第7話 発露 その2

「はは、何? 何言ってんの? こいつ」


 紗亜那を嬲っている男は、紗亜那の声を聞いても手を止めなかった。


「こいつがこんな声出すの、珍しくね? 最初にヤった時以来? まぁ、良いや。とりあえず、準備できたみたいだしさ、もう、良いよな?」


 男は紗亜那のスカートの中から手を抜き取ると、濡れている指をペロペロと舐めた。

 紗亜那はスッと、背後にいたその男の方へ視線を動かして、目を閉じる。

 涙が僅かに光って、流れた。


「……良いです。私の体は、いつもみたいに好きにして良いです。何でもします。だから、お願い。堀位君を……その人を殺さないで」


「いや、殺すよ?」と、パイプを持った男が言った。


「お前だけなんてありえねぇ。どっちも好きにするに決まってんだろうが」


 パイプを軽く振り、持ち換えた男は、滅多に見られない紗亜那の表情の変化を面白がるようにして笑った。


「この童貞野郎は殺す。お前は全員で可愛がってやる。これは決定なんだよ」


 存の背中が蹴られ、踏みつけられた。


「うっ……ぐ、ぁ」


 存はもう、息も絶え絶えだった。

 背中が圧迫されて、上手く呼吸が出来ないのだ。


「や、やめて! 堀位君を、踏まないで!」


 男は気にせずに存の背中を踏みつけ続けた。


「こんなゴミみてぇなカス、いくら踏んでも良いだろ?」


 紗亜那の目から、涙がボロボロとこぼれた。


「堀位君は、ゴミじゃない。その人は、私の、大切な……」


 その間、紗亜那の体を弄んでいた男は、彼女のスカートをまくり上げて下着を掴んでいる。


「お前はこっちに集中しろって。ほら、足開けよ。脱がしにくいだろうが」

「も、もう嫌……! やめて! やめてぇ!」

「ちょ、暴れんな!」

「触らないで! いやぁぁぁ!」


 紗亜那がそう叫んだ瞬間、空気が変わった。


「路時……さ……ん」


 存は、踏みつけられたまま、必死に呼吸しながら紗亜那を見た。

 紗亜那の、体の輪郭がまたブレていた。


(なんだ? あれ)


 呆然と見てしまった存だったが、が何なのかはまるで分からなかった。


 歪んでいた。

 紗亜那の近く、透明な――景色に溶け込んだ何かが、紗亜那の近くに立っていた。

 そして、そう思った次の瞬間、紗亜那のスカートの中に顔を入れていた男がその場に膝をついて動かなくなった。


「……は?」


 何が起きたのか、その場にいた誰もがわからなかった。

 ただ、異様な雰囲気の静寂だけがそこにあった。

 男は胸を押さえてうずくまると、口からダラダラと唾液をこぼして倒れる。


 数秒の沈黙の後、紗亜那が震えながら言った。


「や、やめてって、言ったのに! 触らないでって言ってるのに、やめないから……!」


 自分がそれを引き起こしたと言わんばかりの紗亜那の声に、ドッと笑いが起きた。

 大爆笑だった。

 大の男が完全に気絶してしまったと言うのに、男たちは笑っていた。


 いや、単純に目の前の出来事が信じられなかったのかもしれない。


「なに遊んでんだよ。マジ演技うめーし!」


 男たちはうずくまっている男を笑う。

 と、存を蹴っていた男の一人が紗亜那に言って、つかつかと近づいた。


「何だよ、紗亜那ちゃん。今日は気分がノらないってか? 悪いけど、俺ら欲求不満なんだわ。最近、紗亜那ちゃんもあんまり会ってくれなかったしさ。悪いけど、今日は無理やりにでもヤっちゃうからな?」


 男は、その小さな肩に触れる。

 ビクッと紗亜那が怯えを見せた。


「なぁ、お前も痛いのは嫌だろ? ちょっとでも痛めつけると、いっつも嫌がってたもんなぁ? でも、今日の俺ら、ちょっとイライラしてっからさ。加減効かないかもよ? ……ほら、いつもみたいに楽しくやろうぜ? じゃなかったら、逃げられるか試してみるか? その代わり、捕まえたらあいつと一緒にぶっ殺、し、げ、ぇッ」


 言葉を言いかけていた男がビクンと硬直し、横向きに倒れ込んだ。

 それっきりピクリとも動かない。

 また笑いが起きた。

 男たちはまだ、誰も気づいていない。


「も、もう、ダメ。言うことを聞かなくなってきてる。早く、堀位君から離れて」


 紗亜那の視線の先、存の背中は今も踏み続けられていた。

 男はニヤニヤしながら言う。


「さっきから、何言ってんだよ。言うことを聞かない? 離れろ? 悪いけどそれは出来ないなぁ。ここ、が柔らかくって。誰かが転んだら危ないだろ? しっかり踏んで、固めておかないと、さぁ!」


 振り上げられた足が、また存の背中に落ちた。

 グッと、存が痛みに悶える。

 紗亜那は顔を歪めて、泣きながら懇願した。


「やめて……! お願いだから……! もう、やめて……!」


 紗亜那の声を、男はまるで聞かない。

 足はまた上がり、落ちる。

 存が、その度に苦痛の声を漏らした。

 一度、二度、三度……


 紗亜那の顔に、感情が灯った。

 それは存に見せていた笑顔よりも、もっと細かな変化であり、男たちの誰もがそれに気づかない。

 だが、紗亜那の変化に気づき、痛みに震えながら顔を上げた存には、紗亜那の感情が丸わかりだった。


 それは、怒りだった。

 顔を上げて、男たちに目を向ける。


「私は……私の体はあなた達の好きにして良かったのに。……! でも、堀位君は、こんな私の手を引いて走ってくれた。連れ出そうとしてくれた。その人はあなた達が踏みつけて良い人間じゃない。そんなに優しい人を、あなた達は……! それ以上は、許さない」


 声は震えている。

 怒りでだ。

 ただ、男たちはそれを怯えと勘違いしていた。


「おー、おー、無理すんなよ、便所女」

「許さなかったら、何するんだ? 何してくれるって?」

「あなたたちを、


 そして、それに反応した男たちはイキり立った。


「攻撃させる? 何にだよ。何言ってんだ、こいつ」

「便所ごときに何が出来るって?」

「はは、もう、めんどくせぇや。……無理やりっての燃えるかもしれねぇし。押さえつけてヤっちまおうぜ」


 ついに男たちが紗亜那に襲い掛かった。

 倒れた男二人はまだ起きなかったが、それも関係ないようだった。


 この時に至って、男たちはみな性欲に支配されていた。

 押さえつければ身じろいで、怯えるように震える薄い背中と、少女の汗の匂いを思い出していたのだ。


 全ては目の前にあって、手を伸ばせばすぐに手に入る。

 今まで何度も組み敷いて、何度も突き刺して、好き放題に性欲をぶちまけてきた儚げな熱。

 相手が自分たちの下で征服されるだけの女の子だと、心の中で笑っていた。

 ひ弱な腕、細い足。白い肌。小さな尻を掴んで強引に突き入れた後の、肉の感触。

 心にはもはや、性欲と支配欲が混ざり合ったどす黒い感情しかない。


 だが、紗亜那はそれらのおぞましい欲を向けられながらも抵抗をやめなかった。

 男たちの手が伸びたが、紗亜那はフラリと身を引いてそれらをかわす。


「……?」


 存少年は、見た。

 男たちと紗亜那の間、その空間に、何か無数の、薄く透き通ったの様なものがフワフワと浮かび、舞っているのを。

 歪みはそれだった。

 気にしていない男たちの様子を見て、あいつらには見えていないのかと存は思った。


「くそ、この女……!」


 紗亜那が、スッと息を吸う。


「……サイ


 紗亜那が小さく、呟くようにして言ったその直後、彼女の輪郭が薄暗い光を放ちながらブレて、またあの気配が現れた。


 は、紗亜那のすぐそばに立っていた。


 巨大な何か。

 肉を持ち、呼吸をして、それでいて存在感が希薄で……いると言うことは分かるのに、本当にそこにいるのかが分からなくなる感覚。


「私は、を出したくなかったのに。もう、どうなっても知らない」


 存にもそれは、ハッキリとは見えなかった。

 透けていて、輪郭が景色に溶けているようで……だが、確かにそこにいると言う感覚は肌で感じとれていた。


 脈動し、意思を宿している命の気配。


『僕らの世界で、目に見えるものはたったの5パーセントしかないんだって』


 唐突に存は思い出す。

 いつか自分が語った、5パーセント以外の世界。


『23パーセントは、光も生み出さないで反射もしない、電波とか電磁波とかそう言う物で、残りの72パーセントは、重力だったり、物を加速させたり、もっと正体が分からないものだったりで……だから、僕たちの世界は少しも感知できないものばかりで出来ているんだってさ。だから、思うんだ。もし、神様がいるんだったら5パーセント以外の場所――残りの95パーセントの世界にいるんじゃないかって』


 もちろん、紗亜那の近くにいるは神様なんてものではないだろう。

 ただ、今感じているが95パーセントの世界の物なのだと、存はハッキリと確信した。

 そして、直感で理解した。――は、紗亜那の中から出て来たのだ。


 そして、流石に男たちもただならない事態に気づいたらしい。

 だが、それでも男たちは引かなかった。


「意味わかんねーこと、言ってんじゃねぇ! お前はいつもみたいに黙って股開いてれば良いんだよ!」

「……触らないで!」


 紗亜那が強く叫んだ直後、男たちは近い順からバタバタと地面に倒れていく。

 一人、二人、三人……


「……ふ、ふざけんなよ。なんだよ、これ」


 最後には、存に鉄パイプを突き付けていた男だけが残っている。

 紗亜那にはもう、臆している様子はなかった。


「堀位君を、離して」

「便所女……! てめぇ、なにしやがった! こいつら、どうしたんだ?」

「離してって言ってるの」

「うるせぇ!」


 男はパイプを振り上げた。


「それ以上近づいてみろ! この童貞野郎の頭をかち割って」


 紗亜那はスッと目を細めると、手をゆっくりと掲げた。

 瞬間、紗亜那の短い髪が揺れる。

 空気が振れていた。

 紗亜那が伸ばした手の先に、歪みが走っていた。

 歪みは直線的な軌道で男の持っていた鉄パイプにぶち当たると、吹っ飛ばした。


「ぎ……が!」


 二撃目の歪みが走り、胸にそれを受けた男が驚愕の表情のまま固まり、崩れ落ちる。

 飛ばされたパイプが地面に落下した音の後には、荒い息づかいをしている紗亜那と、戦慄している存だけがそこに残った。


 ……全てが終わった後、紗亜那は泣きだした。

 地面に座り込み、肩を震わせて泣いていた。


 存は、紗亜那に何を言えば良いのか分からなかった。

 目の前で起きたことが一体、何なのか。それが気にならないと言うのは嘘になるし、自分の感じている痛みも凄まじいものだったが、そんなことはどうでも良かった。

 ただ、存は少女のことだけを想っていた。


「路時、さん」


 混乱してはいた。

 だから、言葉はほとんど無意識的に口から出ていた。


「路時さん、大丈夫? 怪我はない?」

「……っ」


 紗亜那の涙が勢いを増す。

 倒れている存の前まで歩くと、紗亜那は泣きながら言った。


「……どうして? どうしてなの? 私のせいなのに。私と会わなかったら、そんな怪我しなかったのに。私はこんなに汚れているのに。汚いのに、どうして」

「路時さんは、きれいだよ。会った時も、今だって。ずっと変わらないで、きれいだ」

「っ……あああああああ! ああああああああ!」


 紗亜那はぺたんと座り込み、声を上げて泣いた。

 止まることなく涙が溢れて出ている。

 存少年は手を伸ばし、そっと紗亜那の髪に触れた。

 体がどこもかしこも痛くて、手は震えてしまったけれど。


「……路時さん。泣かないで。もう、良いよ。もう、良いんだ。君が無事なら。何か理由があるんだろ? でも、それだって、話さなくていい。僕はただ、路時さんのそばにいたいんだ」


 存は優しく笑った。

 だが、存の目からも涙が出ていた。



 彼女が、好きでやっているはずないのはとっくに分かっていた。


 海で、『誰にも、どうしようもない』と言った、彼女の秘密。


 誰かが、紗亜那にそれをさせているのだ。

『好きでやっている』と、紗亜那に言わせている誰かがいる。


「路時さん、また、海に行こう。今度は、晴れていると良いな。実はさ、僕も、海に行ったのはじめてだったんだ。だから、また、一緒に」


 存少年は、咳込んで、それから立ち上がった。

 フラフラだった。

 鼻血は止まっていたが血だらけで、とてもじゃないが無事のようには見えなかった。


 涙は、どうやって止めたら良いのか分からなかった。


―――――――――――


 そして、運命は動き出す。

 二人の敵は不確かで、だけれどあまりにも強大で、立ち向かう力も今はない。


 しかし、それらと戦うよりも先、歩き出した二人の前に大きな困難が待ち受けていた。


 生命の危機である。


 2036年、7月19日の今日。

 血なまぐさい夜が、闇を深めようとしていた。

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