第2話 冷戦時代の世界情勢

お忘れの方、しくは知らない方の為に言うが、かつて世界はアメリカとソ連(現在のロシア)を筆頭にして、東西冷戦と言う時代があったのだ。それは民主主義と社会主義(レーニン主義とも言う)との一触即発の静かな戦争時代と言う事である。

それは全世界に広がりを見せ、代表的なのが、ドイツと言って良いだろう。ご存知ない方もおられると思うが、かつてのドイツは、東ドイツと西ドイツに分かれ、東ドイツ側にあった首都ベルリンには、東西を分ける形で壁を建設し、社会主義の東ドイツ側、民主主義の西ドイツ側に分けられていたのだ。それは現在の朝鮮半島と同じで、壁には見張りの衛兵がおり、壁を越えようとする者は、容赦ようしゃなく射殺されたのだ。

しかし、その多くは、社会主義により、貧困にあえいだ東側の国民が、自由を求めて、この "ベルリンの壁" を越えようとした者がほとんどであった。それは現在の北朝鮮民に似ているとも言える。


では、何故なにゆえに社会主義国と民主主義国とがにらみ合い、反発しあったのだろうか。我が国日本は、一応は民主主義国と言う事である為、説明は不要であろう。

ここでは社会主義とはどう言ったものであるのかを説明する必要がある。社会主義の始まりは、20世紀初頭のロシアにまでさかのぼる。日本では19世紀末に明治維新が起こり、急速に近代化が進んで行き、世界と肩を並べるべく、軍事力強化も進められて行った。そして当初、大清帝国と名乗っていた、現在の中国と、朝鮮半島の主権をめぐり、1894年、日清戦争が勃発ぼっぱつした。兵力でも軍事力でも劣る日本であったが、日本はこれに大勝、国際国家として、世界から認知される存在となった。この当時の大国は、アメリカ合衆国とロシア帝国であったが、当時のアジアにいては、西洋列強の脅威きょういが差しせまっていた。

日清戦争に勝利した日本は、朝鮮半島を統治し、満州国を制定し、大日本帝国と名乗り、先進国の仲間入りを果たすと共に、アジアのリーダーとして、台頭して行った。

これを良しとしなかったのは、アジアのリーダーであったロシアだった。ロシアは現在もそうであるが、広大な大地と反比例して、土地はほそっており、海産物も北側の北極海では、豊富には採れない。であるが為に、中国側の主権と、オホーツク海側及び、日本海側の統治は、経済上必須であった。当然のように満州国及び朝鮮半島に介入して来たロシアに対して、日本は宣戦布告、1904年、日露戦争が勃発したのであった。

日本にとっては国際国家として認められ、正義の名の元に、朝鮮半島独立を成し遂げたばかりであり、ロシアの介入は許されざるものであった。しかし、ロシアほどの大国との戦争は初めてであり、兵力も軍事力も桁違けたちがいの差があった。ゆえに、ロシアの勝利は確実なものであり、世界から見れば、日本の暴挙としか映らなかった事であろう事は想像にかたくない。しかし世界の予想をくつがえし、海戦のさくすぐれた日本は、オホーツク海を掌握しょうあくし、勢いそのままに、勝利をおさめたのである。(詳しくは、司馬 遼太郎先生の「坂ノ下の雲」をご覧下さい)

この日本の大勝は、明治維新より、わずか37年後の事である。


この敗戦は、ロシアに大きな打撃を与えた。しかしロシア帝国を牛耳ぎゅうじる一部の上級階層の人間達(ブルジョア)は、民主主義の名の元、農民達を苦しめた。これに立ち上がったのがウラジーミル・レーニンだった。レーニンは上級階層のみが裕福に暮らし、農民達からしぼり取る、この制度を改革すべく、革命を起こしたのだ。

そして1917年10月から始まった "十月革命" により、ロシア帝国を倒し、1922年より、新制度を掲げ、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が設立された。レーニンの考えた新制度は、国民が等しく生産し、等しく報酬を得ると言う、民主主義を根本から否定するものだった(共産主義)。その後もレーニンは神格化され、十月革命が起こったその土地の名を、今も残るレーニングラードと変え、首都とした。現在の大統領、プーチンのファストネームがウラジーミルなのも、皮肉な気がしてならない。


さて、この話しを今の日本に置き換えてみよう。収入が充分にあり、老後の心配などした事のない、どこかの副総理のような人には "ピン" と来ないかも知れないが、大多数の人は、今の生活を切り詰めて、子供の未来の為に、お金を使い、貯め込んで、自分達の老後など、不安しかない、年金などアテに出来ないと言うのが本音だろう。それならば、レーニンが提唱した制度を今の日本にも取り入れた方が良いのでは?と言う疑問符が付く。しかし、冒頭で説明した通り、共産主義は崩壊の一途を辿たどって行った。

実は、共産主義と言うのは、欠陥だらけの制度だったのだ。想像してみて欲しい。会社に勤め、一所懸命に額に汗し働いて、どれだけ生産性を上げても、また上がらなくとも、収入は、国に定められた通りに同じなのだとしたら、頑張って働けるだろうか?ネジを一日に1000本作る人間も100本作る人間も同じ給料なのだ。後は言わずもがなだろう。しかし、レーニンが神格化されたこの制度に於いて、ソ連は断固として民衆を苦しめた民主主義をこばんだ。その説得に動いたのが、世界のリーダー、アメリカ合衆国なのである。アメリカは自由と民主主義の象徴の国であり、世界中がそうある為には、武力行使もいとわない。そんなアメリカに反発すべく、ソ連は核武装を始める。核爆弾の恐ろしさは、唯一、人間の頭の上で使用したアメリカと、被害を受けた我が国が、一番知っている。その為に、アメリカはソ連に対して、下手へたに手出し出来なくなってしまったのである。

民主化を進める世界のリーダー、アメリカと、独自に作り上げた社会主義(共産主義)を世界に広げようとするソ連。アメリカ側にく民主主義の各国、共産主義に共鳴し、ソ連側に就き、自国をも二分した東ドイツを始めとした国々。誰も出だし出来ないが、睨み合いだけは延々と続く世界情勢。それこそが東西冷戦時代と呼ばれるものだったのだ。


そしてその静かな戦争に終止符が打たれる時がやって来た。1990年当時、ソ連最高指導者、ミハイル・ゴルバチョフ書記長が、ペレストロイカ(改革)を旗印に、外交、内政面でも改革を断行し、アメリカ、レーガン大統領との米ソ首脳会談を実現させた。その折り、核軍縮協定に調印した。しかしゴルバチョフ氏の国内からの反発は厳しく、ソビエト連邦は空中分解し、やがて崩壊へと繋がって行った。同年、ゴルバチョフ氏はノーベル平和賞を受賞している。


社会主義国としてのソ連は無くなった訳だが、現在のロシアに於いても、共産主義思想(レーニン思想)は根強く残っており、今も北朝鮮や中国の一部の制度として存在している。


人間は何故なにゆえに戦争をするのだろうか?国として勝利すれば、確かに得るものは大きいだろう。しかし、敗ければ様々なものを失うし、勝利したとて、得たものよりも大きなものを失ってしまうのに。


次回、そんな人間の根底にあるものを掘り下げてみたいと思う。

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