2036年 7月19日 堀井 存、茂田奈 玲央、路時 紗亜那

第20話 無自覚

「ここだ。着いたぞ」


 どれだけ道を歩いたのか。

 到着したのは、やはり袋小路の場所だった。


「着いた? でも、なんにも……」


 導かれるまま奥まで歩き、玲央の指す場所を確認した存だったが、やはり壁がある様にしか見えない。

 しかし、見た目通りの事が起きないと言うのは、薄々感じていた。

 ここは普通の場所では無いのである。

 歩いた玲央が壁に手を突くと、突起も何もない壁の一部がドアの様に開き、奥へと続く通路が現れた。


「まだ少し歩くぞ。存は疲れていないか?」

「だ、大丈夫です」


 もちろん、疲れていないわけではない

 紗亜那を背負い、片手でマインズクラフターのレーダーを見ながら歩いていたのだ。

 もちろん、玲央も存の疲労は分かってはいたが、存自身がかたくなに「僕が背負う」と言い張ったので、無理に背負うのを変わろうとしなかった。


 ともかく、玲央は紗亜那を背負った存が入ったのを確認すると、入り口の壁を閉じた。

 内部に灯りは無いのか、暗闇が存たちを包む。


「な、何も見えないです。玲央さん」

「少し待て。動く物がいれば明かりが付くはずだ」


 その言葉の通りだった。

 壁や天井が薄っすらと光って、隣にいる玲央の輪郭を、ぼんやりと浮き上がらせ始めた。

 次第にその光は強くなって、ついには証明で照らされているかの如く明るくなっていく。


「すごい……! ここ、一体なんなんですか?」


 思わず質問してしまった存だった。

 考えてみればずっと不思議に思っていた。

 どう考えてもおかしい。

 空に星も無く、月も無い、壁に囲まれている道だけの場所。

 一瞬――これは思い出したくもなかったが、紗亜那を嬲っていた男の言葉を思い出した。


『あるって知ってなきゃ来れない上に、正確な曲がり角で進まないと大通りに戻されちまう変な場所だ。ここは地図にも載ってないし、誰の声も届かない』


 明らかに普通の場所ではない。


とは、この建物の事か? それとも、この区画の事か? ……いや、どちらの答えも一緒か」

「一緒?」


 玲央は「その質問の答えは一つの言葉で事足りると言う事だ」と続ける。


「こんな場所があると言う事の説明に、それ以上の言葉は無い。とりあえず話は歩きながらだ。私の後ろを付いて来い」


 頷き、歩き始めた存は思った。

 思えばそうだった。

 不思議としか言いようのない場所があるとしたら――造れるとしたら、それは――


「裁だ」


 背中越しに玲央は言い、やはりと思う。


「この場所は昔、裁で造られた。今いるこの建物も、この区画も。全て」

「裁って、こんなことも出来るんですか? こんな広い場所を作れる能力があるんですか? 一体誰が?」

「知らん。ただ、50年以上も前の人間らしいとは聞いている。想像出来るか? 我々が使っているような携帯端末も無い、この上星市が都市開発で賑わい始めた時代を。その頃の上星市に住んでいた人間の事を」


 2036年から50年以上前……西暦で言うと1980年代の事だろう。

 存はそう思ったが、もちろん、想像なんて出来なかった。


「わかりません。でも、そんな昔から裁があったんですか?」

「むしろ、その頃らしいぞ。裁を使う者が確認されたのは。私が知っているのは『魔法使い』と名乗ってた人間がこの上星市で暴れまわっていたとか言う話と、そいつを止めるために戦った連中がいたと言う話だ」

「魔法使い?」


 まるで冗談みたいな名前である。

 だが、玲央はまるっきり真面目な顔で言った。


「『何でも願いを叶えてくれる』と、そんなやり口で人の弱みにつけ込んで、素質のある者に裁を目覚めさせて手駒にしていた奴だ。存はシンデレラを知っているか?」

「ええと、はい。グリム童話ですよね」


 シンデレラ――童話である。

 継母と義理の姉に虐められて過ごしていた薄幸の少女の話だ。

 そこまで考えて存はすぐに理解した。

 彼女が憧れていたお城の舞踏会に行くために願いを叶えた存在が、その物語にはいる。


「そうか。だから、魔法使いって」

「ああ。しかし、素質があるからと言って、どうやって裁能力保持者にさせていたかまでは分からない。人間じゃなかったって言う与太話まであるが、ともかく昔の話だよ。その中に、こういった場所を作れる能力の奴がいた。魔法使い側の人間だったと聞いている」

「でも、50年も前じゃ、この能力を使える人は……」

「そうだな。戦いは魔法使い側が敗北したと聞いているし、とっくに死んでいるだろう。だが、裁は使い手が死んでも動く物がある。大きく分けて、二種類。一つは自動操縦タイプ――お前のマインズクラフターのような奴だ。命令さえ残っていれば、その命令を完遂させるまで動き続ける。もう一つは、死んでから能力が発動する者。私のデイライトがそれだ。私が死ぬと、デイライトは自動操縦タイプに変化して、私を生きている状態まで戻す。この能力の発動は私にコントロールすることは出来ない」


 紗亜那の体が背中からずり落ちそうになって、存は足を止めた。


 ……死ぬと発動する。


 死ぬ。


 死ぬとはどういう感覚なのだろうか。

 存は考えたが分からなかった。

 玲央は一度だけ振り返って、存が大丈夫そうなのを確認すると、話を続ける。


「……ともかく、そう言う理由でここは存在している。自動操縦なのか、死んでから発動している裁なのかは私にもわからないが。ただ、自動操縦タイプだったとしたら、造り続けろと命令されているのだろう。今もこの場所は、拡張を続けている」


 存は紗亜那を背負い直すと、言った。


「今も? ……寂しいですね。誰かに決められたことを、何の疑いも持たずに、ひたすら続けているだなんて」


 玲央はフンと鼻で笑った。


「存。私はお前の言うように、誰かに決められたことを、何の疑いも持たずに、ずっと受け入れていた人間を何人も知っているぞ」


 玲央はそう言うと、振り返った。

 数秒の沈黙の後、玲央は続ける。


「お前も知っている人間で一人、例を挙げるなら私だ。ずっと、何の疑問も持たずに、ずいぶん人を殺してきた。自分から殺したいと思って殺した人間は少ないが、命令されるままに、女も、子供も、老人も、誰でも殺してきた」


 存は、玲央の心の中を覗いてしまった時の事を思い出した。

 殺人の記憶そのものは観ていなかったが、それでも、彼女が人殺しであると言う事実は、存を戦慄させるのに十分な影を持っている。


「……昔の、孤児となる前の私は違っただろうな。だが、遠い外国で幼かった私だけがデイライトの能力で生きながらえた。飛行機の事故だったらしい。私を証明するものはすべて炎で焼かれてしまっていた。それで、捕まって変態どもの玩具にされたんだ。お前が『視た』通りだ」


 存は重々しくうなずいた。

 玲央は話を続ける。


「地獄だったよ。長い時間をかけて、子供だった私は人間ではない別物に変えられてしまった。自分の本当の名前も、家族の顔も、何もかも全て忘れてしまって、死ぬ事の出来ない人形になってしまったんだ。その地獄から私を連れ出した人間はいたが、そいつに私は恩を返せと言われて、従ってしまった。言われた私自身もそうするべきだと思っていた。だが、それはまた別の地獄だった。従うのは間違いだったんだよ。間違いだと思わせてくれた人間がいたんだ」

「……瑠香お姉さん?」

「その通りだよ、存。瑠香は、私を人間に戻してくれたんだ。もちろん、完全とは言わないが」


 存は玲央の目を見てしまったが、『人を見る眼』は発動しなかった。

 いや、玲央が存に対して、何か防御壁のような物を張っているような、拒絶の感覚はある。

 玲央はその顔のまま、言った。


「お前の能力はまだ安定しない。強くもなり、弱くもなる。意識して、誰かの心を覗かないように訓練しろ」

「どうやって?」


 存はたまらなくなった。


「全てを知りたいわけじゃないんです。ただ、目を見ればきっと感じてしまう。理解してしまう。こんな能力、僕は欲しくなかった。玲央さんのちゃんと目を見たい。僕に話をしてくれている、玲央さんの目を。どうすれば、僕はあなたと……」


 玲央はささやかに笑う。


「お前は優しい奴だ。瑠香によく似ているよ。心配するな。少しだが訓練には付き合ってやる。能力をコントロールするコツだけは教えてやるつもりだ」


 その玲央の笑顔は、存にとって初めて見る笑った顔だった。

 何人もの人を殺す殺し屋とはとても思えない穏やかな微笑みだった。


「この部屋だ」


 玲央がスッと前の壁に触れれば、再び扉の様に道は開く。

 存はようやく休めるのだと喜び、紗亜那を優しく地面に降ろして寝かせた。


「今のうちに休んでおけ。眠っても構わないぞ。追手が来ないとは限らないが、来るとしてもずっと先の事だとは思うからな」

「はい」


 存は素直に壁に背をつけた。

 そして、一息付けば襲ってくるのが不安である。

 思った。


(追手、か。……また、礼美さんみたいな裁を使う人間が来るかもしれないのか。僕は、これからどうなるんだろう)


 マインズクラフターの画面に敵の表示は無いが、いつ来るとも限らない。

 ふと、日常が遠くに感じられて、存は力なく笑った。


『ゴミが! クセーんだよ! 土下座して謝れ!』


 思い出すのはいつもの怒号だった。

 継母に殴られ、怒鳴られ、部屋の隅で震えながら過ごす日々。

 日常的に自分にだけ食事の用意をしてもらえず、まるっきり他人の義理の父も、半分だけしか血の繋がっていない妹も、怯える存を見て指をさしてニヤニヤと笑っていた。


 ある日、食事が用意されていたことはあった。

 継母が冷たく言い放つ声が脳裏に甦る。


『ほら、悦びなさい。今日はお前に相応しい餌を用意してやったんだ』


 床に置いてあるプラスチックの皿の上に、それは乗せられていた。


『……安物とか言うなよ? せっかく、金を払って買ったんだからな。残さず、全部食うんだ』


 ドックフードだった。

 だが、拒否する言葉も口から出ない。


『何見てんだ。さっさと食え! ……食えって言ってんだろ!』

『い、いただき、ます』

『手は使うな。作法だぞ。それを食う奴はみんなそうしてるんだからな』


 皿の隣にわざとらしく置いてあった容器のパッケージを見ても、それを食べるべきだと存は思った。

 これは、全て償いなのだと。

 罪深い存在である自分への罰なのだと。

 しかし、嬉しく思ったこともあった。

 それはある日の、深夜。


『ただの、気まぐれだからね』


 妹だ。

 妹が夜、小声で話しかけて来たのだ。


『バレたら私まで何されるか分からないし、隠れて食べなさいよ。別にあんたがかわいそうだとか思ったわけじゃないんだからね。ただ、ご飯が余ってたから、練習で作っただけだから』


 おにぎりだった。

 海苔も巻かれていない、具も入っていない、塩だけの、サランラップに巻かれただけの、米の塊だった。


『あ、ありがとうございます』

『……あのさ、私が同じ部屋にいる時に息しないでくんない? 気分悪くなるから』


 それでも嬉しかった。

 妹が気まぐれを起こしたのはただの一晩だけだったし、それ以後も優しいことなんてほとんどしてくれなかったが、それでも。


(苦しかったけど、辛かったけど、それでも、僕はそうされるべきだからそうされたんだ。……今の僕の事を知れば、また殴られるんだろうな。罰を受けるべきだって)


 一方で、玲央はこう思っていた。


(『誰かに決められたことを、何の疑いも持たずに、ずっと受け入れていた人間』。わざとらしく言ったつもりだが……反応は無かったか。瑠香から聞いていた通りだな。存、お前は自分もそうだと、いつ気づくのだ?)


 玲央は思い出していた。

 瑠香は、したと言っていたと。

 存の継母からの虐待が正当な物であると言う認識を否定したにも関わらず、存自身がそれを聞き入れなかったと。


 玲央は思う。瑠香が失敗したのならば、自分の口から言ってもとても理解は出来ないだろうと。


(お前を守ってやりたい。だが、どうする? ……いや、とりあえずはこの場をしのぐことだ。私のしていることに最後まで巻き込むわけにはいかない。あいつのために何かをするにしても、瑠香の仇を全員殺した後だ)


 そして、強く思った。


(とりあえずは、あいつを家に帰す。必ず)


 玲央が顔を上げると存と目が合った。

 不意だったが存の目は働かなかったようで、玲央はフンと笑った。


(やはり不安定、か。『人を見る眼』とは実に厄介だ。今のあいつに私のこの心を覗かせるわけにはいかない)


 この気持ちを見られたら、きっとダメになるだろうと言う感覚がある。

 もし見られて理解されたら、何の飾りも無くストレートに伝わる分、否定されればどうすれば良いのか本当にわからなくなってしまうだろう。


「あの、玲央さん。何かタオルケットみたいなものがあれば」

「寒いか? ちょっと待っていろ」


 玲央は部屋の隅にあった箱を開けると、中から薄手のブランケットを取り出した。


「投げるぞ。缶詰と水もあるが、いるか?」

「はい。でも、それは後で。とりあえず先にください」


 ブランケットを受け取った存は、それを隣で寝ていた紗亜那にかけた。

 玲央は、サッと顔色を変えて存の名を呼ぶ。


「存」

「はい?」

「路時とはどういう関係だ?」


 存は返答に困った。

 どう答えたら良いのだろうか。


 友達? 恋人?


 どれもそれだけの関係とは言い切れず、恋愛感情はあるけれど、恋人と言うのはまるっきり違う。


「大切な人です。僕にとっては」


 存はさんざん悩んだ挙句、それだけを言った。

 だが、玲央は静かに言った。


「あまり入れ込むな。お前とこいつは生きている世界が違う」

「……路時さんを知ってるんですね?」

「ああ。こいつが何を命令されているのかもな。どちらかと言うと、こいつはの人間だ。お前とは違う」


 玲央は冷徹な目でチラリと紗亜那を見た後、言った。


「お前はほとぼりが冷めたら自分の家に帰れ。私が必ず生きて帰してやる。だから、路時のことは忘れろ。こちら側には来るな」

「でも、僕は」

「ダメだ」


 存の言葉を玲央はさえぎった。


「そいつは自分の生き方を変えられない。お前の生きている世界に行くことが出来ない。不可能なんだ。関わり続ければ命を落とすぞ?」

「それでも良い。僕は自分の命なんて」

「そんな言い方は、やめろ……!」


 玲央は静かに、それでも強い口調で言った。


「存。私は、お前といつか会わなければと思っていた。復讐の全てが終わったらとは思っていたが、それでも、一目だけでも見ておきたいと、ずっと思っていた。瑠香が守りたいと願っていたお前を」


 存はその剣幕に押されて黙った。

 玲央は、喉を掠れさせながら続ける。


「お前が死ぬのは私が許さない。本当なら、お前を守るために生きたかった。瑠香が出来なかったことを、引き継いでやりたかった。だが、我々とお前では住んでいる世界が違う。お互いに交じり合ってはいけない存在なんだ。だから、せめてお前を元の世界へ送り返す。殺し合いなんて物と隣接していないで暮らせる、やり方次第でいくらでも幸せが見つけられる、瑠香が生きていた普通の社会へ」 

「幸せ? そんなもの、僕にとっては路地さんがそばにいなかったら、意味なんかない」


 存はジッと玲央の目を見た。

 玲央は咄嗟に目を逸らし、心を守る。

 僅かに、人を見る眼の能力が強まる兆候があったからだ。

 存は言葉を続けた。


「今まで生きて来て、幸せを感じた事なんて少ししかない。でも、僕は、路時さんと会えて、幸せが確かに僕の人生にもあるって理解できた。自分が独りじゃないって思えたんだ。手を繋げば、自分が生きているって思える。一緒にいれば、生きている意味が見つけられそうなんだ。だから、路時さんを守るためだったら、僕は何だってやる」

「……礼美とか言う女とやり合って生きていられたのは、運が良かったからだぞ?」


 玲央は事も無げに言い放った。


「先ほども言ったが、お前は瑠香と似ている。危険な道でも、自分が助けたいと思った人間のためならばと、必死に進もうとするだろうし、無謀なことだってするだろう。だが、優しすぎるお前は目にしたものを見捨てられない。我々の側に来れば、多くの物を守れずに、最後には全てを失うぞ」


 存は、何かを言い返そうとして、止めた。

 確かに玲央の言う通りだった。

 自分は、紗亜奈よりも敵であるはずの礼美の事を優先してしまったのだ。


「まぁ、良い。お前の人生だ。何を選ぼうが、私の気持ちは伝えたぞ。とりあえず今は休め。お前は疲れているんだ」


 それが会話の終わりだった。

 お互いに決意めいたものを感じて、何も言えない。


「ああ、忘れていたが」


 玲央は言った。


「トイレは別の部屋に用意してある。したかったら、いつでも言え。場所と使い方を教えてやる」


 ――――――――――


 ゆるやかに時間は過ぎていく。

 時間はすでに深夜を回り、夜明けも遠い午前。


 路時 紗亜那が目を覚ました。

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