2036年 7月19日 乃原 至成、茂田奈 玲央

第8話 今は亡きあなたへのレクイエム その1

 時間は少し過去へ戻る。


 それは、存と紗亜那がまだ海からの帰り道、電車に揺られていた2036年、7月19日の午後5時。


 上星市東区、存と紗亜那を乗せた電車が到着する駅でのことである。


 駅前は、人々でごった返していた。

 歩く靴の音。溢れんばかりの会話の声。

 顔も名前も知らない他人が群れをなし、様々な方向へ歩いていく。

 誰と誰がそこにいようが、誰も気にしない。


 ふと、男が一人、後ろを振り返った。

 誰かに見られている気がしたからだった。


(まぁ、慣れっこではあるけどね)


 男はそう思うと、並んで歩いていた女の子にニコッと笑いかけた。

 整った顔立ちと誠実そうな目をした、長身の男。

 一言で言うと美形である。

 テレビのタレントだと言われても信じてしまいそうな顔立ちで、なおかつ仕草や歩き方は純真無垢な様子で、誰もが好意を抱いてしまうようなハンサムだった。


乃原のはらさん? 急に振り返っで、どうしたんですか?」


 女が、そう訊ねていた。

 イントネーションが少しずれている。

 東北の訛りだろうか。

 必死に標準語に矯正中と言った様子だったが、男は気にしないで笑う。


「ああ、ごめん。誰かに見られてるような気がしてさ」


 女は自分が着ている、どこか野暮ったい服――スカートの端をギュッと握り締めた。


「見られてたって、女の人にですか?」

「さぁ、どうだろうね」

「……い、いじわるです。さっきまではあんなに可愛かったのに」


 女の髪から漂って来たシャンプーの香りで、男――乃原と呼ばれた男は上機嫌になった。

 好きな匂いだった。


(あのホテルのシャンプー、銘柄は何て言うんだろ。まぁ、どうでも良いけど)


 ラブホテルのシャンプー何て、気にしたことなど一度もない。

 気にする人間なんて世界中探してもほとんどいないんだろうなと、乃原は思う。

 それよりも、何か話さないとと思う。


 乃原は声のトーンを落として言った。


「……可愛いかったなんて。……その、俺、自信ないんだよ。君よりずっと年上なのに恥ずかしいけど、童貞だったから。上手く出来たか自信なくて」

「こ、こんなところで、そんな話しないで」


 顔を真っ赤にした女は、それでも背伸びして乃原の耳に顔を近づけると、囁いた。


「……わも……私も、素敵な初体験でした。とっても上手でしたよ。優しくしてくれて、ありがとうございます」


 今度は乃原が顔を真っ赤にする番だった。


「ちゃ、ちゃんと、責任取るから」

「ほんと?」

「うん。その、俺、うまく言えないけど、君の事、好きで、その……」

「……乃原さん、可愛い」


 それを聞いた乃原は、思い切ったかのように女の手を握った。


「き、君のこと、愛してる」


 ストレートな言い方に、女は目を大きく開いて潤ませた。


「あ、あの、えど」

「ごめん。愛だなんて、ちょっとチープすぎたかな。でも本当で。俺は、君のことが、とても好きで」

「……うん」


 女は、ジッと乃原の目を見て、それから答えた。


「わたす……私も、あなたのことが好き。大好きです」


 見つめ合った二人は、次にいつ会うかの約束をして別れた。

 名残惜しそうに女が駅の改札の中へと消えると、美形の男――乃原は携帯端末を取り出す。

 着信だ。

 通話ボタンを押すと、街の方へ向かって歩きながら話し始めた。


「もしもし?」

『順調のようだな、色男。大した手際だ』

「あ、見てたんですか?」


 男は笑った。

 周りに人が多すぎて、通話相手――仲間の男がどこにいるのかが全く分からない。


「どこにいるんです?」

『どこでも良いだろ』

「しかし、そちらから連絡してくれるなんて珍しいですね。近くにいるのであれば、どこかでお茶でもしませんか?」

『冗談を言うな。お前とは極力、顔は合わせたくない』


 乃原は笑った。


「それは寂しいですね」

『お前のを想えば、お互いに会わない方が良いだろう』

「そりゃそうですけどね」


 乃原はニコニコと笑う。


「で、わざわざ電話をくれたってことは、何か用があるんでしょう? 定時連絡には少し早いと思いますし」

『20分前だ。仕事の方を見させてもらっていたし、ちょうど良かったのでね。報告を聞こうか?』

「……まぁ、良いですけどね」


 監視されていたかと、乃原は思った。

 こんな形で向こうから連絡をして来たと言うことは、自分が勝手なことをしないようにと言う、釘刺しの意味もあるのだろう。

 乃原は自分を落ち着かせながら言った。


「先ほどの女は新しい女ですよ。名前は上谷かみや春子。今年、上星中央大学に通うために出て来たとか。A県の大火田町――東北の寂れた田舎町の出身だそうです。これで今、手を出してるのは5人になりました」


 気をつけないと、イラつきの色が言葉に付いてしまいそうだった。


(クソッ、俺がどれだけ努力してると思ってんだ)


 乃原は、さっきまで一緒にいた女を想う。


(処女はめんどくさいんだよ。痛がるし。気の使い方も普通じゃないんだぜ? 素材の割には芋臭さの抜けない田舎女だが……初心ウブ純粋ピュアな男が好みらしいんで、そう言う演技もしてる。本当にヤりにくくて仕方がなかった)


 狙った女性のデータを綿密に分析し、準備をし、虜にする。

 それを複数、同時進行でやらねばならない。

 懐いた女を騙して組織に渡すと言うのは、少しくらいの良心も痛むけれど、『これ』を生業とすると決めたからには、本気でやらなければならない。


 ――そう、乃原は、ほとんど人身売買のような仕事をしていた。

 女性を虜にし、愛させて、『この人のためなら何でもする』と言う状態にしてから危機に陥った自分を演出し、最後に売り飛ばすのだ。


 交際を順調に進め、頃合いを見計らって「ヤバい組織にハメられた」と泣きつく。

 理不尽に背負わされた借金を、どうやって返せばいいのかと。

 この時点で女が金を渡そうとして来ても、頑として受け取らない。


 どんな額だろうと、いずれは全て組織の物になる金だからだ。

 そして、ここで保身に走って乃原を切り捨てるような女は最初の時点で選ばない。

 乃原は必ず、『愛した男のためにと必死になりそうな女』を選ぶ。


 泣きついた後は会う回数を減らし、その後でこっそりと連絡をとる。

 お金を苦労して集めて、それでもだめで、しばらく会えないと。

 会うと、君にも迷惑がかかると。


 そして仕上げは、人けのない倉庫などに仲間の男が女を呼び出し、乃原は強面こわもての連中に囲まれて殺されそうになっていると言う演技をする。

 全て騙すための演出だ。

 拘束され、痛めつけられて……「お前が肩代わりするならこの男は許してやる」と強面達が女に告げた時は、必死で抗議するのだ。


「やめろ、その人は関係ない! 全部、俺の責任なんだ! この人を巻き込まないでくれ!」


 殴られ、指を折られ――これは乃原は本気で嫌な拷問だったが、女が多少強情なら拷問役の男たちは平気でここまでやったし、そこで懐柔できなければもっと酷い事をされるだろうことも乃原は承知していた。

 ギターは昔ほど上手く弾けなくなったし、同時進行で騙そうとしていた女への怪我の説明にも苦労したが、報酬として受け取る金額に比べれば些細なことだった。


 そして、自分は退場する。

 後の交渉は他の男たちに任せ、後日、組織から報酬を受け取るのだ。

 その金額が大金ならば、女が組織に自分から奉仕を願い出て、上星市から消えることになったことを意味する。


 安心なのは、家族への最後の手紙も出させるし、何よりもが自発的なので、いなくなっても公的組織が騒がないということだ。

 乃原自身が疑われたことも、一度としてない。


 女が船に乗せられて外国に行くのか、遠い町の性風俗店で薄給の激務をこなすことになるのか、ハッキリとしたことは乃原にも分からない。

 興味もない。

 乃原にとって重要なのは自分の努力に見合う大金であり、女がどうなろうと知ったことでは無いのだ。


 ――


「新しい女の調達はまだ無理ですよ。もうちょっと時間をください」

『慎重だな』

「そりゃそうですよ。最後の最後で失敗すれば、全ておじゃんですし。失敗が続けばあなた達も、俺を生かしちゃくれないでしょ?」

『少しくらいは大目に見るさ。お前の才能は貴重だからな』


 乃原には特別な才能があった。

 容姿が美しいのもそうだったが、何より特筆すべき才能は『人を見る目』である。

 顔を見れば、相手がどんな人間なのか、直感でだいたい分かるのだ。


 嘘をつく人間なのか、誠実な人間なのか、卑怯な人間なのか。

 自分より他人を大切に思う人間なのか。

 時には、隠している秘密なんかも言い当てることが出来た。


 この人物眼とハンサムな顔さえあれば無敵だった。

 乃原は自分が付き合う人間、組織に売れそうな女を見極めるのに、非常に有効活用している。


「――とは言いますけど、俺みたいな人間は他にもいるんでしょ? 人を見る才能の事ですが」

『そうだな。珍しくはあるが、唯一無二ではない。他にも何人かいるよ。他のでかい街でも仕事はさせている。でなければここまで大きな組織にはなっていない』


 確かにそうなのだろう。

 乃原は自分が悪どいクズだと言うことは理解していたし、自分みたいな人間が他にもいるんだろうなとは十分理解していた。


「まぁ、それは良いですよ。ただ、もっとヤバい才能もあるんでしょ? 何でしたっけ? PS……?」

『PSIか? サイキック……そうだな、この町の連中がサイと呼んでいる超能力を使える奴は、仲間にいる』


 サイ

 上星市及びその近隣の町で生まれる新生児のうち、極わずかな確率で生まれながら身に着けている超能力である。

 超能力と一つくくりで言っても、個人個人が固有の能力を持ち、何が出来るかもそれぞれで違うらしいが、間違いなく言えるのは、超常現象的な事象を起こすことを可能にしているという点である。


 時には破壊行動を前提にした恐ろしい能力だったりもするらしい。

 これに比べれば、乃原の持っている才能などおもちゃのような物だ。


 この『裁』は、1980年代から確認されてはいるが、これの厄介なところは、極低確率で、この町で暮らしている人間にも後天的に身につくことがあると言うことである。

 何がきっかけなのかは不明だ。

 極些細な日常の変化で発現することもあれば、強烈なストレスを感じて初めて発現したケースもあると、乃原は聞いたことがあった。


『何でそんな話をする?』

「いえ、何日か前にですね。見てしまったんですよ」

『見た?』

「ビルの上から人が落ちて。でも、落ちてる途中で消えてしまって。見間違いかなと思ったんですけど、同時にここが上星市だってことも思い出しましてね」


 超能力何てバカみたいだと思っていたし、そんなのは嘘だとも思っていた。

 だが、実際に見てしまったからには仕方がない。

 近くにいた人も呆気にとられていたのを見る限り、あれは自分だけが見たわけでは無いのだ。


「あ、そう言えば……って、話は変わりますけど、大丈夫ですか?」

『何だ?』

「先週くらいだったかな。噂になってる例の女の子と寝ましたよ。ちょっと強引だったけど、ホテルに連れ込んで」

『噂の女?』


 乃原は思い出しながらニタニタと笑った。


「誰とでも寝るって言う例のガキですよ。避妊無しで何でもヤらせるって、あの。名前はなんて言ったかな、ろぎ? ろび? えっと……珍しい名字なんでまぁ、あんま覚えてないんですけどね。名前も、サ行だったのは覚えてるんですが」

『はっきり覚えていないと言うことは、使えそうになかったと?』

「そうなんですよ」


 乃原は正直な感想を言った。


「あれは、なんていうかな。誰とでも寝るって言うわりには、セックス自体はむしろ嫌いみたいですね。誰かにヤらされてるのかもしれないとか、そう言う感じもしました。それも問題ではありますけど……俺が見た感じ、中身が空っぽなんですよ。どんな暮らしをしたらああなるのかは分からないですけど、ひと言で言えば心が壊れてるんです。見た目とか、雰囲気とかは、まぁ、嗜虐心そそるっていうか、マニア受けはしそうでしたけど、いつもみたいに俺の虜にしてって言うのは無理です。出来る気がしません。それに、こっそり学生証見たんですけど、15歳ですよ。失踪するには若すぎるって言うか」

「……余計な言葉が多いし、言葉を濁しすぎているな。それだけじゃないんだろ?」


 鋭い指摘だった。

 乃原はごくりと生唾をのんで、答える。


「そうなんですよ。ちょっと調べたら、バックにヤバそうな奴らがいそうだったんです」


 ヤバい奴ら。

 古くからこの町を牛耳っていた連中と繋がりがありそうな、危険な連中の気配である。

 その他、些細な報告を済ませた乃原は、電話を切りにかかった。


「――と、まぁ、そんなところです。報告は以上です」

『……まぁ、良いだろう。あまり目立った真似はするな。お前の言う連中は、こっちでも調べておく』

「了解です」


 電話を切った乃原は、顔を上げた。


(くそ、めんどくせぇ。何か、ドッと疲れたなぁ。今日は女との約束も無いし、ゆっくり旨い飯と酒でも呑みながら……)


 そう、思いかけた乃原は、目の前にとんでもない美人がいることに気づいた。

 汚れた靴を履いて疲れた顔をしてはいたが、腰つきも、胸の形や大きさも、顔立ちも、乃原が今まで出会った美女達と比べても見劣りしないレベルの女だった。

 そうなると、才能で相手を見るより先に声をかけてしまうのが、この乃原である。


「あの、何か困ってませんか? どうしましたか?」


 声をかけられた女はギョッと乃原を見たが、すぐさま顔を赤らめた。

 ポーっと乃原を見つめてしまい、慌てて視線を逸らす。


「い、いえ、その、すいません。大丈夫です」

「……本当ですか? 大丈夫には見えない気がするんですけど」

「あ……う……その」


 女は顔をますます赤くした。

 乃原は自分が自惚うぬぼれているとは思ったが、自分のハンサム過ぎる顔で見つめられれば、女はみんなこうなることを知っていた。

 純粋に心配する気配と誠実そうな目で、乃原は女を見つめ続けた。


「じ、実は、その、友達を探してて」

「友達?」

「行方不明なんです。何年か前に、昔住んでいたこの町に戻ったって聞いてはいたのですが、連絡がずっと取れなくて。大きな町ですし、人もたくさんいて、もう、どうしたら良いのか」


 ほう、と乃原は思った。


(こういう悩み事を持ってる奴は、やりやすい。良いカモだぜ)


「お友達って、どんな人なんですか?」

「女の子です。名前は……」


 その女性は、行方不明だと言う友人の名前を告げた。


「友達の名前は町田まちだ瑠香るかって言います。昔、助けられなかった男の子を助けるんだって、この町に来て、行方不明になりました」

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