2036年 7月19日 空志渡 礼美、茂田奈 玲央、堀井 存、路時 紗亜那

第13話 Daylight【デイライト】 その1

 キンッと言う、金属的な音が二つ響いた。


 それは玲央の肉体を貫いた弾丸を包んでいた金属の筒――薬莢が地面に落ちた音である。

 銃から排出されたばかりのそれは、薄暗い硝煙を僅かにまといながら転がると、壁にぶつかって止まった。

 静寂が訪れ、数秒。

 銃を手に持っている女が笑った。


「は、はは。ざまぁ見ろ……! 私の勝ちだ!」


 女は、倒れている玲央の元まで歩くと銃を構えなおす。

 対して玲央は、銃口を再び向けられたにもかかわらず、それに対しての反応らしいことを何一つとして出来ない。


 それも当然だった。

 先ほど発射された銃弾は、二発とも玲央の胸を直撃していたのだ。

 心臓か、肺か、そうでなくとも重要な血管を傷つけたのだろう。

 玲央は、ガフッと血の混じった咳を一度だけしたが、ヒューヒューと呼吸をしながら女を睨むことしか出来なかった。


「まだ生きてるようだが、致命傷だ。私の勝ちは決定したぞ。裁の形も保てないようだからな」


 もう、戦うことなど出来ない。

 精神力の発露である玲央の裁も姿を消していて、もはや、いつ死んでもおかしくないだろう。


 しかし、玲央は……最後の力を振り絞る様にして立ち上ろうとしていた。

 体をひじで支え、腰をよじって起き上がろうとしたのだ。

 震えながら体の向きを変えて、膝に力を入れて体を持ち上げる。


 だが、ダメだった。


「……が、ぐ」


 玲央は力尽き、崩れ落ちて地面に突っ伏すと、その体がガクガクと痙攣し始める。

 その様子が滑稽なのか、女はなおも笑った。


「何だ、その動きは! 楽しそうだなぁ、おい! それにしても、さっきは随分と言いたい放題に言ってくれたよなぁ? 誰が素人だって? もう一度同じことを言ってみろよ。自分を過信した奴がどうなったって? 答えろよ、オラッ!」


 言いながら女は、玲央の体を蹴った。

 玲央の血は流れ続け、もはや、死ぬまでに抵抗らしいことは何一つ出来そうもない。


 ……いや、それでも玲央は、何か意味のある行動をしようとしていた。


 ズタズタに切り裂かれた右腕で体を僅かに持ち上げると、指が千切れた左手を前に伸ばす。

 そして匍匐前進とも呼べない弱々しい前進の後、口から血が垂れるのも構わずに顔を上げた。

 その視線の先は、すぐそばにいながらも戦いを見ていることしか出来なかった少年に向けられている。


 存だった。

 今まで戦慄して動けずにいたその少年は、ほとんど死にかけている玲央と視線を交わしたその瞬間、ついに勇気を振り絞って叫んだ。


「玲央さん!」


 今にも飛び出しそうな存だったが、その腕を掴んでいた紗亜那がそれを止める。

 紗亜那は、存が玲央と女の戦いに割り込めば確実に死ぬと分かって、必死に存の腕にしがみついていた。


「……たも、つ……る、か」


 玲央は、存と紗亜那の二人を見て、それだけ言った。

 それが最後だった。

 言葉には続きがあったのかもしれないが、声は、何かが炸裂するようなバンッという爆発音にかき消されていた。


 女の持っていた銃が、再び火を噴いたのだ。

 発射された弾丸は玲央の後頭部を貫通し、彼女の美しい顔――鼻の少し上を炸裂させて、地面に穴を空けた。

 頭蓋が割れて、亀裂から灰色とピンクの混ざった柔らかな中身が弾け飛ぶ。


 ――まるで、旧時代に作られたスプラッタームービーのようだった。

 これが作り物ならば、どれだけ良かっただろう。

 しかし、酷く錆び付いた生臭い臭気が周囲に立ち込めては、存も現実であると認めざるを得なかった。

 夏の夜にも関わらず流れた赤い液体は湯気を立てていて、その場にいた人間達の鼻先に触れて、おぞましい冷えをもたらしていく。


 玲央は死んだ。

 間違いなく、誰が、どう見ても。


「……つい、撃っちまった。でもまぁ、良いだろう。お前が誰かは、後でゆっくり調べてやる」


 女が玲央の死体に言い捨てて数秒。

 女はハッと顔を上げて叫んだ。


「ッ! ブレイキングハイド!」


 直後、紗亜那がグッと息を漏らす。

 突如として動き出した黒い球体上の怪物、ブレイキングハイドが、紗亜那の近くに実体化しつつあった紗亜那の裁を斬りつけたのだ。


「うっ……ぁ……」


 存は、自分の腕を掴んでいた紗亜那の筋肉が一瞬の強張こわばりを見せた後、その指から力が失われていくのを感じた。

 見れば、紗亜那は顔を真っ青にしながらその場に座り込んでしまっている。


「なめるなよロリガキ! ビビッて動けなかったくせに、今さら抵抗する気だったのか? お前の裁じゃ無理だって言われてたろ?」


 何故、紗亜那が無力化されたのか。

 その理由こそ、この時の存にはわからなかったが、紗亜那と言う少女が傷つけられれば問答無用で頭に血が上ってしまうのがこの少年である。

 気がつくと存は、握ったこぶしを振り上げて紗亜那の前に飛び出していた。

 だが――


「慌てるな。まだお前の番ではない」


 フンと鼻で笑った女は、存を無力化する。

 四方から伸ばしたブレイキングハイドの触手を胴に巻き付かせ、持ち上げたのだ。

 地に足が付いてないとなっては少しも前に進めない。

 無我夢中で足をばたつかせていた存だったが、もはやどうしようもなかった。

 女はククと笑いながら存に近づき、言う。


「殺すのはお前よりこのロリガキの方が先だ。放っておけばまた抵抗しようとするだろうからな。安心しろ。痛めつけるところはお前にも見せてやる。死んだ時の顔も、なぁ!」

「……っ! あああ!」


 紗亜那の悲鳴が声が響き渡る。

 見れば、女が紗亜那の右手を靴で踏みつけていた。


「やめろっ!」


 存は自分の胴に巻きついている触手を掴むと、グッと握り締める。


「これ以上、その人に何かしてみろ……! 僕は……!」


 ――だが、今の存に何が出来るのだろうか。

 いや、出来ない。

 出来るはずがない。

 いつかの小屋でのように、立ち向かっても一方的に蹂躙され、大切な人も救えない。

 きっと今度は殺されてしまうだろう。

 圧倒的な暴力には、存と言うちっぽけな少年の抵抗など何の力にもならないのだ。

 まして、相手は超常現象的な力を持つ人間相手だ。

 戦うことなど出来るはずが無い。


 だが、女はギョッとした顔で存を見ていた。

 気づいたのだ。

 この少年は、ブレイキングハイドの――常人には見えないはずの裁の形をし、生身でしている。


「……何だ、お前。見えているのか? さわれるのか?」


 言うなり女は存の首を掴んで、目の中を覗き込んだ。


「驚いたぞ。見えていた様子は一切なかったのに……いつからだ? いつから見えている? お前も裁を使えるのか?」


 女が感じていたのは、脅威の可能性だった。

 意識して裁が見える、しかも触れられると言う事は、裁を扱える者である可能性が高いと言う事なのだ。


(いや、使えるならばとっくに使っていたはずだ。裁能力保持者だったとしたら、なぜ使わなかった? こいつ、今、見えるようになったばかりとでも言うのか?)


 正解だった。

 存にとって裁がハッキリ見えるようになったのは、つい先ほど。玲央とこの女の戦いの最中である。

 もちろん、この女には知り様がない。

 女はブレイキングハイドの剣を存の眼前につきつけた。


「さっさと答えろ。お前も裁を使えるのか聞いているんだぞ?」


 存は答えなかった。

 正直に答えてやるつもりなど無い。

 キッと睨みつけると、言った。


「使えるとしたら、どうする」


 ハッタリである。

 この時点で、存には『裁』と言う言葉が怪物を出現させて自由自在に動かすことだと言う事は分かっていた。

 だから、これ以上の乱暴には、自分も裁を使って反抗すると脅しをかけたのである。


 しかし……このハッタリはまるっきり無意味だった。


「使えるとしたらどうするかだと? もちろん、お前が裁を使えるのなら殺すさ。すぐにでもな」


 もし、存が裁を使えたとしても、現状として圧倒的優位な立ち位置にいるこの女には、選択肢が無数にある。

 一番簡単なのは、今言った『殺す』と言う選択肢だ。

 妙なそぶりでも見せようものならブレイキングハイドの剣を突き立てればそれで済む。

 第一、と女は思った。


(反抗するでもなくこう言うハッタリをすると言う事は、戦う力の無い人間だと自ら白状しているようなものだ。こいつが裁能力保持者である可能性は大分下がったな。しかし、この少年は……)


 女は、存の強がりが急に可愛く思えて笑った。

 どうにも愉快だった。


「どうしたよ少年。使える物なら使ってみろよ。なるべく早く頼むぞ? 何もしないなら、容赦なく撃つからな?」


 言いながら、女は銃口を存に向ける。

 とは言え、銃では死体に物的証拠も残るし、弾も有限だ。

 滅多に使わない最終手段でもあるので女も撃つつもりは無く、からかい半分の脅しであった。


 そしてもちろん、そんな明確な殺害方法を向けられても、存には何も出来ない。

 そのまま十数秒。

 じっとりとした沈黙の後で女は笑う。


「これだけ挑発しても何もしてこないってことは……そう言う事だよなぁ? ずいぶん、度胸があるじゃないか」


 女の笑いは止まらない。


「少年。お前、可愛いなぁ。少しばかり……好きになれそうだよ。こんな出会いじゃなければね」


 事実、存の顔も、態度も、頭に血が上って勝てるはずのない自分に挑んで来たその性格も、女の性的趣向にグッと来るものがあった。

 優しく臆病に見えても、いざという時は勇気を出して突撃して来る。しかも、追い詰められても簡単に屈しない。


(全く、もったいないことだ。殺すのは惜しいが……どうするかねぇ)


 正直なところを言うと、存を殺す気はもう失せていた。

 連れて帰って、飼ってやりたかった。

 精神的に屈服するまで徹底的に虐めてやりたくもあるし、恐怖と快楽を交互に与えて少年の心を手に入れるのも楽しそうだ。

 どちらにせよ、思うがままに可愛がってやりたいと女は思う。


 だが、女は心を切り替えた。


「まぁ、それはそれとしてだ。私にはお前に聞きたいことがある」


 楽しむのは後だ。

 組織の一員として、やるべきことをしなければならない。

 女はぺちぺちと存の頬を叩きながら、スッと冷静な目をして存を見た。

 聞きたいこと――先ほど始末した玲央の言動を思い出したのである。


「お前、守られていたよなぁ? あのクソ女に。そこのロリガキにも。私にはお前が重要人物に思えて来たよ」


 女は思う。


(あの女は自分の手が犠牲になるのも構わずに、この少年を庇った。庇うだけの価値があると言う事だ)


 きっとこの少年には何かある。

 やはり殺さなくて正解だったのだと、女は思った。


 ……とは言え、もちろん不安要素はある。

 少年がブレイキングハイドを認識しているのはの前兆ではないかと言う危惧だ。

 しかし、そう都合よく目覚める物かとも思い、無視することにした。

 確率から言っても数字は相当低いはずなのだ。


「答えろよ。お前は一体どこの誰だ?」


 質問したが、存は黙ったままだった。

 女は、フンっと鼻で笑うと、存を縛っている触手の拘束を強める。

 ギリギリと締めてくる触手に存は呻いたが、もちろん、女は容赦しない。

 存の耳にブレイキングハイドの触手――それに付いている発声管を接近させると、言うのだ。


「ほら、言えよ。言わなきゃ、もっと痛い目にあわせるぞ? 質問が拷問に変わる前に答えろ。拷問となれば私は優しくない」


 それは囁くように、しかし凄みのある音声だった。

 殺意を込めた、決定的な脅し。

 いくら存に好印象を抱こうが、組織の一員としてのやるべきことは、きちんと分別をつけてやり遂げる。

 だが、存が何か言うより先に言葉を発したのは、何とか力を取り戻したらしい、紗亜那だった。


「ダメ。何も、話さないで。言えば、きっと殺されてしまう。話さないで」


 女は途端に不機嫌になった。


「邪魔するなロリガキ! まだ痛めつけられ足りないのか? それとも、お前は痛めつけられるのが好きなのか? だったら、徹底的にやってやるぞ?」

「痛いのは、嫌い。だけど、その人を傷つけられるのは、もっと嫌。だから、私は……!」

「虫唾が走るようなことをベラベラと。全く、このロリガキは。……裁を発動するのを止めろと言っている!」


 女の恫喝と同時に、閃光が走った。

 ブレイキングハイドの剣だ。

 腕は太く、その体も巨体だったが、攻撃は素早い。

 攻撃は、出現しかけていた紗亜那の裁を細切れにして、消し飛ばした。


「……っ……か、は」


 紗亜那は呼吸を止めた。――いや、出来なかった。

 再び全身から力を失わせて、今度は地面に倒れ込んだ。


 顔を地面にぶつけた紗亜那が呼吸を再開させるのに、数秒。

 カヒュっと吸い込んだ空気と共に、酷い倦怠感と意識の混濁が紗亜那を襲った。

 全身から噴き出た汗が酷く冷たくて、紗亜那は気を失ってしまうかとも思った。

 だが、それでも。紗亜那は顔を上げて、再び輪郭線をブレさせながら、戦おうとしていた。

 ……必死だった。

 ここで戦わなければ、大切な人が殺されてしまう。


 しかし……何度、紗亜那が試しても、紗亜那の近くには何も出現しない。


「出、ない。私の裁が。何で……!」

「何だ? おい、ロリガキ。お前、自分がそんなに消耗している理由が、まだわからないのか?」


 女は呆れたように紗亜那を見下して、言った。


「裁は精神力を使う。発現させるのにも、動かすのもな。だから、破壊されると精神にダメージのフィードバックがあるんだ。その様子じゃ、しばらく休まなきゃ裁は使えないぜ? 最初から全部、無駄だったんだよ。お前ごときの抵抗なんてものはなぁ!」


 女は紗亜那の髪を掴み、勢いをつけて持ち上げる。


「……っ!」


 紗亜那の、声にならない悲鳴が空気を振るわせた。


「教えてやる。今のお前じゃ、私に勝てる可能性はゼロだ。お前の裁は、発現までに時間がかかり過ぎるんだよ。使い慣れてないのが丸わかりだ」


 紗亜那の目から涙が流れた。

 痛みで流れたものでは無く、存を助けられないと言う事がわかったからだった。

 そして女は、その無力感が正しいものであると言う根拠を、さらに話した。


「お前の裁からは威圧感も感じ無い。能力は戦闘向きでないと見ている。そうだろ? 当たってるよな? そうでなくても私にはお前なんて、いつでも殺せるんだ。今すぐにでもな」


 ブレイキングハイドが、剣をスッと上げた。

 攻撃のための構えであった。


「……だがな。私は優しいから殺すのは少しだけ待ってやるよ。質問に答えてくれれば、しばらくは生かしておいてやっても良い。なぁ、ロリガキ。この少年は、お前の何なんだ? 答えろよ。答えなきゃ、殺すぜ?」


 だが、紗亜那は黙ったままだった。

 グッと固く結んだ唇は、決して何も話さないと言う意思を表明している。

 女は舌打ちすると、言った。


「色恋だとかそう言うちんけな理由以上のものを感じるな。こいつにはまともな話を聞けなさそうだ。なら、さ。仕方ないよなぁ。ほんとに少しだが、待ってやったし。もう、良いよな?」


 女はそう吐き捨てると、ニヤリと笑った。


「この短時間に裁を二度も破壊されて気を失わなかったのは偉いぞ。気絶してたら、死ぬ時の表情が良く見えないからな。してやるよ、お前も」


 殺意。

 ブレイキングハイドが剣を持つ腕に力を込めて、振り上げた。


「言っておくが、悪いのはお前だぞ。殺す気はまだ無かったのに、私の邪魔をすると言うを犯したんだからな。罪には罰を与えなければならない。そして強者であり、被害を受けた私にはお前を罰する権利がある。クク、少年も良く見ててやれよ? このロリガキの、最後の顔をな」


 攻撃はもはや、止めようがない。

 紗亜那は覚悟して、目を閉じた。

 ここで自分は死ぬのだと、あきらめた。

 しかし、存は……それを認めるわけにはいかなかった。


「やめろ!」


 叫んだ瞬間。存は、自分の身体の中から何かが出て来るのが分かった。

 胸の奥、心の底から何かがせりあがって来る。

 形を持った何か。

 力を持った、新しい何かが。


 ――かつて、この町にいた邪悪と戦った少年と少女たちが使っていた力があった。

 法で罰する事の出来ない邪悪に大切な物を奪われてもなお、立ち向かい、目覚めた若者たち。


 存は今、かつての彼ら、彼女たちと同じ心を持っていた。

 罪と罰。

 悪と正義。

 今、存が目の前の女から感じるのは、ハッキリとした邪悪だった。

 ならば、この女が口から出したと言う言葉に正しさはあるのか……?

 少女がを受けなければならない理由には?


 ……間違っている。


 それを確信した瞬間、存は、どうしても力が欲しいと思った。

 誰かの言う曲がった正しさを否定する、自分の持つ正しさを表現する力を。

 大切な人を助けるための力を。


 そして、存の脳裏に一つの文字が浮かんで来た。

 ぼやけた形はハッキリとした線となり、そして、その意味が分かった瞬間、存は叫ばずにはいられなかった。


「……サイ!」


 この女の一方的な正義――理不尽に言い渡された罪が根拠になって紗亜那が死ななければならないのなら、否定しなければならない。


 存の肉体の輪郭線が、鈍い光を放ちながらブレを生じさせる。

 今、たもつの中にった才能が、ハッキリと形を持って目覚めた。

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