第9話 今は亡きあなたへのレクイエム その2
乃原は、ゴクリと生唾を飲み、言った。
「俺は乃原って言います。お友達は町田瑠香さんって言うんですね? あの、すごい偶然なのかもしれないんですが、さっき会った人かもしれません」
「本当ですか?」
「ええ。すごい偶然かなって思うんですが、駅の方で道を聞かれて。少しだけ話をしました。町田って名乗っていましたし、男の子を助けに来たって言っていたので、間違いないと思います」
「ど、どこに行くって言ってましたか?」
「レストランです。知り合いがやってるお店なんですけど……道がわかりにくいので案内しますよ。着いてきてください」
もちろん、ウソだった。
乃原は記憶の中を探してもそんな名前の人間なんて思い当たらなかったし、全てはこのとんでもない美人を引き留めるためのごまかしに過ぎない。
「急ぎましょう。食事したいって感じでもなかったし、街のことに詳しい店員がいるので、何か聞きに行っただけかもしれません。下手すると行き違いますよ?」
「え、あの……ちょっと待ってください、あの!」
強引に歩き出し、後ろをついて来たのを振り返って確認する。
が、すぐに横に並んできた。
「私、
女は快活な口調で言った。
Tシャツにデニム生地のショートパンツと言ったラフな服装。長い黒髪。
小さなリュックサックを背負っていて、少し汚れたスニーカーを履いていた。
「よろしく、茂田奈さん」
乃原は、玲央の腰を盗み見て、思った。
(こんなそそる女、滅多にいないぞ? 今までどこに隠れてたんだ)
腕や脚を見る。
筋肉質ではあるがしなやかで、柔らかそうな体だった。
(胸も、尻も、出るところはしっかり出てて、締まるところはしっかり細い)
背丈は184センチある自分の、少し下――170センチ前半くらいだろうか。
目は少し細いけれど、それだってマイナスにはならない。
顔も間違いなく美人の分類に入るだろう。
「ところで茂田奈さんは、何をされてる方なんですか? 学生?」
「えっと、言わなきゃダメですか? ……働いてます。清掃員です」
(それは宝の持ち腐れって奴じゃないか?)
乃原はそう思うと、笑った。
いやらしさや嫌味が出ないように気をつけた。
「君みたいな人が清掃員? 清掃員って、あの、掃除する人ですよね? こんな綺麗な人が?」
見れば玲央の顔は真っ赤だった。
ごまかすように下を向いて、それから言う。
「か、からかわないでください。私、別に綺麗じゃないです。そんなこと、誰にも言われたりしません……」
言葉尻が小さくなっている。
言い終わった後は押し黙り、困り果てた顔で乃原の顔をチラチラと見ていた。
「君は可愛いと思う」
「あっ」
乃原は玲央の手を握った。
玲央は目を見開くと立ち止まって、野原の目を見る。
その手は震えていて、次の顔には驚きと、それから少しばかりの恐れと混乱があった。
(こいつ、男慣れしてないのか?)
乃原は思ったが、どうやらそのようだった。
自分の持つ才能――人を見る眼で見てそう確信したのだ。
自分がハンサム過ぎるのかとも思ったが、ここまで顔を真っ赤にすることは無いだろう。
意外とチョロい女なのかもしれないとも思った。
直感だが、褒めちぎってのぼせさせれば、簡単に自分に夢中になってくれるような気もする。
玲央が、泣きそうな顔で言った。
「私……可愛いくなんか、ないです。私なんかより、今探してる瑠香の方がよっぽど……」
「そっか。田茂奈さんは友達思いの良い人なんだね」
「いえ、その、瑠香は、私みたいな人でも気にしないで、普通の人みたいに接してくれた、私にとってたった一人きりの友達なんです。大切な人だから」
(孤独な美女、か。しかも自己評価が低い)
乃原は思い浮かべて、ますます自分が入り込む余地があると思った。
孤独な心の隙間に入り込めるのならば、やらない手はない。
「自分に自信がないんだね。でも、君はとても可愛いと思うよ。俺、会ったばかりなのに君のことが気になって仕方がないんです。茂田奈さんは今、恋人はいるんですか?」
「……こ、恋人は、いません。出来たことも無いです」
乃原は少しばかり混乱した。
(まさかとは思ったが、こいつ、男を知らないのか?)
だとしたら、なんとしても教えてやらなければと乃原は思った。
(たっぷり、悦ばしてやる。俺に夢中になれば、寂しい心も埋められるぜ?)
今日、ヤると乃原は決めた。
どこから来たかは知らないが、この上星市でこんな無防備な女を放っておいたら、どこぞの馬の骨に取られてしまう気がしたからだ。
しかし、気をつけなければならない。
あの手この手でホテルにでも連れ込めればと思ったが、そんな目的がハッキリしているところに連れて行こうとするのはリスクが高いようにも思える。
部屋に入る前の土壇場で拒絶される可能性があるし、そうなれば親密になるなど、とても不可能になるだろう。
酔わせて連れ込むという手もあるが、そもそも『いなくなったお友達を探す』と言う建前上、酒を飲ませるのも難しい。
だったら……
乃原は邪悪な目論見を少しも表に出さずに、言った。
「こっちです、茂田奈さん」
乃原は目的地を変更した。
あの場所なら、連れ込んだ時点でこっちの勝ちだ。
乃原は駅の近くにある、ビルとビルの間、目立たない通りへ向かった。
辺りはすっかり暗くなっていて、人並の中をひたすら進む。
もちろん、手は繋いだままだ。
絶対に逃がさないぜと乃原は笑う。
「少し暗い道を通りますけど、近道ですから」
玲央は少しも疑っていないようだった。
目的地は正確な角を曲がり、正しい道を進まなければたどり着けない袋小路。
(超能力なんて信じてなかったけど、こういう場所があるからな、上星市は)
そう、今二人がいるのは、存と紗亜那が男たちに連れられて歩いた、あの通りである。
そしてしばらく歩いた乃原達は途中……と言うより、まさに存と紗亜那が連れ込まれた袋小路の手前で立ち止まった。
もちろん、男たちの下品な笑い声と、存が暴行されている音が聞こえたからだった。
「ちっ、先客か。勝手に使いやがって、悪ガキどもめ」
「何ですか? 乃原さん」
「いえ、ちょっと道を間違えまして。少しだけ戻ります。こっちです」
(一番は使えないか)
このおかしな通りに袋小路はいくつかあって、乃原は番号をつけている。
全部で4つほど確認しているが、他にもあるかもしれない。
とにかく、今は目的地を変更しなければ、と、乃原は二番と名付けた別の袋小路へ向かった。
「こっちです。すぐ着きます」
「はい」
道を少しだけ戻る。
曲がり角を変えて進み、ようやく袋小路にたどり着いた乃原はにこやかに笑った。
「ここです」
「ここ? ……えっと、レストランって」
どう見てもレストランではない。
袋小路で、ビルに囲まれていて、空は真っ暗で……玲央は袋小路の先へと進んだが、やはりそこにはドアも何もない。
ただの壁だった。
そして振り返れば笑いながら歩いて来る乃原がいる。
「あの、乃原さん、これって」
「ええ。すみません。実は、嘘なんです」
「え?」
「一目惚れって、信じますか? 俺、貴女のことが好きになったみたいんなんです。……玲央さん、俺の目を見てください」
「ふ、ふざけないでください」
玲央は、見るからに怒っていた。
「私は、真面目に瑠香を探してるんです」
「それは大丈夫。俺に任せて。この町には知り合いがたくさんいるし、みんなに聞いて回ってあげるよ。君が一人で探すよりも、ずっと早く見つけられるはずだ」
「そ、それは……」
乃原は玲央をジッと見つめ続けた。
玲央は泣きそうな顔になって、うつむく。
「やめてください。いけません。そんな、わたしは……」
「大丈夫だよ、玲央。僕は君の味方になりたいんだ」
乃原は強引に玲央の手を取った。
「僕は君のことが知りたい。君のこと、教えて欲しい」
「あ……」
「大丈夫。僕に任せて、玲央」
乃原は言いながら、さらに玲央に寄った。
(やっぱりだ。こういう自分に自信がない女は、自分が拒絶されるのが怖い分、自分も拒絶できない。拒絶することで、相手が傷つくと思い込むからな。ここまで来ればもう、こっちのものだぜ。じゃあ、お楽しみの時間を始めようか)
指で玲央の頬に触れる。
「綺麗だよ、玲央」
自分の唇を、玲央の唇に近づけた。
「……触らないで! 嫌!」
ドンと、押しのけられた乃原は、予想以上に強い玲央の力に驚いた。
「ひ、酷いな。そんなに強く押すなんて。……え?」
そして見た。
玲央が、背負っていたリュックサックのポケットから、何か短い棒状の物を取り出すのを。
ナイフだった。
果物の皮を剥くようなチャチな物だったが、間違いなかった。
玲央は木で出来た鞘から刃を引き抜き、両手で持って構えていた。
「こ、この、ケダモノ! でも、やっと、二人きりになれた! この瞬間を待っていたんだ! 捕まえたよ!
呼ばれたのは乃原のフルネームだった。
下の名前は教えていない。
呆気に取られている乃原に、玲央はなおも言った。
「教えて! 教えなさい! 瑠香はどこ? どこなの?」
「一体、どういうつもりだ? 君の友達を俺が知るわけ……」
「とぼけないで!」
玲央の目は怒りに満ちていた。
「一年前、瑠香は、恋人ができたって私に教えてくれた。私は名前を聞いてた。乃原至成ってあんたのことでしょ! ずっと、探していたんだ! 調べて、顔も知ってるんだ! 瑠香の、唯一の手掛かり……! いえ、瑠香だけじゃない! 調べたら、他にもたくさん女の人がいなくなってる! いなくなった女の人たちがどこにいったか、話して!」
乃原は笑った。
状況を理解したのだ。
同時に、これを見透かせなかった自分の『人を見る才能』も大したことが無いと、自虐さえした。
「最初から俺が目的だったってか? わざとらしく俺の前をうろついて、わざわざ俺に話しかけさせたと? 誘い出したつもりが、誘い込まれてたってことか。……悪いけど、瑠香なんて女の名前は記憶にないぜ」
乃原は笑いながら玲央の元へと歩き出す。
「ち、近寄らないで! このナイフが見えないんですか! ……あっ!」
乃原は一気に詰め寄ると、ナイフを持っている玲央の手を掴んでいた。
グッと押し出され、後退した玲央は壁に押し付けられて身動きが取れなくなる。
「手が震えてるんだよ! そんなんじゃ人は刺せないなぁ! 悪いけど、いちいち売った女の名前なんて覚えてないんだよ、このマヌケ!」
「う、売った?」
身じろぐ玲央の体を見た乃原は、思わずたれそうになったよだれをこぼれない様にすすった。
突き出した胸。引き締まった腰。太ももはすべすべしてそうで、触り心地がよさそうだ。
「ちくしょう、本当にいい体してるぜ。もったいねぇ」
「ひっ」
玲央が恐怖に怯える様は、乃原にとっては情欲を刺激する以外の何物でもない。
だが、玲央は、そう言った欲を浴びながらも、気丈に振舞っていた。
「う、売ったって、どういうことなの?」
「俺が所属してる組織に渡したんだよ。代わりに金をもらってる。そういう商売だ! 売った女が今頃どこにいるかなんて、俺にはわからない。でも、勘違いしないで欲しいな。みんな、望んで売られていくんだぜ? 仮に瑠香とか言う女が俺に売られていたとしても、それはその女の意志なんだ。みんな、俺のためにって、喜んで自分を差し出して行ったぜ」
「こ、この、外道! ……痛ッ!」
乃原は玲央の腕を捻って、無力化した。
ナイフは地面に落ちて、カラッとした音を立てて転がっている。
「俺がベットの上で悦ばしてやれれば優しくしてやれたのになぁ。でも、お前はもう終わりだぜ」
「は、離して! 嫌!」
「拉致って形になるのかな? 連絡して、誘拐組が来て、お前をどこかに連れていく。俺の正体を知った奴への対処は、そう言うことになってるんだ。まぁ、多分、俺へのペナルティになるけれど、それもしょうがないことさ。組織の連中に連絡して引き取ってもらう。仲間がいれば、そいつらも同じ目に遭ってもらうぜ。その前に……今、ここでお前が女だってことを思い出させてやるぜ! 俺が男を教えてやるよ!」
「ひっ」
乃原は玲央の豊満な胸を掴んだ。
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