2036年 7月19日 堀井 存、茂田奈 玲央、路時 紗亜那

第11話 Breaking Hide【ブレイキングハイド】 その1

 空気が弾け、鋭く動いていた。

 今の存に分かるのは、それだけだった。


 何か、見えないモノが高速で動いて、すぐ近くで激しくぶつかり合っている。

 まるで敵意と言う感情そのものが迫って来ている感覚に襲われて、存は呻いた。


 だが、目を背けて逃げる事は出来ない。

 それらを一手に引き受けているのは誰でもない、存の大切な人間である紗亜那なのだ。


「ろ、路時さん……!」

「こっちに、来ないで。逃げて、早く」


 紗亜那の必死な声と、震える肩を見て、存はたまらなくなった。

 自分には正体が分からない、不可思議な力が働いている。それがわかっているのに、自分が何もできないと言うのが――ただ守られているだけだと言うのが悲しかった。


 これは『さい』と呼ばれる超能力同士のぶつかり合いである。

 それを扱えるものでなければ、抵抗することすらも出来ないのだ。


 存の生い立ちそのものは特異と言っても良いが、あくまで一般人である彼には、その力の正体は知る由もない。


 サイキック――PSIと書いてサイとも呼ばれているこの超能力は、かつて1980年代初頭の上星市に邪悪が現れた時に、この力に知らずと目覚めていた少年少女達によって名付けられた。


 法によって罰を下せない連中をための能力。

 それぞれ個別の形と能力を持ち、よほど注意深い人間でなければ一般人に認知されない。


 それは、内なる心の海で生み出された、もう一人の自分。

 自由自在に操れる、力の実体化。

 そして、それらは物体、空間、土地、心、時間等、現実世界のありとあらゆる物に干渉し、常識では考えられない現象を引き起こす。


 それが『裁』である。


 そして、裁を使える者達――通称、裁能力保持者たちによる戦いの末、邪悪は滅びたが、戦いは町の傷跡として残り、後には力の認知だけが残った。


 そして現代。

 目覚めた者達は、様々な思惑を持つ組織によって利用され続けている。


 その中でも、存と紗亜那の目の前にいるのは裁を殺人に使っていると言う人間。

 命を狙われる身としては最悪と言って良い相手であった。


「……ッ」


 紗亜那の、白いワンピースの裾が僅かに千切れて、飛ぶ。

 それは些細な破片ではあったが、対峙している裁能力保持者――茂田奈玲央の攻撃は、間もなく紗亜那の肉体に到達するだろう。


 明らかな劣勢である。


 とは言え、裁能力保持者ではない存には、攻めて来る玲央の刃も、それを防いでいる紗亜那の裁も、何も見えてない。

 視線を向けてもぼんやりとしか感じられない上に、それが高速で動いているとなっては無理のない話でもある。


 しかし、それだけの感覚でしか知覚出来ない存から見ても紗亜那の危機は明らかであり、自分たちと対峙している冷徹な目をした美人がこちらに向けている意志の正体もはっきりと感じ取れていた。


 存が感じていたのは、他人から向けられている明確な『殺意』である。

 それは普段受けている『罰の時間』に義母から感じる敵意よりも、ずっと衝動的で、冷たいものだった。


 しかし存は、この『殺意』と言う物を向けられたことがある。

 それは、存の本当の母が殺された時。存少年が4歳の時。

 犯人は女で、凶器は刃物で……存は急速に自分の記憶がよみがえっていくのを感じていた。


 自分を守ろうとする、母の手。

 流れる血。叫び声。

 倒れて冷たくなっていく母の向こう。犯人は、間違いなく幼かった存を見ていた。

 手に持った凶器を持って、鋭い殺意の視線で。


 集まってきた大人たちの足音によって、その殺意が体現されることは無かったが……今、存はその時に受けた殺意を思い出していた。


 視線を先へ向かわせれば、先ほど絶命した男の死体が転がっている。

 存にとっては知らない、見たことのない男だったが、最後に呟いた町田瑠香の名前は一体何だったのだろうか。

 自分とも関係があるのだろうか。


 だが、存がそれを思ったのは一瞬で、すぐにでも行動を起こさなければならないと思った。

 心も体も怯えきってしまっているが、それでも、恐怖を跳ね返さなければと。


 目の前の女の殺意は、今も自分たちに向いている。

 このままでは、確実な死がやって来るだろう。


 死は、怖かった。

 自分の命がここで終わるのは、どう取り繕っても恐怖でしかない。


 だが、それ以上に存は、このままでは紗亜那も物言わぬ冷たい死体になるのだと思うと、とても耐えられなかった。

 母を思い出し、紗亜那を想う。

 繋いだ手――自分の手を握り返してくれる他人の体温を、二度と失いたくないと、そう思った。

 想いは力となり、存の勇気を立ち上がらせる。


 存は心を決めると、走った。

 逃げるためにではなく、紗亜那を守るために、前に。


「路時さん! 逃げて!」


 全速力だった。

 何が出来るかも考えない。

 体は今も傷だらけで、痛みだらけで、とても早く動けるとは存自身も思わなかったし、動けた自分に驚きもした。


 そして、一瞬。

 紗亜那が存の無謀さに気づいて、すれ違いざまに手を伸ばす。が、止められない。


「ダメッ! 堀位君!」


 もちろん、女――茂田奈玲央は攻撃の機会を見逃さなかった。

 存は、接近した死の予感に一瞬の怯えを見せて、立ち止まる。

 死を覚悟した。

 目の前の、手を掲げた女の動きがスローに見えて……そして。


 玲央の裁――殺意を秘めた剣は、存の眼前で動きを止めた。


「……堀位だと?」


 女はそう呟くと、金縛りにあったかのように動けない少年を見た。

 上から下へ。下から上へ。

 裁を引かせると同時に詰め寄って、言った。

 手は存の服の襟を掴み、握り締めている。


「少年、一つ教えろ。お前の名前は?」

「……な、名前?」


 その間にも、紗亜那は存を救うために走っていた。


「堀位君! 逃げて!」


 だが、 紗亜那は近づくことが出来ない。

 玲央は存に意識を向けながらも、紗亜那に向けて裁を――剣を持った化け物を向かわせて、接近を阻止していた。


「早く答えろ。下の名前だ」

「……たもつ


 汗が、少年の顔をつたって、地面に落ちる。 

 玲央はスッと目を細めると、存に触った。


「な、何を」


 玲央は無言で少年の腹を――シャツの端を掴むと僅かに持ち上げて存の腹部を見た。

 

 存はそれがわかって、必死にシャツを降ろして隠した。


「な、何を、して」

「……お前が、そうなのか? 堀位、存」


 その、何かを確かめるような一言で、ゆっくりと女の殺意が消えていく。

 それは戦いの素人である存にも、少し離れた距離にいた紗亜那でさえも分かった。


「殺すのはやめだ」


 女はそう言うと、紗亜那へ視線を向けた。


「思い出したぞ。そこの少女も路時と呼ばれていたが、よく見れば見覚えがある。上星市の要注意人物リストに載っていたな」

「堀位君を、離して!」


 変わらずに敵意を露わにしている紗亜那に対して、玲央は笑った。


「まだ戦う気か? やめておけ。お前の裁では力不足だ。しかし、その戦意を落ち着かせるのなら、離してやってもいい」

「……それでも。私たちを無事に帰してくれるようには思えない」

「そうだ。残念だが、それは出来ない」


 玲央は言う。


「はっきり確認する。お前は路時 紗亜那だろう?」

「はい」

「ならばやはり帰すわけにはいかない。帰ればお前はにここで起きたことを言うだろう。特に、あの死体と、私のことを」


 紗亜那はチラリと、玲央の後方に転がっている乃原の死体を見て、静かにうなずく。


「そうなれば、お前を飼っている連中は私の敵に情報を売るだろうな。だが、それは避けたい。だから、しばらくは私と一緒にいてもらう。私にとってはお前たちを殺す事など造作もないが、お前の飼い主達まで敵に回す気はない。だが、反抗したり、逃げようとしたならば、ためらいなく殺す。少年も良いな? お前もしばらくは私と一緒にいてもらうぞ?」


 存は怯えながら玲央を見た。


「飼い主?」

「……お前はあいつのことを何も知らないのか?」


 玲央は冷静な顔で存を見返す。

 何かを言おうとした玲央を止めたのは紗亜那だった。


「堀位君には、何も言わないでください。お願いします。あなたの、言う通りにします」


 僅かな沈黙。


「……そうだな。長々と余計なおしゃべりをしている暇は私にはない」


 だが、存は食い下がった。いや、紗亜那が話したがらないことを聞き出そうと言うのではない。

 存が聞きたかったのは、別の事だった。


「待ってください」

「何だ?」

「あなたは、いったい誰なんですか? 僕のことを、知ってるんですか? 僕を殺さないのには、何の理由が」


 致命的になりかねない質問ではあった。

 状況によっては『やはりお前は殺しておく』と、そう言う答えが返ってもおかしくはない。

 だが、玲央はスッと息を吸った。

 一呼吸。

 吐き出すと、言った。


「お前のことは知っているよ。私の名前は……そうだな。茂田奈 玲央だ。玲央で良い。清掃員。はっきりと言えば、殺し屋をやっている。堀位存。町田瑠香と言う女性を知っているな?」

「瑠香さん? はい。昔、近所に住んでいて、お世話になって……恩人です。玲央さんは瑠香さんの知り合いなんですか?」

「そうだ。私は瑠香の友達なんだ。瑠香から、お前のことを何度も聞いていた。お前を殺さない理由はそれだ」


 存は、どうしてあの町田瑠香が、こんな恐ろしい人と友達なのだろうかと思った。


 こんな恐ろしい世界に足を踏み入れる人だったのかとも疑問に思う。

 しかし……いや、彼女ならとも思った。

 何か理由さえあれば、誰かのためにと――自分の時のように、例えそれが危険な場所であっても前に進む人間だった気もした。


 そして、彼女なら、どんな人間が友達であっても不思議ではない気がしたのだ。


 一方、玲央も説明が全て済んだとばかりに存に背を向けて、転がっている死体――乃原の方に振り返っていた。

 存は玲央の背中に話しかける。

 死体があって、殺し屋がいて、そんな恐ろしい光景だったけれど、それでも、聞いた。

 今、聞かなければならない気がして。


「あの、玲央さん。瑠香さんは、その、元気ですか?」


 玲央は、背中を見せたまま静かにうなづいた。


「……元気さ。お前にも会いたがっていたが、今は遠くに行ってしまっている。すぐには会えないところだ」


 そこで言葉を切った玲央は振り返り、存と紗亜那に向けて警告した。


「さて、会話はもう十分だ。堀位と路時。お前らは良いと言うまで後ろを向いていろ。今から私がすることを見れば、傷になる。絶対にこっちを見るな」


 存が「え?」と口にするより前に、玲央は動いていた。

 死体となって転がっていた乃原の頭を掴むと、その顔を持ち上げ、裁で切り刻む。

 変化はあっという間で、目を背ける暇もなかった。

 人間の顔が、破壊されていった。グチャグチャに、ドロドロに。


「うっ」


 そのあまりにもグロテスクな光景に、存は呻いた。

 慌てて背を向けたが、焼き付いたかのように心に残ってしまった。

 紗亜那が走り寄って、存に抱き着く。


「堀位君……大丈夫?」

「くそっ、何であんな。何が目的で」

「時間稼ぎだと思う。身元を、わからなくしてる。多分」


 もちろん、普段ならこんなことを玲央はしない。

 ターゲットの顔がわからなくなると、報酬がもらえないからだ。

 この行為は完全に彼女の個人的な仕事であることの裏付けでもあったが、もちろん、二人にとってそんなことは知る由もない。


 存は、今になって人間の死体がそこにあると言うことが怖くなり、呻いた。

 震えはどうすることも出来ない。

 背後で何かを強く叩きつける音を聞き、身をすくませた。

 何をやっているかは、考えたくもなかった。


「堀位君は、そのままこっちを向いていて。私も、あなたのことを考えて、見ないようにするから」

「……分かった」


 紗亜那も震えていた。

 きっと、彼女も怖いのだと、そう思った。


 思った直後、また衝突の音が聞こえて来た。

 何かを、勢いをつけた鈍器で打ったような、強烈な音だった。

 それは先ほどよりも強く、大きい。

 存は、必死に紗亜那の背中に手を回して、耐えた。


 だが、音と共に、白い、小さな何かがコツコツと存の足元に転がって来て、存はそれを見てしまった。

 血にまみれた何かの破片。


 何だろうと思った瞬間、存は何となくそれが何なのか分かった。


 だ。


 それがわかった瞬間、耐えがたい吐き気が込み上げて来て呻く。

 だが、吐くわけにはいかない。


「……チッ。こいつ」


 玲央の声が後ろから聞こえて来た。


「二人とも、そのまま動くな。……今、私がそちらに行く」


 玲央はそう言うと、一息に袋小路の入り口へと跳んだ。

 その手には、携帯端末が握られている。


「こちらを向け。そしてこれを見ろ。これは私が殺した男の物だ。どうやら、死ぬ前に仲間に連絡していたらしい。通話のボタンが押されている。押したのは、通話時間から見て最後の命乞いの時らしいが、厄介なことになった」


 画面には『緊急連絡先』と言う表示が出ていた。

 通話はすでに切られている。


「間もなく追手が来る。あの男の仲間だ。この場所は特定されているとみて良い」

「追手?」

「厄介事専用の人間だろう。恐らく戦闘になる」


 存には分からないことではあるが、この区画では端末の回線が繋がる。

 通話も出来るし、ネットへの接続も可能だ。

 そして、区画のどこにいても、GPSの位置情報が区画の入り口付近に固定されているので、調べればこの場所にいるのが簡単に分かってしまう。


「敵が来る前に、ここを離れるぞ」


 だが、玲央がそう言った直後だった。


「一手、遅いな。もう来ている」


 意識の外から放たれた声と、気配。

 存たち三人が視線を向かわせた袋小路の出口に、実に堂々と靴音を響かせながら、その人の影は出現していた。

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