第17話 Daylight【デイライト】 その5

 ぐちゃり、と重々しい音がまた響いた。


 血だまりの中で玲央の死体が歩く音――足音だ。

 その時に至っては、この場にいた人間の誰もがに気づいていた。


「何だ、こいつは! どうして動いている!」


 礼美は口を押えた。

 砕けた顔面からその中身をこぼしながら歩く死体は、今まで何人もの人間を殺してきた礼美でさえ、ゾッとしてしまうような光景だったのだ。


「……まさか!」


 礼美は、ハッと紗亜那を見た。


「お前の裁か? これは」


 それ以外は考えつかなかった。

 存の裁は今も自分が捕らえているし、能力もすでに知っている。

 デバイスでの情報収集と、自動操縦で動く怪物を呼び出す能力だ。

 まだ見ていない能力は、この紗亜那の裁のものだけなのである。


「ロリガキが!」


 存を殺害する寸前だったブレイキングハイドの剣先が、紗亜那へ向いた。


「能力を解除しろ。驚きはしたが、死体を動かしたくらいで私は倒せない。それとも、お前を殺すと言う形で終わらせてやろうか?」


 答えは無い。

 礼美は未だ倒れている紗亜那の髪を掴み、無理やりに引き立たせた。

 痛みに喘ぐ紗亜那だったが、やはり答えは無い。


「聞こえないのか! 能力を解除しろと言っている!」


 礼美は紗亜那の腹を蹴り上げた。

 紗亜那は、憔悴しきった表情でようやく口を開く。


「し、知らない。私じゃ、ない」

「何?」


 表情に嘘はない。

 いや、確かにこれに嘘などないと礼美は思った。

 紗亜那の裁は、どこにも実体化していないのだ。

 像の無い裁もあるらしいが、紗亜那の裁はそれとは違う。

 事実、礼美は紗亜那の裁を二度も破壊したではないか。


 それに紗亜那からは、何か行動を起こせると言った余裕も感じられない。

 この消耗具合では、もう少し休まなければ再び裁を使うことは出来ないだろう。

 余計な時間を使ってしまったと礼美は思う。

 だが、こうしている間にも、玲央の死体はまた一歩、礼美に向けて歩いている。


 礼美は焦った。

 しかし、この現象が何なのかはすぐに知る事となった。

 もう二度と聞く事のない、もしくは出来ないと思っていた声を、その場にいた全員が聞いたのだ。


「……死は、救済、と、言った、な?」


 掠れて、途切れ途切れではあったが、それは確かに玲央の声だった。


「何だと?」


 礼美の視線は、歩く玲央の死体に釘付けとなった。

 見れば、千切れていた左手の指がいつのまにか玲央の手にあり、ツツ―ッと癒着を始めている。

 右手に開いていた穴も塞がり始めた。

 脚にあった酷い傷も治り始めたのか、その足取りが確かなものになり、また一歩、死体は前に歩き出す。


「私にとって、死は、救済では、無い」


 死体が言うと、こぼれていた血がグズグズと黒ずみ始め、空気に溶けるようにして消えていく。

 弾丸が通った穴を中心に炸裂した頭も、全てが元の形へと戻りつつあるようだった。


「玲央、さん?」


 存が、歩いている死体が再び命ある人間の姿に戻るのを見て呟いた。

 礼美に髪を掴まれている紗亜那も息を飲み、玲央を見つめた。

 そして礼美は、何が起きたかを示唆する、決定的な物を見ていた。

 あの甲冑を着こんだ騎士のような怪物が、玲央の姿に戻りつつある死体のすぐそばに出現していたのだ。


「あの裁は、あの女の! あの状態で生きていたというのか? いや、これは……!」


 礼美は確信した。

 裁は、基本的に使い手が死ねば消滅するが、例外的に使い手が死んでも動くタイプがいる。

 頭を撃ち抜いたと言うのに殺せていなかった――密かに生きていて裁を発動させたと言うのはあり得ない。

 ならば、その例外。

 玲央の裁が、使い手が死んでも動くタイプだったと言う事だ。

 そして、その能力は――


「そうだ。これが、私の裁、【デイライト】の能力、だ」


 玲央は、かすれた声でそう言うと、甲冑の怪物に剣を掲げさせた。

 剣は炎をまとい、反時計回りに回転を始め、残像が円を描き始める。


 炎。

 光。

 円が新しい軌跡の残像を残すたびに、玲央の肉体に残っていた損傷が消えていく。


「……自動的なのだ。私が死ぬと、私の裁は自動操縦タイプに変わる。そして、私の損傷を回復するのだ。致命傷から再生するのには時間がかかるが、どのような破壊であろうと、私は甦る。私の裁、【デイライト】が、私が死んだままでいることを赦さないからだ」


 玲央はハッキリとした声で喋っていた。

 傷などもう、どこにも無い。

 血の汚れさえも無かった。

 ただ、かつてブレイキングハイドの攻撃を受けたことを、ジーンズに開いた穴や、切り裂かれたシャツの袖が証明していた。


「そして言ったはずだ。私のを知らないお前は敗北すると」


 礼美はもう、笑うしかなかった。


「そんな、反則的なことがあるかよ」


 礼美は、掴んでいた紗亜那の髪の毛を離し、続けてブレイキングハイドの触手が存の拘束を解いた。

 二人の体が地面にぶつかり、礼美は吠える様に叫ぶ。


「私は勝っていたんだぞ! 死んでいたなら、死んだままでなきゃダメだろうが! 卑怯だろ、それは!」


 臨戦態勢。ブレイキングハイドが礼美の近くに、その触手の全てを集結させて剣を構えた。

 玲央は、フンと鼻で笑う。


「卑怯だと? 貴様のブレイキングハイドのチンケな能力では私に勝つことは出来ない。それだけのことだ。ハッキリ言ってやれば、私と対峙した時点で貴様の敗北は決定していたのだよ。私は何度死のうと、甦って必ず殺す。貴様など、最初から私の敵では無かったのだ。……しかし、一度でも私を殺せたのは褒めてやる」


 玲央はそう言い切ると、自身の裁、デイライトの剣を礼美に向けて、その背後にいた存と紗亜那に言った。


「存。路時。良く生きていてくれた。今、こいつを片付ける」


 対する礼美は、もう、ヤケクソだった。


「片づける? 簡単に言いやがって! 死んでも生き返るなら、何度だって私が殺してやる! 私は勝利者なんだ! 私のブレイキングハイドは、最強なんだ! 誰だって、何度だって殺せるんだ!」


 頭に血も昇っていた。

 殺しても死なない相手とどう戦えば良いのかの答えは出ない。

 しかし、それでも礼美は殺意を叫んていた。


「今度は、ひき肉にしてやる! 二度と蘇らない様に!」

「やってみろ!」


 礼美はブレイキングハイドの口に入った。

 透明化の能力で姿を隠そうとしたのだ。

 だが、ブレイキングハイドが完全に姿を消すより早く、玲央のデイライトが肉薄し、剣を振り上げていた。


「させると思うか!」

『くっ……!』


 触手の発声器官から礼美の声が漏れ、ギンと言う金属の衝突音が響く。

 細剣がデイライトの鋭い剣を受け止めた音だ。

 ブレイキングハイドは逃げられない。


『クソッたれが! 隠れられないなら、隠れられないなりの戦い方を見せてやる!』


 礼美が殺意を露わにし、ブレイキングハイドが玲央のデイライトと剣を交え始めた。

 金属の音、殺意の衝突が起こるたびに火花が散る。


 瞬間。


 玲央がグッと歯を食いしばり、礼美が笑った。

 部分的に透明化した触手がいつのまにか忍び寄り、デイライトの脚に巻き付いていたのだ。

 バランスを崩したデイライトの肩を、細剣の一撃がかすめた。


『ハッ! どうした! 剣に気を取られすぎると、見えない触手がお前を襲うぞ!  雁字搦がんじがらめにして、串刺しにしてやるぜ! これをかわせるか!』


 ためを作った触手が透明化を始めながら、玲央のデイライトへ向けて、一斉攻撃を始めた。

 しかし――


「……なめるな!」


 玲央が叫び、デイライトが足に巻き付いている触手に剣を突き立てて切断した。


「触れているならば斬るのは容易い。そして、やはりお前は三流だ。見えないだけの攻撃を見切れないと思ったか?」


 デイライトが舞うようにして動き、剣を払い、斬り上げ、振り下ろす。

 その度に液体が地面を叩く音が聞こえた。

 ブレイキングハイドの体液である。

 玲央のデイライトが剣を振り回し、伸びて来た触手を次々と切り落としているのだ。


「お、おのれ!」

「フッ、焦っているな? 攻撃に冷静さが足りないぞ。透明化が完了してから攻撃するべきだったのだよ。どの方向からどれだけの触手が来ると分かっていれば、見えなくても軌道を読むのも容易い」


 もちろん。これは並大抵の者には出来ない芸当だ。

 目に見える細剣と、見えない触手の連続攻撃なのだ。

 ただ、礼美はブレイキングハイドの性質上、奇襲専門であり、玲央は常に白兵戦で戦ってきた。

 戦い方の差、近接戦闘の経験の差だ。

 その差が大きく出てしまったのだ。


『い、いい気になるな!』 


 礼美の叫びと共に、ブレイキングハイドの細剣がデイライトを襲う。

 上下左右、残った全ての触手と共に、全力での同時攻撃である。


『お前の負けだ! 来るのが分かったとして、数に対応できなければ!』


 しかし、もし、ここで姿を消す事の出来るブレイキングハイドを持つ礼美が逃げの一手、例えば反撃せずにひたすら上空に逃亡を図るなどをしていれば、玲央追い込まれていた。

 姿を消して撤退すれば、礼美は自分の上司に報告も出来たし、組織として玲央を追跡することが出来たのだ。

 そうなれば、この『死なない』と言う能力に対抗できる能力を探して、ぶつけることも出来た。

 これは今の礼美が行える戦術の中での最善だっただろう。


 なのに、礼美は自分一人で戦ってしまった。

 礼美の頭には、自分の手で相手を殺す事だけしかなかったのだ。


 すなわち、相手の否定による自分の肯定。

 勝利者である玲央を否定しなければ自分を肯定できない。

 それが礼美を動かしている殺意の正体である。


 そして、それが礼美の敗因となった。


『なッ!』


 礼美がたじろぎ、叫ぶ。

 一瞬だった。

 金属音と共に、デイライトの一撃がブレイキングハイドの剣を弾き飛ばしていた。

 バランスを崩し、触手もそれにつられて怯んで止まる。

 気がついたときには、デイライトがブレイキングハイドの懐に潜り込んでいた。


 慌てて触手を操作した礼美だったが、全ては無駄だった。

 鞭のようにしなり、迫った触手は角度的に力を失っていたばかりか、デイライトの剣で払われると簡単に切断されてしまった。


『っ! う、ぐっ……!』


 続けて礼美が呻いた。

 デイライトの鋭い剣が、ブレイキングハイドの胴体を斬りつけたのだ。

 その傷口から、ブレイキングハイドの体液が噴出し、トドメと言わんばかりの一撃が胴に突き立てられると、異形の怪物はホロホロと朽ち始める。


 たまらず、礼美は口から吐き出されるようにしてブレイキングハイドから脱出していた。

 地面に受け身を取って、転がり、立ち上がる。


「く、そ、がぁぁ!」


 破壊のフィードバックを精神に受けている礼美は胸を手で押さえ、顔を青くしながらも距離を取ろうと走った。

 当然、玲央はその機を逃さずに礼美を追う。

 しかし礼美もただではやられない。

 手に持ったままだった存のデバイス型の裁を放り投げると、懐から銃を取り出し、振り向きざまに引き金を引いた。


「死ね! 死ねぇ! 死ねぇぇぇぇ!」


 二度、三度。

 だが、炎と共に吐き出された弾丸を、玲央は身をひるがえして回避した。

 もちろん、撃たれてから避けたのではなく、銃口が出現した瞬間に射線を避ける形で。


「グッ!」


 礼美が再び苦痛の声を漏らした。

 今度は本体である礼美の肉体に、銃撃の間隙かんげきを縫って接近したデイライトの剣が入ったのだ。

 右脇腹を斬りつけられたらしい。

 服が裂け、血がダラリと滲んでいる。

 礼美は銃を構えたまま傷を押さえて、後ろに下がった。


「……浅いか」


 玲央が言い、再び駆けた。

 見立て通り、礼美の傷は浅い。

 今の反撃は射線を回避しながらのとっさの行動であり、また、それ以上の要因でパワーと正確性が失われていた。

 回避による移動で、デイライトの有効射程距離外に玲央が移動してしまっていたのだ。


「次は仕留める!」

「……ッ!」


 礼美の動きはとっくに鈍っていた。

 裁を破壊され、自身も手傷を負ったのだから当然だ。

 このまま接近されては礼美に勝ち目はなく、攻撃も有効な手段が思い当たらない。

 礼美は逃げるしかなかった。


(あ、あいつから、距離を取らなくては! 射程距離の外へ!)


 礼美は後ろ向きに跳んだが、玲央は、全力の脚力で迫っている。


「う、うおぉぉぉぉ!」


 跳びながら礼美は、再び引き金を引いた。

 四発目。

 玲央は、今度は避けなかった。

 余裕のない礼美の照準による弾丸はあっさりと外れ、玲央の後方の闇へと消えていく。

 五度目の引き金は、弾丸を撃ち出さなかった。


「弾切れか? 撃てたところで無駄だがな。例え弾丸が私に当ったとしても、傷は時間が経てば修復される。私がお前の攻撃で死ぬことは、決して無い」

「ブ、ブレイキング、ハイド!」


 礼美の体の輪郭線が鈍く光り、ブレイキングハイドが実体化を開始する。

 しかし――


「遅い!」


 礼美は、すでに玲央の裁の射程距離、デイライトが全力を出せる距離にいた。

 無防備である。

 ブレイキングハイドの実体化は間に合わず、礼美の一呼吸より早く、デイライトの剣が礼美の胸めがけて伸びていた。


「ッ!」


 瞬間、礼美の心は、まるで回るフィルムのように過去の出来事を駆け巡っていた。

 走馬灯である。


 両親と、弟と妹と暮らしていた時。

 親友との平凡な、学校生活。

 すぐそばに家族がいて、心を許せる人がいて……


 しかし、幸せだった日々は一気に血と炎に押し流され、地獄はすぐにやって来た。

 虚無と暗闇が礼美の頭の中に差し込み、光は一切消え去った。


(い、嫌だ。もう、誰も私に触らないで! 傷つけないで!)


 敗北者を嬲る人間たちの幻影が、礼美を襲っている。


 泣いても、叫んでも、誰も助けようとしない。

 礼美を大切にしてくれる人は、みんな殺されてしまったのだ。

 懇願に意味は無く、かえって周囲の人々を悦ばせていただけだった。

 誰もが笑いながら、憎みながら、悦びながら礼美の体を痛めつけていた。


(こいつら、なんで私にこんなことを?)


 自問した礼美だったが、彼女には、自分の身体を好き勝手にする人間たちの感情が理解できていた。


『好奇心』である。

 組織のしがらみもあるにはあったが、その本質はそれだった。

 あいつらにとっての自分は、何をしても良い、壊れても良い玩具なのだったのだ。


 相手は知りたがっていた。

 何をどうすれば、どう言う声を自分が出すのか。

 何をすれば、どれだけの傷がつくのか。

 死なせないように、どれだけ苦しめられるのか。


 薄暗い部屋、腐って淀んだ空気の中、誰もが好奇心を満たそうと、礼美に手を伸ばしていた。

 その手から逃げるようにして駆けて、ついには自分が誰だったのかもわからない。


(ここは、どこなんだ。私は……!)


 気がつくと、暗い場所にいた。

 そして、怖かった。

 どんなに強がっても、やはり自分が死ぬのは嫌だった。

 生きたくて、だから殺し続けた。

 殺して、怪我をして、犯して、犯されて、また殺した。


 そうして最後に、死は自分の元へ迫っている。

 回避することはもはや出来ない。

 腐った血が、自分の手にも、足にもベットリとこびりついて、地面はドロリとぬかるんでいる。


(何で、こうなったんだ。どうして。私、いつの間にこんなところに。ここは、どこなんだ?)


 一寸先も見えない。全てが闇だった。

 自分がどこにいるのかも、ついには分からない。

 親友を救うために戦うはずだった。

 家族の仇を討つつもりだった。

 でも、自分は大切な物も、何もかもを見失ってしまった。


 もう決して、光を見ることは出来ない。

 精神的にも、そして、物理的にも。

 自分に光はもう、差し込まない。


(誰か! 誰か、助けて! 誰か!)


 残酷な現実に意識が追い付き、礼美は目を見開いた。

 まるで、スローモーションのように景色は動く。

 淡く光る自分の輪郭線。

 実体化が間に合わないブレイキングハイド。

 迫るデイライトの、殺意の剣。

 ゆっくり、確実に、剣の先が自分の胸。確実なる急所へと伸びて、そして――


「……っ!」


 数秒。

 呼吸を止めた礼美だったが、まだ、生きていた。

 固い、金属同士が衝突するような音が響いた気もしたが、自分がなぜ生きているのかは分からない。


 気がつくと後方へ倒れていた礼美は、自分が生きていることが信じられずに呆然としたものの、何者かが唸り、獣の様に叫ぶ声を聞く。


「GRUAAAAAAAAA!」


 その声には聞き覚えがあった。

 マインズクラフター。バーサーカー。


 見れば、まさしくデイライトの剣を防いでいる怪物がいた。

 そしてその怪物と倒れている礼美の間に、手を広げて攻撃から守るように立っている者がいる。


「お、お前、どうして」


 礼美は、信じられずに、その小さな背中を見た。


 間違いなく、存少年だった。

 存は手に自らの裁、携帯端末型のそれを持ちながら、礼美を守ろうと手を広げていた。

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