第12話 Breaking Hide【ブレイキングハイド】 その2

 遠く、薄明かりの下。

 靴音と共に現れた人影は立ち止まり、クククと笑うように肩を震わせて存達をじっと見ている。


 距離は30mか、40mか。

 害意を持っている邪悪な物にも見えたし、心の底から楽しくて笑っているようにも見える。

 それが不気味に思えて、存は怯えた。

 暗さのためなのか、その人影がどんな体格なのかまではよく分からない。

 が、それが女性だと言うのが分かったのは、その人影が再び言葉を発したからだった。


「どうした? わざわざ姿を現してやったんだぞ?」


 声そのものは低かったが、確かに女性のようだった。

 そして、存はハッと目を見開く。

 それがと思った瞬間、その人影は忽然と姿を消していたのだ。


 何度も目を凝らしたが、やはりいない。

 声の余韻を残したまま、完全に消え去っていた。

 玲央が囁くように、それでも強く言い放つ。


「……堀位、大きな声を出すな。ゆっくりこちらに来い。私のそばに来るんだ」

「でも、今、消えて」

「良いから来い。前にいれば私が守れなくなる」


 玲央の声に、存はたじろぎつつも従った。

 殺気が立ち込め始めた異様な雰囲気の中、異論などあろうはずもない。

 だが、意外にも沈黙を破ったのは敵だった。


『へぇ、守る? そのガキども、お前の何なんだ? お前の子供には見えないが』


 再び聞こえて来た女の声に三人は振り返る。

 酷くぼやけた音声だったが、確かに先ほどの声と一緒に聞こえた。


 だが、振り返った存は乃原の死体――それは玲央に損壊させられ、存も目を背けたくなるような状態で転がっていたのだが、ともかく存は男の死体以外に人間の形をしている物を見つけることが出来なかった。


『そこに転がっているのは乃原か? ひでぇことをしやがる。ハンサムな顔が台無しじゃないか』

たもつ!」


 鋭い声と共に、玲央の手が存の肩を掴む。

 名字ではなく下の名前を呼ばれたと思う余裕もなかった。

 玲央は存の前に走り出ると、続けて叫ぶ。


「路時もだ! 下がれ! お前の裁では力不足だ!」

『そう、怖がるな』


 笑い声が、今度は三人の足元から聞こえてきた。


「チィッ!」


 玲央の裁が存のすぐ近くの地面に向けて斬撃を放つ。

 もちろん、存に玲央の裁は見えなかったのだが、コンクリートに似た材質の地面が鋭くえぐれたのでそれが分かった。


『外れだよ。しかし得体の知れない奴だ。完全にの人間に思えるがなぜ子どもなんかを連れている?』


 。命のやり取りに慣れた人間の事だろう。


 声が出現する場所は移動し続けて、その度に玲央の裁は壁や地面を斬りつけた。

 だが、敵の声にはダメージを負った様子がまるで無い。

 得体の知れない声の主は、クククと笑い声をたてながら、なおも話を続けた。


『どこを斬りつけようと無駄だよ。私の裁は奇襲だけで敵を殺せる最強の能力だ。本来ならば気づかないうちに全員、始末することも出来た。だが、わざわざこうして来たことを知らせて、声を聞かせてやっている。話してもらうぞ。お前が何者で、どこの組織に属しているのかをな』

「……話すと思うか?」

『苦しんで死にたくは無かろう?』


 玲央の、体の輪郭線が淡く光り始めた。

 裁の発現の強さ――存でさえもはっきりと感じるほどの存在感が玲央の近くに現れる。


 それに対して、くぐもった笑い声が響く。


『やり合う気か? もちろん、こちらも簡単に口を割るとは思ってないが、戦えばお前は何も出来ずに死ぬだろうね』

「……教えておいてやる。自分を最強だと言ったが、今まで自分を過信していた奴は、みんな私に敗北していった。お前も油断していると死ぬことになるぞ。お前は私の裁の本当の能力を知らない」

『お前の能力? まぁ、想像はつくぞ?』


 声は笑いながら言った。


『近距離パワー型……近場で真価を発揮し、本体から離れると極端にパワーダウンするタイプと見た。能力の有効範囲はせいぜい3mか5mといったところだろう? 他に何が出来る? いや、何も出来ないだろうな。私を見つける事の出来る能力なら、とっくにこっちを攻撃してきているだろうからな』


 玲央は返事をしない。

 無言で指を立てると、スッと息を止めて周囲に気を配っていた。

 一秒。二秒。

 少しの物音も、景色の変化も見逃さないと言った集中だった。


『なるほど。大した集中力だ。虚勢を張るだけのことはある。だが、私にはこういう攻撃方法もあるんだぞ?』

「っ!」


 何かに気づいた玲央が、自分の右手を存の前に出した。

 咄嗟の行動のようだったが、もちろん、存にはそれらの行動に意味があるのかさえも考えられなかった。

 ただ、一瞬。

 ほんの一瞬、存が目の前にあった玲央の手の甲の向こう側にゾッとするような悪意の気配を感じて身を竦ませた瞬間、目の前が赤く染まった。


「あ……」


 温かさを保った血が存に振りかかり、遅れて細かくちぎれた肉片が存の顔にぶつかる。


「れ、玲央さん!」

「うっ……く、来るな! お前はそこにいろ!」


 玲央の手からドロリと、血の束が落ちた。巨大な穴が開いているのだ。

 血は千切れた肉や細かい骨片と混ざり合い、ドロリとしたものとなって落下している。


 玲央は負傷した自分の手をシャツに押し付けて抑え込んだが、見る見るうちにシャツは赤く染まり、血は溢れるほど血液を含んだ繊維を抜けて再び地面に音を立てた。


『ハハ、子供を庇うのかい? よく攻撃を見切れたとも関心もするが……何だ、そっちのチビ女もか?』


 声が示したのは紗亜那だった。

 紗亜那は体の輪郭線を仄かに光らせながら、存少年の肩を掴んで、必死に後ろに下がらせようと引いていた。


『しかし、ずいぶん非力そうな奴だ。それに怯えている。どんな能力かは知らないが、どちらにしても私の裁、【ブレイキングハイド】の敵ではなさそうだ。簡単に殺せそうなそっちは後回しにしといてやる。まずはこっちだ。もっとも、その傷ではもう勝負はついたが』


 それでも玲央は気丈に顔を上げた。


「それが、貴様の裁の名前か。【ブレイキングハイド】。この程度で勝った気になるとは、やはり油断している。確認したぞ。貴様は、攻撃の瞬間だけ気配が現れる」

『……ふうん、それが分かって、だからどうした? 何かやれるものならやってみると良いよ。ほら、避けて見な。攻撃するぞ?』


 敵の宣告通りに現れた殺気だったが、今度のそれはあまりにも強烈で、存にも、紗亜那にも察知できるほどだった。

 が、何しろ現れてから実際に攻撃されるまでの時間が一瞬過ぎた。

 どこからくるのか、どんな攻撃が来るのか、玲央自身も反応できずに攻撃の意識を振り回す事しか出来ない。


「……ッ!」


 玲央の裁が放った斬撃が壁をえぐる。が、敵の攻撃は玲央の側面からやって来た。

 玲央は反射的に左手で防御の姿勢に入ったが、手は弾けたように不自然な方向にぶれて、跳ねた。


「ぐっ、う」


 血だまりの中。

 攻撃された玲央の呻き声がこぼれて、彼女の肉体の一部だった物が湿った音を立てて転がる。


 ――千切れた玲央の指だった。


 あまりにもグロテスクな光景に存は呻き、それでも血に塗れた玲央に向けて手を伸ばそうとした。が、紗亜那がそれを止める。


「ダメ! 堀位君!」

「でも、このままじゃ、玲央さんが!」


 玲央は振り向きもせずに存に言った。


「来るなと言っているぞ、存! ……大丈夫だ。必ず、守ってやる。お前は、自分の命が助かる事だけを考えろ」

「で、でも、どうして! どうしてそんなになってまで、守るなんて!」


 存には全く分からなかったし、知りたいとも思った。

 町田瑠香の友達とは言え今日会ったばかりの女性、それも殺し屋が、どうして自分を命がけで守ってくれるのかを。


 だが、玲央はその問いに答えなかった。


「路地。絶対に存を前に出させるな。大丈夫だ。最後には、私が勝つ」


 だが、この状態で勝ったとして、それは勝利と言えるのだろうか。

 あまりにも出血が酷い。

 すぐにでも手当てをしなければ死んでしまうかもしれない。

 玲央の背中は追い詰められた獣のそれで、肩で息をしていた。

 それでも、猛然と見えない脅威に立ち向かおうと存たちの前で立っている。


『ずいぶん頑張るじゃないか。ほら! もう一度行くぞ?』


 見えない攻撃が再び放たれた。

 今度は玲央の左ももに穴が開き、玲央はついに立っていることすら難しくなってしまった。

 刺された方の膝が地面に着き、玲央は自分の裁で体を支えながら何もない虚空を睨みつける。

 が、声は、玲央が睨みつけた方向とは真逆の方から聞こえて来た。


『残念だがお前の負けだ。話してもらうぞ。お前は誰だ? どこの手の者だ? 今話せば楽にしてやる』


 玲央は、それに対してささやかに笑った。


「楽にしてやる、だと? お前にとってのは、か? 随分とお優しい奴だ」

『フン。本来なら、すぐにでも殺してやりたいところだ。乃原は、私のお気に入りだったんでね』


 再び玲央は笑った。


「趣味が悪いことだな。あんな、ゲスがお気に入りとは」

『顔は良かっただろ? 背も高かったし。良い体してたじゃないか。一緒に寝てやっても良いかなと思ってたくらいに。あんな余計な才能さえなかったら』

「……余計な才能? 才能か?」


 玲央の言葉に、敵の意識は殺気へと変わった。


『ちょっと、お喋りしすぎちゃったなぁ。そんなことは今から死ぬお前にはどうでも良いことだよ。私は仕返しをさせてもらう。何、裁は身分証明みたいなもんだ。近距離パワー型で剣を振り回す甲冑みたいな特徴とさえわかれば十分だ。ガキどもにもすぐに後を追わせてやる。安心して死ね』


 玲央は大声で笑い始めた。

 ひとしきり笑った後、言った。


「お前に都合の悪い才能だと? 馬鹿を言うな。裁と言うのは無意識の才能だ。隠れることに特化しているお前は、自分の肉体にコンプレックスがあるタイプだろうな。大方、乃原の眼鏡にかなわないような体――とんでもない不細工か、肥満体か、それとも貧相な体か」


 言いかけた玲央の声を遮り、激高した女の声が響いた。


『こ、殺す! 今すぐに殺してやる! 死ね!』

「やってみろ! お前の居場所は特定したぞ!」

『なにっ?』


 玲央は叫ぶと、その輪郭を光らせた。


「そこだ!」

「なっ」


 ギィンと音が鳴った。

 玲央の裁が――存にもその姿を見せるほどのハッキリとした像が、西洋のロングソードの様な剣で頭上を斬りつけ、そこにいた何者かに攻撃を加えていた。

 まるで、フェンシングの剣のような相手の武器の輪郭が現れ、続き、よろめいた敵の姿が露わになっていく。


 敵は、宙に浮いていた。

 異質な材質を持つザラザラとした表面を持つ球体の異形。

 球の中心に大きな口がある、太い腕の生えた黒い怪物の姿がハッキリと姿を現していた。


『く、くそ! 姿を、隠さなければ!』

「させるか!」


 玲央の裁が追撃を放つと、怪物は手に持った武器でそれを防ぐ。が、ついには耐え切れずに地面に落下した。

 何本もの細い管が各所に伸びていて、そこから女の声が漏れている。


『な、何故だ! 何故、わかった!』

「透明化か。空を移動し、必要となれば周囲に張り巡らせた触手からの声でかく乱する。なるほど、暗殺に適した能力だ。しかし、お前は安い挑発に乗った」


 ぱっくりと開いた怪物の口の中に長い髪の毛が見え、次には怒りの表情を浮かばせた女が顔を出す。

 その表情を見た玲央が、勝ち誇ったようにして言った。


「能力に乱れが起きたのだよ! 裁は、精神力の発露だ。今まで心を乱すこともなくあっさりと仕事をして来たのだと言うことは予期できた。ダラダラと会話するべきでは無かったな!」

「だ、だから何だ! そんなズタボロの体が操る裁に、私の裁が負けるものか! やれ! ブレイキングハイド!」


 女が叫ぶと異形は口を閉じ、手に取った細剣を前に突き出した。

 玲央がそれを横に払った剣で防ぎ、金属がぶつかる音が数度。

 続いてつばぜり合いの火花が散った。

 剣と剣である。

 それは存にも分かる形で――


 ……


 存は驚いていた。

 この時になって初めて、玲央の裁も、敵の裁もはっきりとその姿を見ることが出来ているのだと気づいたからだった。

 今まで見えなかったものが、急に見えるようになっている。


 と、突然、肩が掴まれた。

 紗亜那だった。


「堀位君、もっと、あの二人から離れて。私の後ろに」

「路時さん」


 紗亜那もまた、輪郭を鈍く光らせている。

 まだ裁の姿は無かったが、その気配らしきものも今まで以上に感じ取れていた。


「うあっ!」


 悲鳴に近い叫びが聞こえて振り返った存は、玲央が敵に攻撃するのを見ていた。

 玲央の裁が怪物を斬りつけ、蹴り飛ばす。

 怪物はたまらずに本体である女を吐き出すと体中の傷から体液をまき散らし始めた。


「やはり、隠れることに力を使うタイプだった。姿を現してしまえば、戦闘能力自体は大したことない。とんだ素人だよ、お前は」

「よくも、よくも私を、侮辱して」


 吐き出された女は立ち上がる。

 それは黒いゴシックロリータの服に身を包んだ、若い女に見えた。


「取り消せ! 取り消せよ! 今の言葉! 私のブレイキングハイドは、最強だ! 最強なんだ! 今までだって、傷一つ負ってない。最強のプロだ! 顔だって不細工じゃない! 平均より上だ! 体だって、言うほど貧相なんかじゃないだろ! 私は! 私は……!」

「そんなにショックだったか? 幼稚な奴め」

「殺してやる! 絶対に!」

「良いだろう。決着を着けてやる!」


 玲央が裁を放ち、敵もそれに応えた。

 敵までの距離は4m。玲央の裁の有効射程範囲内である。

 もし、敵が冷静にさえなれれば足に酷い損傷を負っている玲央から離れることで、また姿を隠すチャンスもあった。

 だが、敵はあくまで怒りに支配され、攻撃することに夢中になっていた。


「殺せ! ブレイキングハイド!」

「……ッ!」


 剣と剣が再びぶつかり合い、ブレイキングハイドが弾かれたようによろめく。


「私の勝ちだ!」


 玲央が叫び、玲央の裁の剣が敵本体へと向かう……が、この時に至って敵はにやりと笑った。

 絶望と狂気に満ちた笑みでも、敗北を悟った諦めの笑みでもなかった。

 それは、勝利を確信した相手への嘲りに満ちた笑み。


「お前は言ったよな。。確かに足元をすくわれるよ。勉強になった。でも、それはお前も一緒だったな。……は最後まで取っておくものってね!」


 直後、女はゴシックロリータの服の中から黒い、筒状の武器を取り出した。

 プラスチックと金属。銃口。

 存は、一見して拳銃に見えたそれにギョッとしていた。

 紗亜那も、そして玲央も。


 直後に爆発したような破裂音が数度響く。

 銃弾は二発。一瞬で二人の裁の間を通り抜け、負傷した足のせいで避けることも出来ない玲央の体に到達した。

 一瞬だった。

 玲央は殴られたかのように何度かよろめいた後、血を吐いて倒れ込んだ。

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