過ちを犯す人類とは、如何ようなものなのであろうか?簡単である。私が思うに、先に述べた "歴史を学ぶ事の意義"' が分かっていないからでなのである。"何年に何なにが起こった"とか、"誰だれがこうした" だとかの意義も考えない答案を白紙に書き込む作業だけで、"高学歴" と言うレッテルを手に入れただけの "バカ" の寄せ集めなのだ。何一つとして本質を捉える事なく、点数だけに支配された奴隷となり下がった事に、全く気付いていない。

さぁ、高卒風情の低レベルの人間に、ここまで言われている気高き人間どもよ。目覚め給え。脳みそをフル活動して考え給え。何が自分自身を、国民を幸に導くのか。それが貴方方の使命であり、血税を受け取る側の任務であると心得よ!

話しを戻そう。南太平洋戦線は徐々に米軍に押され、遂には東南アジアにまで侵攻を許してしまった。原因としては大きくは二つあったであろう。一つは陸軍と海軍の不協和音。もう一つは単純な戦力不足であった。何よりも大きな戦力喪失は、ミッドウェー海戦におけるゼロ戦パイロットの喪失であろう。ゼロ戦は前章で述べた通り、当時としては画期的な戦闘機であった。それだけにその操作性も難しく、一朝一夕に操縦士を育てる事も容易ではなく、それに附随するかの如く、陸軍の猛者も消費されていった。これに国家は国民召集令状を発布した。属に言う "赤紙" である。

昨日まで商店主であった。床屋であった。工場でライン作業をしていた。公務員として事務作業に従事していた。そんな今でも、どこにでもいる男性たちが、その紙が郵送されて来るごとに訳も分からず戦地へとおもむいた。当然の事であろうが、銃器を手にした事もない。戦闘はおろか、喧嘩すらまともにした事がないような男性たちが、訓練を受け戦士となった上官の命令の元、様々な活動をさせられる。不備があると「気合が足りない!愛国心がない!」などと言われ、制裁と言う名を借りた暴力を受けるのである。訳の分からないまま兵士にされてしまった昨日までの貴方きほうらの父上、兄上、弟君、恋人や許嫁いいなずけら大切な人たちがそんな目に合わされたのである。理不尽、不条理などといくら言葉を並べてみても、どれにも当てはめる事の出来ない苦境に立たされたのである。

しかしそれは何も戦地に赴いた男たちだけではない。残された女子供や老人たちも同じであった。「欲しがりません!勝つまでは!」などと訳の分からない標語を並べられ、我慢を強いられた。我慢とは言っても、何も「寿司は我慢します」だとか「肉は食べません」と言った次元の話しではないのだ。妊娠中や授乳中のお母さんたちは、必要最低限の栄養が取れない為に乳が出ず、育ちざかりの子供たちは、いつもお腹を空かせていた。病人や怪我人もろくに医療を受ける事など叶わなかった。食材を作る農民も、医療従事者も戦地に取られ、資材も人も戦争に奪われていった。一体どこまでを我慢と言うのだろうか?こんなのは拷問に等しかった。それを全国民が強いられる他なかったのだ。

さて、ここまでご静聴いただき、先に述べた「解決策は戦争しかないのでは?」などとのたまったの発言を、どのように感じられたであろうか?

次回は太平洋戦争終結を果たした、あの恐るべき兵器が、如何に我々の同胞の頭上に落としめられたのか?知られざる事実を述べさせていただく。

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